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息子が「ハカセになりたい」と言ったら

 拙宅山本家の三兄弟の下に妹ちゃんができて、人間関係に少しは変化でも起きるかと思ったらまったく起きないのである。まだ妹は一歳、関係を変えるにはまだ起爆剤として幼すぎるのか。

 コロナウイルスで3月終わりからなし崩し的に学校も休みとなった。小学校5年生と小学校4年生という、中学受験に向けて勉学に走り出すべき時期に差し掛かっているはずの長男と次男は、このたび小学校に上がったばかりの三男を連れて、団子になって馬鹿なことばかりしている。なお、三男はまだまともに学校に通ったこともない。

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 ずっと家にいるのも良くないので、人出の減った御茶ノ水を毎日ジョギングさせている。勉強をしたくないのは仕方ないが、せめて健康であって欲しい。30分もジョギングに付き合うと、私(47歳)はフーフーである。いい加減座らせて欲しい。しかし、子どもたちは違う。ジョギングを終えて少し休んだ後は、鬼ごっこが開始される。私が疲れていても無関係に容赦なく駆り出される。確かに走る速度自体は私のほうが速いが、子どもたちはちょこまか小回りが利く。振り回されるわたくし。若い泥棒にまかれるおっさん刑事のように、残念な事態となるのだ。

 程なく帰宅して、ストレスと体力を発散したら勉強ぐらいしてくれるだろうと期待するも、その手の期待は概ね裏切られる。子どもはたくさん走るとお腹がすくのである。三兄弟はやたら喰う。父親として「何それ」と思うぐらい、食べる。食べた後、遊んで、ちょっぴり勉強をして、少しは勉強を始めたかと思うと30分ぐらいで「腹が減った」と言い始める。何だそれは。

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 結果として、近所のスーパー(オリンピック)に買い出しに行くのは私の責任であり、毎日、一日分の食糧を買うのだがご覧の有り様である。一家六人、毎日毎日だいたいこのぐらい喰う。誇張なしに、食べるのである。その小さい身体のどこに収納されるのか。いや、一番大きい臓器は胃袋なのかもしれない。一歳になった長女も地味にバナナとかカボチャとかいっぱい喰うようになって、だんだん戦力になってきた。一家の細胞はほぼ100%オリンピックでできている。

 なにぶん外出自粛中なので、三食自宅で飯を喰うと必然的にこうなる。レジのお姉さんや奥さんだけでなく、すれ違う買い物客たちが私の買う量を見て二度見する視線が辛い。誤解だ。これは買い占めとかではないのだ。

 そんな三兄弟の将来なりたい職業はハカセである。どこから知ったのか分からないが、鳥山明『ドクタースランプ』の則巻千兵衛や、手塚治虫『鉄腕アトム』のお茶の水博士がモデルケースであるらしい。先日はNHKがやっていたシリーズ『人体』に出ていた山中伸弥さんを見て、研究者に憧れているという。目指すのは良いことだ。ぜひ頑張って欲しい。親としてそう思う。しかし勉強はしない。

 長男はずっと生物が好きだ。逆に言うと、生物以外には興味がない。顕微鏡を持ち出して来てはプラクトンを眺めたり、生物・微生物図鑑を眺めてはスケッチしたり、コレクションの古代の化石(アンモナイトや三葉虫)を眺めたり、NHK Education for Schoolで『ミクロ・ワールド』をヘビーローテーションで眺めていたりする。勉強はしない。勉強しないので、平気で「太陽は西から昇る」「1メートルは100キロメートル」などと言い放ち父親を呆れさせるのが日課だ。勉強しろ。

 次男は伝記を読んだり歴史漫画に目を通すのも好きだ。お陰で広いジャンルで割と物知りではある。口では「エジソンみたいな科学者になって、いろいろ発明したい」というが勉強はしない。仕方なく「勉強しろ」と説教するが、夕食を残さず全部食べ、好物のポテトチップスを兄弟で平らげて『スターウォーズ』をちびちびと鑑賞し終わった21時過ぎになってようやく重い腰を上げる。しかし勉強を始めるとたちどころに「腹が減った」と言い出す。気が付くと、レディーボーデンをでかいパイントごと喰っている。使えない奴だ。

