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狂喜なるオートファジー

先ほどまでの温かさがほんのりと彼の身体に残っている。
すでに心臓は止まっているはずなのに、その余熱のような温かさに、『まだ心は生きているのね』と、私は錯覚を覚えた。

私は、そっと彼の横に寝そべってみる。
太腿に指を当て、上半身までなぞっていく。
男らしい筋肉に、柔らかな唇。
そのどれもが愛おしく思え、それと同時に儚く消えていく寂しさを覚えた。

あれだけベッドの上で、彼と私は狂喜乱舞していたせいか、綺麗に敷かれていたシーツには皴が寄り、ところどころ体液が飛び散ったせいか濡れている。

私は彼のバッグから煙草の箱を取り出し、そこから一本、煙草を取り出した。ホテルのアメニティで置いてあるライターで、その煙草に火をつけ、灰皿の上に置く。
白い煙がゆっくりと立ち昇り、空気に溶けていくその様は、まるで私たちの愛を成仏させる線香のようであった。



彼との出会いは、俗にいうマッチングアプリというものであった。
『出会いをより簡単に』というフレーズに惹かれ登録してみたが、女性という性別と24歳という年齢だけを書きこむだけで、わんさかと遊びの誘いが来たことに笑いがこぼれた。

恋愛信者の私にとって、これほどいい釣り場はない。
私は自分をか弱い仔羊に見せかけ、餌をばらまく。
餌が毒とも知らずに、馬鹿な男たちはおいそれと簡単に誘いに乗り、力を入れなくとも釣竿を引くことが出来た。

そして数人の男と会い、その中の一人が彼であった。
見た目は良くも悪くも普通。
頭の出来も普通、仕事も普通、人生も普通。
お酒を飲みながら、明日の夜ご飯どうしようかと考えてしまうほど、彼の話は面白くなかった。
だが彼は、私が気を持っていると勘違いしたらしく、そのまま強引にホテルへと連れ込んだ。
私はその手を振り払うこともなく、『暇つぶしにいっか』と簡単に体を許した。

普通とは裏腹に、彼はベッドでは紳士的で、かつ獣であった。
私はこのギャップにはまり、彼と何度も会うようになり、何度も身体を重ねた。
だが最初ほどの興奮は訪れない。
いつしか私たちの関係は、破綻に近づいていく香りが漂い始めていた。

そんな香りを察してか、彼は毎日のように私にメッセージを送ってきた。
女々しい文章と、胃もたれしそうなポエム。
私はそんな見たくもない文章の羅列に唾を吐きかけた。
それでも彼があまりにも必死なものだから、私はその圧に負けて、『これが最後』と、彼と夜を共にした。

彼はまるで、月夜に吠える狼のごとく、荒々しく私を求めた。
彼の握る手の強さに、私は痛さと興奮を覚える。

「あぁ、そうよ。もっときて」
私は彼を受け止め、そして彼を貪った。

最後の咆哮が部屋にこだまする。
そしてそのまま彼はベッドに横たわったかと思うと、ぴくりとも動かなくなった。



彼が自分の命を懸けた営みは、私は身震いするほどの快感を与えた。
きっとこれ以上の快感を味わうことは出来ないだろうと感じさせるほどであった。

私は、彼の亡骸を横目に、ふと昔好きだった昆虫図鑑を思い出していた。
昆虫図鑑の中でも、最も好きなページがカマキリであった。
凛とした佇まいに、猟奇的なほどに冷たい眼。
これほどまでに完成した狩人でありながら、強者の性別が雌であるというのだから、私は驚き、そして憧れた。

昆虫図鑑には、カマキリの最も特徴的な習性がこのように書かれていた。

雌のカマキリは、交尾中にパートナーを食べてしまいます。これは歴とした生存戦略で、食べられた雄は雌の養分となり、より多くの卵を産むことを確認されております。食べられた雄に含まれていたアミノ酸の約90%が、生まれてくる子供たちに受け継がれ、より強固な個体を生み出すことも確認されております。

愛のための自己犠牲。
なんて、甘美な響きだろうか。

彼は私を愛して、私のためにその身を捧げた。
それであるのなら、私は彼の身体を無駄にしないためにも、彼を食べる義務がある。

さようなら、私を愛した人。
名前も覚えてはいないけれども、私はあなたの愛を無駄にはしないわ。
こう見えても、私はとても律義で、将来のことをちゃんと考えているの。

灰皿の上に置かれた煙草が燃え尽きて、灰となる。
私はバッグから、バタフライナイフを取り出した。

さようなら、私を愛した人。
私はナイフで、柔らかな彼のお腹をゆっくりと裂いた。

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