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言葉にする愛情と言葉にしない美学

 僕達は、もっと早くから知ってればよかったと後悔することが多い。

 僕の場合、最近『SUPER BEAVER』というバンドを知って、そんなことを思った。

 ミュージックステーションに出演なさるぐらいには有名な方であり、もちろん曲も最高なので聴いてほしい。(僕の好きな歌は『東京』。ジャケ写をLINEのホーム画面にしてるぐらいだ。)

 そんな『東京』という曲に、こんな一節がある。

「重ねる年 建前と本音との間に 僕ら思い出話を置いてきたこともある」

 あらかじめ言っておきたいのだが、別に僕はこの歌詞の考察をしようとか、どういう気持ちで作ったんだろうかだなんてことを考えたくはない。

 僕の領域に音楽の制作はないが、僕も1人のクリエイターだ。作品が全てである以上、そこに無駄な考察は不要だろう。

でも、この言葉。凄くない!?

すまない。取り乱してしまった。忘れてくれ。
さて、話を戻そうか。

 建前というのは、よく悪いイメージで使用されることが多い。例えば、意中の女性に「休憩したいからホテルに行きませんか。」と建前をつき、本当は…という構文がよく使われる。

 でも、本来「建前」という言葉は、嘘とは違う意味を持つ。「建前」という言葉は、本心を隠す為に遠回しに気持ちを伝えるということである。

 皆さんが言いたい気持ちはなんとなくわかります。

 何が違うの?と

 安心してください。僕もそっち側でした。建前=悪いイメージというのが、性欲の強い男や性格の悪い女のせいで根付いていた。

 そもそも。なんで、本心を隠すのはいけない事なのだろう。そもそも。なんで嘘はいけない事なのだろう。答えは簡単だ。それによって、人が傷つく場合があるからだ。人が傷つく以上、それはいかなる理由があっても許されることではない。

 詐欺罪。傷害罪。侮辱罪。この世に、騙した人を罰する法律はたくさんある。それが罰せられるかどうかは別として、そういう法律があるのだから嘘🟰悪という原型が成り立っており、それは今後も変わらない。

 じゃあ、正直に言えば全て丸く収まるのだろうか。好きな人に「SEXしたいから、ホテル行こう。」とか言えば許されるのだろうか。好きな人に「好きです。結婚してください。」とだけ言って、告白が成功するのだろうか。

 きっとそうではないだろう。どうやら、正直すぎるのも良くない様だ。

 じゃあ、自分の気持ちをどう伝えれば等身大の気持ちを伝えられるのだろう。相手の機嫌を損ねないで済むのだろう。この世に、心理学という学問があるが僕達はその学問のエキスパートではないし、メンタリズム的な物も持ち合わせていない。自分の中にある知識と情動で、相手を揺るがすしかない。一体どうすればいいんだろう。

 なんてことを考えていながら、仕事に使えそうなネット記事を模索していた所。目を引く記事を見つけた。 

 訳あって、ブルームーン(暦の上での1ヶ月の間に訪れる2回目の満月のこと。)を調べていたら、なんとブルームーンというカクテルがあった。そして、カクテルには「カクテル言葉」というのがあるということも分かった。 

 ちなみに、ブルームーンのカクテル言葉は、「叶わぬ恋」「奇跡の予感」。どっちだよ!って思った方。それは飲んでる人にしか分かりません。

 〇〇言葉っていうのは、人間ってこんなにも口下手なんだって思うほど色んな物に散りばめられている。代表的な「花言葉」「石言葉」に始まり、「魚言葉」「鳥言葉」「虫言葉」等なんでも存在する。それは、なんとか庁が具体的に定義づけた物ではなく、要するに一人間がオシャレだからつけたに過ぎない。言わば、言葉のドレスコードだ。

 簡単に言えば、僕達でも作れる。

 例えば、仕事の簡易的なお礼のつもりで、コンビニでスイーツを買って渡したとして、そのスイーツ言葉は「あなたともっと喋りたい。」かもしれないし「別に1人で十分。」かもしれない。

 付き合っている高校生同士が自販機で炭酸飲料を片手に談笑していたら、その炭酸飲料言葉は「青春の恋。」かもしれないし、「あなたとこれからも。」かもしれない。もしかしたら、「すぐ消えちゃうね。」かもしれない。

 そう。物というのは言葉の暗喩であり、その意味はきっと言葉に出さない方が美しいのだ。

 もちろん、言葉に出せる愛情ぐらいは出しといた方がいいと思う。「好きになったら負け」だの「純愛は隠しておいた方がいい」だの、恋愛マスターを気取った評論家はそう言うが、僕の経験上、告白して後悔したことはない。むしろ言わなくて後悔した事があるぐらいだ。愛情に勝ち負けなんかない。そんな物なんて、どうとでもひっくり返せる。ひっくり返せた人間が正義だ。

 でも、ひっくり返さない方がいい愛情もある。ひっくり返したら陳腐になっしまう愛情もある。

「何を喋るかは知性で、何を喋らないかは品性」

 僕の大好きな言葉だ。そこら辺の感性も含めて、僕達は人と会って、言葉を貰って、時には感じ取って、そして磨いていかなければいけないのだ。

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