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静 霧一 『描写論争日和』

「おい、柏木」
 嶺崎はカランカランと下駄を鳴らし、黒い着物の上に着た羽織をはためかせている。
「なんだ嶺崎」
 柏木はいきなりの呼びつけにムッとし、スーツと同じ黒の革靴の先で、道端に落ちていた小石を蹴った。

 嶺崎は足を止め、羽織から出た白く細い手で指をさす。
 そこには、赤青黄緑の蛍光色にも近い色で塗られた家が四軒並んでいた。
 その西洋建築であるその軒並みは、日本の田園の広がる風景の中に異様な空気を醸し出している。

「お前は、この景色をどう描写する?」
 嶺崎はにやりと笑いながら、柏木に問う。
「なんだいきなり。小説の勝負でもしようってのかい?」
 柏木はけらけらと笑い、懐から一本の白い煙草を取り出し、口に咥えて火を灯す。

「ふん、貴様の意味不明な描写を正してやろうと思っただけだくそったれ」
 嶺崎は煙草の煙を嫌い、そっと羽織の裾で鼻の穴を覆う。
「そんなら嶺崎大先生、あなた様のお手本とやらをこの愚鈍な貧乏物書きに見せてくださいませ」
 柏木は手を胸に当て、仰々しく頭を下げる。

 顔を上げたかと思うと、笑いながら空を見上げ、肺に溜まった煙草の煙を一気に吐き出した。

 ◆

『融合』 即興描写:嶺崎 九十郎

 私は日本にいるはずであった。
 決して、ベネチアやギリシャといった、地中海にいるわけではない。
 視線を遠くへと飛ばせば、そこに広がるのは、昔と変わりない田園と清流のある日本の原風景だ。

 それなのにだ。
 それをぶち壊そうとする西洋の革命が、この原風景に侵略しているではないか!
 しかも、それの登場の仕方ときたら、非常に心臓に悪いものだ。
 米粒ほどの心臓の私では、とても耐えがたい苦しみさえ感じる。

 そう、私はいつものように階段を下りた。
(いつものようにと謳っているが、ここに来たのは初めてである。)
 たしか20段ほどであっただろうか。
 不均等に並んだ石段についた小さな苔を踏まぬように慎重に下りたのだ。

 人間、石と苔なんぞ見たら、その先はもっと遥かなる自然が広がっているものだと考えてしまうだろ。
 だが、最後の石段を降りた先、私が脳みそが考えていた景色はそこにはなかった。

 田園、清流、砂利道を挟んで現れる4色の西洋建築。
 なんたる異質であろうか。

 それはまるで、幼き頃に見たカステラと同じほどの衝撃がある。
 カステラ、そうだ、あそこに並んでいるのは赤青黄緑に色付けされたカステラなのかもしれない。
 唯一開港されていた長崎にも、実はカラフルなカステラというものがあったのではないだろうか。

 そう思えば、開国した日本にこのような建築物があってもさほど不思議ではない。
 カステラが庶民でも口に出来るようになった今、私はカステラを見ても特段驚くことはない。
 私と西洋の文化と価値観が融合していないだけなのかもしれない。
 これはこれで、また新たな美術的な建築模様なのかもしれない。

 あぁ、なんと私は器量の小さい男なのだろうか。
 本能の拒絶をそのままに、私は西洋の色に触れる。
 恐る恐る触れた指の腹から色が入り込み、灰色の細胞を極彩色に染めていく。
 私は眩しく反射するその壁面を、自分の赤い舌でぺろりと舐めた。

「嗚呼、なんと甘ったるい砂糖菓子だ」

 ◆

「さすが、嶺崎大先生だ。可もなく不可もない、万人が喝采を送りそうな描写ではありませんか」
 相変わらず柏木はけらけらと笑っている。
 その様子に嶺崎はムッとした。

「ではなんだ、癖の強い描写だけが"個性"などと宣うのか貴様は。それではまるで雑味を濾さない灰汁の浮いたスープのようではないか。野蛮極まりない。私の描写は普通ではない、"洗練"だ」
 嶺崎はここぞとばかりに柏木に説教を垂れた。

「味も腰もなくなった洗練とは滑稽だね。洗練は、凡人の理解を誤解させる劇薬だ」
 柏木の一言に嶺崎はぐっと言葉を抑えた。
「柏木、そんなことを言うならお前はどう描写するんだ?」
 嶺崎は柏木に問いかける。

