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俗世から離れた物と今のテレビがなぜつまらないのか

 大学のゼミでイノベーションマネジメントを専攻していた時のこと。新しい商品プランを考えている時に、先生からこんな事を言われた。

「ターゲットはできる限り絞れ。」

 理由は至極簡単な物で、母体が大き以上はどれだけターゲットを減らそうが数は多いし、面白い物であれば必ず買ってくれるし伝染するからだ。

 例えば、「日本に住む、30代の男性で、独身。動物を飼っている」人に刺さる商品を作った場合、たぶんこの条件に当てはまる人は多く見積もっても300万人ぐらいだろう。知らんけど。

 でもこの人達が1万円の商品を買ったとしたらそれだけで300億円の売り上げであり、そこから製作費とか諸々引くとすると、残る金はざっと1000万とか?知らんけど。

 とにかく、世の中において絶対的に正義なのは「八方美人」よりも「一点集中」であるという事を僕はそのゼミで学んだ。

 ここ最近。というか、ずっと昔から言われてる事なのだが、テレビが詰まらなくなってきていると言われている。

 けれど、僕はこの理論がよく分からなかった。

 昔から、つまらない番組はあったし、面白い番組は今も昔も変わらずに見ている。面白そうなドラマはリアタイしているし、今の時代は見逃し配信もやっているから気になった番組は時間がある時にパッと見る様になった。

 何がつまんないの?と思ったが、ここ最近そんな理論が分かる様な出来事が起きた。

 昼の情報バラエティ番組を見ながら昼食をとっていた時のこと。その日の番組内容は、駅チカ(駅の地下にある高級百貨店)の特集だった。

 1つ500円もするコロッケを頬張りながら「美味しい!」だなんて言ったり、1つ3000円もする弁当を食べて「今まで食べた弁当の中で1番美味い」だなんて、テンプレートの様な感想を言うタレントを横目に睨みながら、僕は思った。

なんで、300円の従食を食べながらこんな物を見なきゃいけねーんだよ!飯が不味くなるわ!

 と、テレビに出ている演者に中指を立てながら、そのテレビを見ていた。

 他の番組を見ないんかい!って思った方。他に見ている人もいたし、僕にチャンネルを変える権限はありません。23歳の若輩者にそんなに威圧的にならないでください。

 まあ、それは置いといて。とにかく、僕はその番組を見て嫌悪感と憎悪しか感じなかったのである。

 一体なぜ、この番組はこんなにも詰まらないのだろう。もしかして、僕の心が醜いからか?貧乏だからか?ひもじいからか?

 なんて思ったが、僕が大金持ちでも悟りを開いていてもこの番組は詰まらないと思うだろうし、詰まらない物はつまらないのだろう。どうやら、他に理由があるはずだ。

 ポイントになるのは、きっと嫌悪感と呼ばれる物だろう。

 僕はその番組を見た際に、「見たくない!」と思ってしまった。それはなぜか。僕にとっては知りたくない情報であったからだ。

 簡単な話、その番組のターゲット層に僕は含まれていなかったのだ。

 詰まらない番組と、喉を通らないまかないを食べながら僕はいろいろと考えた。

 僕にとっての面白いってなんだろう。僕が作りたい面白い物ってなんだろう。どんな面白い物を作れば世間にウケるのだろう。

 そして1つの答えに辿り着いた。

 僕みたいに、面白い物を見て現実を忘れたい人がいる。僕みたいに、少しの間だけ仕事を忘れたい人がいる。僕みたいに、笑いでエネルギーを蓄えたい人がいる。

 それなら、自分達の世界とは隔離した場所で生み出される面白い物が1番適合しているのではないだろうか。

 年収も生い立ちも。もっといえば、人種も政治も宗教もいらない様な笑いを生み出す事ができれば最強なのではないだろうか。

 そんな境地に辿り着く為には、自分自身がそんな境地に辿り着かないといけないのだろう。

 周りの意見とかに左右されずに、もっと自分自身を信じてみようと思った。

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