「プール撮影会中止」日本共産党とキャンセルカルチャー問題
例の共産党プール撮影会中止要請事件を興味深く思っておるわけです。
なんつーか、典型的なキャンセルカルチャーの構図になっていて、木曽崇さんも書いてますけど共産党が市民の敵であるかどうかはともかく、その中止を求めた根拠が都市公園法1条であって、しかもその条文は法律の目的のことですから、根拠に水着撮影会のための貸し出しを認めるなと言っているのは無理筋ですし、これを了として中止させてしまった埼玉県の判断もマズいわけですよ。
https://twitter.com/takashikiso/status/1666973289149808641
https://twitter.com/takashikiso/status/1666973289149808641
で、本件を受けての埼玉県知事大野元裕さんのコメントがこれで、もともとの開催の許可条件とは何だったのかが割とデリケートです。過去の撮影会が問題だったから共産党に言われて中止の判断を埼玉県が下したぞということになるわけで、これぞキャンセルカルチャーになってしまった形になります。これが開催二日前だったとなれば、もうちょっと明確な理由を示さない限り主催者・業者やイベント登壇者に対する補償を求められたら逃げられないんじゃないかという感じはします。
しかも折悪く、先般毎日新聞に高千穂大学教授の五野井郁夫さんがかなり高めのボールを投げ込むインタビュー記事を掲載していて物議を醸していたところです。タイトルからして「キャンセルカルチャーを奪い返す 『表現の自由戦士』は正しいか」であって、まるでこれらのキャンセルカルチャーが正義の鉄槌であるかのような物言いであるうえに、それを「表現の自由戦士」が使うことはどうなのという問題意識をお持ちであることが分かります。表題だけ読むと何言ってるのこの人という感じがしますが、中身を読むと一層何言ってるのこの人となるので興味のある方は一読をお薦めします。
言わずもがなですが、ここで五野井さんの説く「表現の自由戦士」は女性蔑視の表現を擁護しているのではなく、あらゆる表現は守られるべきという考え方ですので、女性蔑視をしたい人も表現の自由を守るべきだと考える人も同じ箱に入れている点で客観的な論考をするつもりもないのだと理解できます。
そもそも、「キャンセルカルチャーそれ自体は伝統的なボイコット運動の延長線上にあ」るとしているんですが、水着モデルで仕事をしている女性が主体的に参加することもある水着撮影会に対してそれはミソジニーだと指弾してイベントの開催を直前でキャンセルさせることが伝統に則ったキャンセルカルチャーの在り方なのかという点は議論されるべきでしょう。
江口さんのコメントにもありますが、行政論的には利益の比較衡量の話と捉えられるべきものであって、過激なポージングの水着撮影会が公共の利益に反するので埼玉県が管理するプールの貸し出しに適さないと判断するならば、貸出承認の時点で見解を下さなければならず、また、判断に対して責任を持たなければならないと思うんですよ。
こういう問題こそ司法の判断を求めるべきだと考えるのと、日本共産党が行動を批判されて「これは判断を下した埼玉県の問題だ」と身をかわしているのは何だろうとは思います。
で、そのネットに転がっている過激な露出の水着やポーズって、そもそも違法なんですかね?
なぜか元ライザップの弁護士だった加来武宜さんも参戦してましたが、プールの指定管理者は主たる意思決定者ではないと思われますので、やはり埼玉県と、キャンセルカルチャーを発動させた埼玉県の特定3名の共産党県議さんに対して本来なら賠償責任を求めるべきだろうとは思います。過激なポージングの撮影を行い公序良俗の問題だと仮にするのだとしても、そもそもそれは合法で、憲法で認められた表現の自由の範囲内であって、さらにそれらの画像はネットに転がってるものを見て判断したものと見受けられ客観的にその撮影会であくまで特徴的な被写物をネットに掲載しただけのもので、仮にそれがTwitterに掲載されていたものだとしてもプラットフォーム事業者もそれらがポルノ等違法性のあるものだと認識していないから第三者が閲覧できているわけですよ。
で、こんなものが正義のキャンセルカルチャーであるはずもないし、Twitterでグラビアを仕事にしている女性からも直接のクレームが共産党に対して上がっていますがこれってLGBT法審議や性風俗関連規制でも同じような議論になっています。女の敵は女というよりは、勝手にミソジニーとか女性蔑視などのラベリングをしたうえで、そこで働く女性たちの職を奪う類の問題を簡単に引き起こすものであって、分断の象徴とも言えます。
繰り返しになりますが、表現規制に対して反対をするのは「あらゆる表現への制限・規制に対する反対」なのであって、本当に公序良俗の問題があるのだとするならば、やはり映倫やJARO、CEROなどのように具体的に何が問題だからこのような線引きになっていますという客観的な枠組みがなければいけないものだと思います。そして、映画や広告での表現においても、本来であれば、そんなものは最初から規制するものではなく、事業者と利用者の間での社会一般の暗黙の範疇で処理されるべきものでしょう。いちいちそんなことまで具体的なガイドラインを都道府県や自治体が作らないといけないの?
やらかしたのは仕方ないし、共産党の県議が不見識なのは別の話としても、こんな問題において埼玉県知事が出てきて四の五の変な言い訳をしているのもみっともない。ただ第三者的にはこの手の問題がちゃんとネットで騒動になり、甲論乙駁議論になっていることそのものは民主主義的に健全だなと思います。
本件画像はAIが考えた「埼玉県で開催がキャンセルになった公営プールでの水着撮影会で撮影するはずだった画像」なのですが、実はホラーでした。これが撮影できるなら共産党も満足ではないかと思います。