 柏木はいやらしくにやりと笑った。

 ◆

『擬態』 即興描写:柏木 百景

 まことに、まことに仰天である。
 それは子供の頃、ひらひらと舞った蝶々を虫網で捕まえ、いざ指でつまむと、それは肉厚な羽に異様な紋様を描いた蛾であった時ほどの仰天以来の驚きである。

 私が棒立ちで仰天する視線の先、そこには蛾が止まっている。
 いや、佇んでいるというのが正しいのかもしれない。
 赤青黄緑と蛍光色に塗られた4軒の家の壁面は、まさに蛾の紋様に抱く嫌悪感のそれと酷似している。
 反対に広がるのは田園に清流であるというのに、よくこんな人が嫌悪する色を塗れたものだ。

 私はよっこらせと、道の側面にある小さな石垣に、家を背にして腰を落とす。
 綺麗な田園を眺めていると、そこにひらひらと可愛らし紋白蝶が舞っていた。
 蝶々とは綺麗ではあるが、どうも心を動かされない。
 それは子供の頃、あの強烈な思い出によって、知りもしなかった蛾の生態を知ってしまったからに違いない。

 そもそも蝶と蛾とは似て非なる生物である。
 姿形が似ているというだけで一緒くたにされているが、これは専門家でも意見が分かれているらしい。
 陽のもとに生きる蝶と月下に生きる蛾。
 まさに目と耳の小競り合いとでも言うべきだろうか。

 まぁ、そんなことはどうでもいい。
 私とて、昆虫学者のように、ぺらぺらと舌を百枚にも二百枚にも増やしたくはないのだ。

 さきほどの紋白蝶がふと、私の体一つ分ほど先の石垣の麓に生えている躑躅(つつじ)の花びらの上に止まり、羽を閉じて一生懸命に蜜を吸い始めた。
 なんと呑気なもんだろうか。平和ボケした、小綺麗に着飾った日本人そのもののようだ。

 ふと、視線をずらす。
 石垣の影に、何やら見覚えのある影が音もなしに、紋白蝶の鱗粉の匂いを嗅ぎつけたのか、ゆっくりと近づいている。

 私はその光景を静観した。
 紋白蝶は触覚をちょこちょこと動かしているが、その陰の存在に気づかない。
 その様子に「こいつは馬鹿な獲物だ」と思ったのか、その影は大胆にも石垣の上に乗り、全貌を現す。
 それは何とも、大きな緑の蟷螂(かまきり)であった。

 蟷螂は紋白蝶に近づいていくが、相変わらず蜜を吸ってばかりで、自らの命が危険なことなど気づいてもいない。
 蟷螂が紋白蝶に鎌を構える。

 ぐしゃり。そんな音がしたかのように思えた。
 ほれ見たことか。

 凄惨な光景から視線を外し、私は背中越しの4軒の家を見た。
 相変わらずに好かない色をしているが、あれはあれで天敵が近づこうとしない擬態のようなものなのかもしれない。
 そんな擬態を「気持ち悪い」と遠ざけ、平和だのなんだのと心地の良い日向で寝そべってばかりでは、気づかぬうちに喰われてしまうのが顛末だろう。

 いや、もうすでに喰われているのかもしれない。
 あぁ、いやだいやだ。
 なんとまぁ、日本人とは小綺麗な擬態をした阿呆だこと。

 ◆

「おい、柏木」
「なんです?嶺崎大先生」

「貴様は日本人を馬鹿にしているのか?」
「いやいやとんでもない。私はただ能天気だと謳っただけだよ」
 柏木は吸い終わった煙草を、小さな吸い殻箱にしまうと、もう一本煙草を口に咥えた。

「ふん、だから貴様の小説はいつになっても売れないのだ」
 嶺崎は、下駄で道端の小石を蹴る。
 ころんころんと転がった小石は、田んぼの縁を通る用水路へと落ちていった。

「そうかい?言えないことを書けない小説などただの戯言(ざれごと)だと思うがね」
 柏木は、口を開けて笑う。
 口から、白い煙草の煙が漏れ出し、宙へと溶けだしていく。

 相変わらずに、風の音だけは心地よいものであった。

 おわり。


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