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23時55分。
私は意味もなく、踏切に寝そべっていた。
青色の蛍光灯が妖しく光り、備え付けられた看板には「今ならまだ間に合う」という赤文字が書かれているが、そのペンキもところどころ剥げ欠けている。
空は雲一つなく、冬の星空がきらきらと輝いていた。
息を吐けば白くなるほどに、外は冷たい。
ついこの間まで半袖で過ごしていたのに、11月に入った途端、すぐに冬が顔を覗かせている。
いったい、あれだけ私たちが恋焦がれた秋はどこへ行ってしまったんだろうか。
そんな私の季節への余韻を邪魔するように、携帯のバイブがまるで生き物のように鳴り続けている。
バッグの中で上下しながら蠢くそれは、まるで蠅のような有様だ。
私はあまりの煩わしさに、携帯をポケットから取り出し、画面を開く。
そこには母からの30件の不在着信と、どうしようもない短文の罵倒が50件ほど溜まっていた。
私が恐怖に硬直していると、またも携帯がバイブし、画面には母の携帯番号が表示された。
私の視界の端に、黒い虫がちらちらと飛び始める。
やめろ、やめてくれ。
蠅の王の子供に、私は蝕まれている。
母の名を見るたびに、私の身体の奥で、何かが這いずり回るような不快感がするのだ。
全身が痒くて、皮膚が千切れるほどに、爪を立てて引っ掻いてしまう。
おかげで、私の身体はありもしない痒みで傷だらけなのだ。
携帯は相変わらず、鳴くのを止めず、私の手の中で暴れている。
私は寝そべりながら、その携帯を思い切り線路に向かって投げつけた。
携帯の画面がバリンと割れる音がしたが、それでも遠くでまだバイブが鳴っている音がする。
本当にしぶとい蠅の王だ。
着信が留守電に切り替わったのか、バイブの音が消え、あたりはまた静寂に包まれた。
私は、ふと昔のことを思い出した。
まだお父さんがいた頃は、家庭内は平穏な毎日が流れていた。
平日はなかなかかまってもらえなかったが、休日になるとお父さんは必ず私をどこかに連れて行ってくれて楽しませてくれた。
そんなお父さんは、ある日突然この世を去った。
母が狂い始めたのはそれからだ。
いや、もしかしたらあれが素なのかもしれない。
お金だけはあるようで、やれ習い事だ、やれ勉強だと、とにかく私に押し付けた。
私が行儀よくしなければ殴りつけ、テストも100点以外は許されなかった。
そして今日、私は逃げ出した。
限界であった。
こうやっていると、案外世界は広く見えた。
きっと母も、お父さんがいなくなったことで、母子家庭というコンプレックスを抱えていたのかもしれない。
少しばかり同情心も芽生えたが、それでも母を許すことは出来なかった。
遠くで踏切の鳴る音が聞こえた。
その音は心地よく、私を心に染みわたっていく。
いつもなら引いてしまう警報音なのに、今日は何故だか心地よい。
汽笛の音が高らかになる。
あぁ、これは福音なのか、警笛なのか。
もうどっちでもいいや。
頭を傾け、視線を踏切の向こうに移す。
踏切の外では、二足歩行の黒山羊が手招きをしながら、私を誘っている。
黒山羊の顔は微笑んでおり、私もそれにつられ微笑んだ。
あなたは私を必要としてくれるのね。
私の求めた、平穏を与えてくれるのね。
車輪の音が近づく。
私は目を閉じ、神様に祈った。
どうか、蠅の王に復讐できますようにと。
終末の電車は、私をあっけなく連れて行った。
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