効率性と確かにゲームはやらなくなった

 小学生の頃。Wiiにどハマりしていた。

 このソフトにハマった!というのは正直覚えてないけれど、僕の礎にゲームがあるのは確かだと思う。

 ただゲームは下手くそだったので、兄弟の中で「大乱闘スマッシュブラザーズX」はいつも最下位だったし、「ちびロボ」とかその辺りのハートフルなストーリーゲームを中心にやっていた。

 当時は、「たぶん、大人になってもゲームやっているんだろうなぁ」と思っていた。それぐらいゲームが好きだったし、ゲームさえあれば幸せだった。

 そんな子供が、大人になってどうなったか。

 びっくりするぐらい、ゲームをやらなくなった。

 勘違いされそうなので一応注釈しておくが、ゲームなんて無くなればいいと思っている野蛮的原始人とは一緒にしないで欲しいし、ゲームをやれるんだったらやりたい。SwitchやPlayStation5を買えるだけの資金的余裕もある。

 じゃあなんで買わないのか。と言われると、言い訳にも満たない理論しかでない。仕事が忙しくて時間的余裕がないから。ゲームを心から楽しめるほど精神的余裕は無いから。ゲームで食っていくと言えるほど博徒では無いから。

 自分で言って悲しくなるほど、あの頃に馬鹿にしていた大人に当てはまってしまったなぁ。と思う。

 ゲーム的に表現すれば「レベルだけ高くて他に何も無い存在」と言えばいいだろうか。そんなレベル23(歳)になってしまった。

 ゲームの楽しさってなんだったのだろう?

 大人でもゲームを楽しめる人はどんな人だろう?

 なんで、大人になるとゲームが楽しめないんだろう?

 なんでそこに僕はいないんだろう?

 たぶん、ゲームと仕事を両立できる大人は魅力的な人だし、自分の人生の楽しみ方を知っている人間の様な気がする。そんな人はきっと少数だろうけど、どうにかして僕もそこに食い込みたかった。

 その上位層に入りたい理由はいくつかある。ゲームほど手軽に非日常感を味わえる物は無いから。ゲームを楽しめる人は心が裕福な気がするから。最近、本とパソコンとノートの往来に退屈さを感じたから。一見スマートなやり方でも、行き詰まりを感じるから。想像力豊かな人はなぜか共通項としてゲームをやっているから。きっと、ゲームから学べる事もあるから。

 自分で決めた人生だ。何事も後悔なんか感じない。はずだった。どうして、子供時代が愛おしく感じるのだろう。

 さて。一個一個考えて行こうか。

 ゲームの楽しさ。なんていちいち説明しなくても分かると思う。けれど、1番の魅力は「現実の見方を変えてくれる事」だと思う。

 凡才でも、努力を積み重ねれば夢を叶えるかもしれない。主人公一人の勇気が、世界を変える事もあるかもしれない。自分の決断が、未来を変えるかもしれない。

 創作物の域を出ない以上、「かもしれない」からは出られないのだが、それでもこんな人生もあるかもしれない。じゃあ今の人生をもうちょっとだけ頑張ってみようか。という数%の希望を持たせてくれるのがゲームの良いところであると思う。異論はたくさんある。それを認めるかどうかは別の話だが。

 大人でもゲームを楽しめる人はきっと時間の使い方が下手を通り越して上手いのだろう。

 だって、ゲームに限らず今の世の中は、自分の人生を変えてくる勢いで効率性を求められるんだから。

 仕事も、家事も、ましてや趣味も、何かと効率重視が求められ、時間を短縮するためにお金が使われる時代。ゲームもその影響を少なからず受けている。

 ソシャゲ(ソーシャルゲーム)と呼ばれるゲームはその最たる例で、普通はキャラを集めて強くなるのに時間がかかるのがゲームなのに、課金をすれば強くなってしまうのが今のゲームだ。

でも、それってゲームの楽しみ方を狭めていないだろうか。

 僕が子供だった時のゲームと言えば、アイテム集めやレベル上げにめちゃくちゃ時間がかかった物だ。でも、そのおかげでゲームの世界観やストーリーの楽しさ。ゲームBGMやグラフィックを楽しめた。

 でも、ソシャゲにはきっとそれが無いのだろう。だから、アプリゲームはすぐサービス終了するし、アプリゲームで話題に上がるゲームは数少ないのだろう。

「文化の敵」は「効率の良さを求める社会」なのかもしれない。

 コロナウイルスが満映して緊急事態宣言が出された時に、都知事が「必要最低限の外出をしてください。」と言って、お笑い単独ライブや音楽イベントイベント。アーティストパフォーマンスや劇団公演などが規制された。

 正直に言って当たり前だと思った。そもそも、こういった文化は別に無くても困らないし、日本の住人が窮屈な生活をしている以上「楽しめる心の豊かさ」が無いのだから、そこに来たところで笑顔は生まれにくい。コンテンツを楽しむ為には、まず見る側に楽しめる余裕が無いといけないのだ。

そう考えると、演者と視聴者の心の豊かさはバランス的に釣り合ってなければならない。

 演者には「お客様を楽しませる心の余裕」が。視聴者には「演者が作ってくれた物を楽しめる余裕」が。両方同じ様な感じで釣り合ってなければ、きっと「良い作品だったな。」と思う瞬間は生まれない。大事なのは、自分の生活にゆとりを持つ事なのだろう。

 要するに。僕がゲームをやれていないのは、今の生活がキツキツなのだろう。

 さて。どうやって時間を作ろうか。考えなきゃな。自分なりに考えないと人生は切り開けないのだから。


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