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暁を駆ける黒猫

黒猫のジジは嫌われていた。
ただただ、黒猫というだけで嫌われていた。

例えば、ふと昼間の道を横切った時、人は皆「ひっ」と言って怯え出す。
そして第一声でこう言うのだ。「今日はツイてない」と。

なんたる無礼であろうか。
人間は、猫が言葉を分からないと思っているらしい。
だが、そんなのは人間のただの決めつけであって、ジジは人間の言葉をよく理解していた。
理解は出来るが、「にゃあ」としか鳴けないことに、ジジは悔しさを覚えていた。

なぜ、黒猫は嫌われているのか。
ジジは生まれた時から、人間に可愛がられたことなどない。
元々野生で生きてきたこともあるが、どうも黒猫というだけで畏怖の念を抱かれているらしい。
ちょうど、人間がゴキブリを見たときに「ひっ」となるそれと、近しい気もする。

ジジはそんな疑問を解消すべく、閉館後の図書館へと忍び込んだ。
数万の本棚から目的のものを探し出すというのは、本当に猫の手も借りたいぐらいである。

ちょうど4回目の探索の時、目的の本が見つかった。
「猫の歴史」と言う本だ。
いかにもという本であったが、その可愛らしいタイトルからは想像できないほど、本の中身は文字で埋め尽くされていた。
ジジは本を口で咥え、窓際にある本棚の上へと移動した。
ちょうどその本棚には、夜の月の光が差し込んでいて、ジジはその月光を頼りに、文字を丁寧に読んでいく。

猫と人間との関りというのは、古くは9,500年前だという。
中東付近で家畜として飼われていたのが始まりだとされている。
日本では、弥生時代には存在されていることが発見されており、その後、各時代で様々な偉人に愛されてきた。

ジジはぺらりとページを捲る。
屏風にちょんと書かれた白猫、浮世絵に刷られた三毛猫、そして写真に映る白茶猫。
そこには、人間に愛される猫の姿があった。

ジジは、ページを捲るたびに、どこからか悲しみが溢れてきた。
黒の綺麗な毛並みはジジの自慢であった。
誰よりも気品に溢れ、他の猫たちにない光沢を帯びている。
なのに、なぜこんなにも嫌われているのだろうか。

ジジはさらにページを捲った。
次は「黒猫」というページであった。
黒猫の迫害が強くなりだしたのは、15~18世紀のヨーロッパで行われた魔女狩りだという。
この時代、魔女狩りという名のもとに、人間だけでなく、黒猫も迫害された。理由といえば「夜の闇と似ているから」という身勝手なものらしい。
また、人間の宗教観の違いからも、黒猫は標的とされていた。

日本でも、黒猫の良し悪しというのは分かれている。
文豪に愛され、天皇家でも黒猫が飼われた記述が残っている一方で、ヨーロッパで未だ根強く残る「不幸の象徴」としての黒猫も存在しているのだ。

「黒猫が横切った」
そんな小さな出来事に深く悲観されてしまっては、黒猫はいつまでたっても報われないのだ。

ジジは静かに本を閉じ、月を見上げた。
悲しいかな、「にゃあ」と声を上げるだけで、それ以上何も言うことなどできない。
ジジは本を置き去りにし、図書館を後にした。

真夜中の外は、少しばかり冷える。
どこか温かい場所はないだろうか。

ちょうど、路地裏の室外機の上が空いていたので、ジジはそこに蹲った。
路地裏はちょうど高い建物に挟まれた場所であり、互いの影と影が重なり合い、星と月の光を遮っている。
路地裏とは、いうなれば地上に出来た深海なのだろう。
時折、建物の間から北風が通り過ぎ、「こんなところにいないで外へおいき」と囁くが、ジジは「嫌なこった」と言い返し、さらに身体を丸めるのであった。

だがそんな真夜中も、永遠に続くものではない。
星たちがうっすらとその光を隠し始め、朝露を溜めた葉の香りが街を覆い始める。

暁の到来だ。
ジジはすぐさま飛び起き、路地裏を出ると、適当な塀をよじ登って、見知らぬ家の屋根の上へと昇った。
水平線から、赤紫の光が一直線に伸び、夜に罅が入っていく。

ジジは、この景色を愛していた。
この暁の時、猫はみな黒猫となる。
太陽の強い斜光が何もかもを逆光にし、電柱も、煙突も、家も、人も、車も、全てが黒になる。

ジジには、この一瞬の光景が、世界に許された自分の時間なのだと感じていた。
この時間を、楽しもうじゃないか。
ジジは屋根から屋根へと飛び移り、踊るようにして駆け回った。

そんなジジの様子に、どこかの誰かがシャッターを下ろす。
ジジはそんなことお構いなしに、暁の中を踊り続けた。

黒猫は嫌われている。
ジジは未だにそう思っているようだが、小さな個展にて、自分が展示されていることを知らない。
その写真は丁寧に額縁で飾られていて、タイトルの横には金色の紙と仰々しい賞の名前が書かれていた。

「暁を駆ける猫」
夜と朝の間で踊る黒猫を映した一枚。
ジジは、知らぬところで愛されていることを、未だ知らないままでいる。

おわり。

『人は知らないところで、誰かに愛されているものですよ』
静 霧一

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