 三男は細やかな男である。レゴで壮大な作品を作ったりスマホでパズルゲームに興じているが勉強はしない。さすがに書いている平仮名が小汚いので「少しは書く練習しようね」と勉強を促して「はーい」と気持ちの良い返事をされても勉強することはない。レゴやお絵描きで空想の戦車を作ったり爆撃機をこしらえては「かっこいいか?」と聞いてくるが、そこで「かっこいいね」とおだてても気を良くして勉強してくれることもない。

 それでも、通っている学校のイベントで国際感染症センターの大曲貴夫先生がコロナウイルスについてオンライン上で短い時間解説をしてくれるというので、普段は自発的に勉強机に向かうことのない三兄弟がかじりつきで大曲先生の話を聞いていた。目の輝きが違う。特に、話が始まる前から長男が「質問したい」とずっと騒いでいた。質疑応答の時間に手を挙げたらと家内が声をかけたところ、長男がぶんぶんカメラの前で手を振って、果たして長男に質問が当たった。

 そこで長男、何を訊くかと思ったら「『集団免疫』ってあるんですか」。

 ああ、長男らしい質問だな、と思った。ずっと、ずっと、人体や、小さな微生物や、白血球や、免疫が大好きなんだよね。海のプランクトンや、お魚や、深海の生き物。ずっと、こんなの書いてるんですよ。一日中。勉強もしないで。

 いつも四兄妹に手を焼いている家内は口腔外科医(歯科医師)で、舌癌や口腔内感染症を専門にしていたので、国家試験で使ったという「分子生物学・細胞学」の本をずっと長男は全部は分からないなりに読んでる。興味は偉大だ。

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 大曲先生のオンラインが終わった後、ネットで「コロナウイルス 東京都」の映像を検索して、小池百合子という名前が書かれた信楽焼の狸の置物の横で、大曲先生が東京都の感染状況を説明している動画を弟たちに見せながら「もっといろいろ訊ければ良かった。どうやってワクチンを作って、どんな抗体ができるのか聞きたかった」やら「ウイルスって突然変異すぐするんでしょ。抗体ってほんとにできるのか」やら言っておる。

 父親として、長男に言うべきことは一つですよね。「ちゃんと勉強して、ハカセになって、もっといっぱい教えてもらえる機会が増えるといいね」と。そして長男「うん、勉強する」と言いつつ勉強はしない。22時までに宿題をオンラインで提出しなければならないのに、夕食を食べ、楽しみにしている『突破ファイル』を観て大笑いし、牛乳をたくさん飲み、おもちゃの銃の奪い合いで三男をいじめて軽く泣かせて、長女を抱っこして、うんこし終わった21時すぎからようやく宿題を始める。間に合うわけねえだろ。

 勉強しない三兄弟に「いまやれる勉強をしろ」と叱り飛ばし、長男が宿題として提出した「たかし君が作業にかかった時間は420分だから7秒」とかいう回答を見て椅子から崩れ落ちつつも「好きな学問分野があるのはいいことだ」と自分に言い聞かせながら、家内が子どもたちを寝かせつけている間にこれを読んだ。

 辛い… どうしてこうなってしまったのだろう。あ、皆さん私のこの記事の続きを読むぐらいなら、森野キートスさんのこの記事を読みましょう。でも、まあ、そうなんでしょうね。子どもたちが「やりたいことがあるから、将来はハカセになりたい」と言っても、父親として「そうか。じゃあ頑張って勉強して、ハカセを目指そうね」と自信をもって言い切れるのかどうか。

 子どもには、意味のある人生を送って欲しい。生産的で、快活で、私のように穏便で誰からも愛される素敵な大人に育って欲しい。知識はより良く生きるために必要なツールであって、多くの知識を学び、自分や家族や社会に活かせる者になって欲しくて、口を酸っぱくして「勉強しろ」と言っておるのです、父親として。さあ、私の背中を見て育つのだ。しかし、私はあくまで私の人生なのであって、子どもたちには子どもたちの適性と欲求と人格、そして違う時代を生きる。私の時代の勝利条件と、いまの子どもたちのそれはまったく違う以上、親として「勉強しろ」が最適解とも思えぬ。

 森野キートスさんが、記事の中で語った「駄目な大人だけど、研究をするには一流で、しかも楽しそうであること」は、とても大事だ。しかしながら、いまの大学や企業に本当にそういう環境は残されているのか。GoogleやFacebookなど一部の大企業のプロジェクトチームぐらいにしかやりたい研究や知見を貯める仕事をさせてもらてないのではないか。

 ここから「学び」をどう子どもたちに提案していったらいいのか。お前いいから勉強しろよ、塾に行けよ、学校の宿題は最優先でやって絶対に遅らせるなよ、で、そこから続く「なぜなら」のところで私は逡巡する。

 中学受験を勝ち抜き、良い大学に入り、素晴らしい研究をして、ハカセになって業績を打ち立てれば、本当に子どもたちは幸せな人生を送れる条件になるのかどうか。長男が好きな「理科」、確かに生物や環境の分野は物凄く好きだけれど、「これは勉強だから、星座を覚えろ」と言われても夏の大三角形の星ひとつ覚えるのに一苦労しておる。興味を持って日々学んでいる「ウイルス侵入のときの受容体」とか「中生代白亜紀まで生き残っていたアンモナイトの種類の学名」などはスラスラ暗記しているのに。

 軽やかな知性を持つ次男も、社会でつまずいているのは「地図記号」。受験で出るから覚えるために勉強しろとは言うが、このスマホ全盛のご時世、こんなもの使うのか。いや、知識として知っておけと言うべきか。

 いや、算数のカリキュラム。子どもたちを中学受験させるならと、志望校や4年から6年までの算数、全部自分で解いてみた… けど、鶴亀算とか旅人残とか、大人になって使うか? よく考えたら場合の数とか高校の数学だよね。行列とか。確かに私も35年前、小学校時代に全部やったよ。覚えてる。でも社会に出て、いまこの解き方は絶対に使わない。ものの考え方を備えるため? 問題を解決する方法を見つけ出す閃きを鍛える?

 私(47歳)のころは団塊Jr.で中学受験も大学も就職も過当競争なうえに就職氷河期だったけれど、まじめに勉強してこの難関を突破すれば、きっと人よりもいい人生を歩める、であろう、という確信を持ってた。まだ小学生だった私も、私の親も。なお結果はこちら。

 でも勉強しない長男や次男や三男がひと固まりになって走り、遊び、自分の好きなことをして、それをより良い品質でやり遂げようと熱中しているのを見て「おい。そんなのはほどほどにして、勉強しろ」と無粋な父親をやるのはどこまで正当なのか。もっと言えば、我が子の人生はどこまで親のものなのか。親子一丸となって東大一直線と拳を振り上げ鉢巻を締めて坂の上の雲のように偏差値75という高みを目指して突き進むことにどれだけの意味が、この子どもたちの人生においてあるのか。

 私の小学生時代は、そういう甘いことを言って受験戦争から脱落していく戦友を嗤(わら)っていたけれど、あれだけ熾烈な競争を勝ち抜き、10倍、20倍という狭き門を突破して勝ち上がった同級生たちが、本当にいまの社会で優れた仕事をしているだろうか。(こう言っては大変失礼だが)人生のピークが文字通り小学校6年生だった友人たちもたくさん、いまだにFacebookで繋がっている。だけれども、あのころ本当に、石にかじりついて勉強をし、四谷大塚で中野国立一組で頑張って、今週は2,000人中10番に入った、三桁に落ちたとやってきた奴らの47歳・48歳になんなんとする人生は、果たして実り多いものだったか。元祖高学歴ワープアになった奴、あれだけ勉強できたのにビル清掃員になった奴、高校でバブルが崩壊して親と共に行方が分からなくなった奴、自分から命の後始末をつけてしまった奴… 就職氷河期だったからというのもあるけど、そんな人生を歩まなくても良かったんじゃないか、と思うような優秀な奴が本当にいっぱいいる。

 私らは、受験戦争で本当に生きるすべを「学ん」でいたんだろうか。

 実は、本来の「学び」こそ、いま三兄弟が自発的にやっていることであって、いわゆる学問、私が勉強しろと言っているものとはまた違うのではなかろうか、と物凄く悩む。悩むんだよ。

 んで、これが去年暮れ、長男が私にくれた、プレゼント。

 「勉強などいい。好きな道を進め」ってやるべきなのか、どうなのか。

 悩む。悩むんだよ。

 そういうことを考えるようになるのも、コロナウイルスのせいなんだろうか。昨日も一昨日も、いや、それ以前から、私らは中学校受験直前という同じ人生をくり返しているんじゃなかろうかと… そして、明日も……

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神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント