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【03】「告白は日本文化」と知ると違和感が見える

一般的な恋人の作り方は何だろうか。

勇気を出して気になる人を誘って、何度かデートを重ねて、いい雰囲気の中で「好きです、つきあってください」と告白する。世の中の多くのカップルはこのような経験をしてきたであろう。

実は意外と知られていないのが、欧米圏を中心に「告白文化」は存在しない、すなわち「告白は日本文化」ということだ。

はじめて聞くと「どういうこと?」と思うだろうが、その実態や心の中を知ると違った世界が見えてくる。ここからはぜひ偏見をできるだけ少なくして読んでほしい。

◆カップルの「なりかた」

少なくとも日本では「カップルになる」ためには「告白」をするのが一般的である。

タイトルでは「日本文化」と称したが、これはほぼ間違いない事実である。詳しく話を聞いたわけではないが、日本から近いアジア圏では「カップルになる」ためには「告白」をするもの、という文化があると見てよいだろう。

では、欧米圏ではどうなのか。その形態は様々であるが、いずれも知らないうちに「カップルになっている」というスタイルが基本である。

日本では「今日からカップル!」というように、恋人とそうでない関係の線引きがはっきりしている。それに対して欧米圏では、そのような区切りはなく「グラデーション」のような恋愛関係である。


では、欧米圏ではどうのように「カップルになっている」のだろうか。

同じ欧米圏でも様々だが、一般によく知られているのは「デーティング期間」を経て「カップルになっている」、というものだ。日本文化では「つきあう前のデート」ってやつに相当する。

気になる人を誘い、「この人と私は相性が合うのかな?」とデートを通して確かめる。「いいな!」と思ったら次も誘い、何度もデートを重ね、そのうち深い関係も築いていく。

そして、「私たちってここまで一緒にいて相性もいいし、もうカップルだよね?」みたいな感じで「カップルになっている」のである。

文化によって異なるが「この人は俺のガールフレンドだぜ」みたいに紹介されたときにはじめて恋愛関係が意識されるパターンもあれば、日本語の「彼女」に相当する特別な呼称で呼ばれたらゴールみたいなパターンもある。

ただ一貫して日本のように「つきあってください」という告白を経てめでたく「カップルになる」ことはレアケースだろうだ。

もし相性が合わないと感じた場合は「私たちは相性が悪そうだね」と関係を終わらせる。

ちなみに、このデーティング期間は1対1とは限らない。常にライバルと隣り合わせた。

1人の人が複数の気になる人に同時に声をかけて、日を異にして複数の人とデートをする。そして、自然ともっとも相性の合う人に絞られていくのである。

また、デートの回数や関係性によっては「カップルになっていない」のにキスをする、体の関係を持つ、なんてことは普通にあるそうだ。彼ら曰く、「カップルでも体の相性が合わなかったら大変でしょ?」ということだ。

◆日本人から見た違和感

昔から告白を経て「カップルになる」ことに慣れている日本人にとって、この「デーティング期間」はなんとも受け入れがたい。

例えば、何回もデートを重ねた「かなりいい感じの人」がいたとする。それなのに面と向かって「好き」って言ってくれないし、どうやら相手にはほかにも気になる人がいるなんてなれば気が気でない。「私のことは遊びなの? 本気なの?」と疑心暗鬼にもなってしまうだろう。

お互いに意識し合って、「かなりいい雰囲気」の2人にとって「告白」がないことほど不安定なことはない。告白をする勇気がある人にとっては、もはや「出来レースの告白」をするだけなのでそんなことは問題にならない。

しかし、告白をする勇気がない人にとっては恋愛でもっとも楽しい時期であり、同時にソワソワするときでもあろう。

さらに、「カップルになっていない」のにキスをする、体の関係を持つ(しかも複数の気になる人と同時並行に)なんてなれば、もう生理的に受け付けない人もいるかもしれない。そういう深い関係は告白を通してお互いを確かめ合った人とでないと、と。そう考える人が多いだろう。

◆告白文化の違和感

では、日本の告白文化の違和感は何だろうか。日本人にとっては違和感のかけらもない告白文化であるが、「告白はしないもの」と考えて冷静に分析すると違和感が見えてくる。この6つについて考えてみよう。

・デートに誘うのに「好き」をひた隠しにする
・「つきあう前のデート」というパワーワード
・告白ではじめて「好きです」と伝える
・ギャンブル告白の存在
・告白で生まれる「契約」の関係
・体の相性が合わなかったらどうするのか

・デートに誘うのに「好き」をひた隠しにする

「好き」という気持ちは隠す人が多い。告白で初めて「好き」と言うからだ。だからこそ恋バナは盛り上がり、お互いに気持ちが同じとわかったときには幸せな気持ちになれるのだ。

ただ、恥ずかしさも相まってなかなかその気持ちを伝えられないのもまた事実。好きな人がいるけどデートに誘う勇気がない、なんて人も多いだろう。

ここには、「好きって気持ちを隠したい」、けど、デートに誘うことで「好きって気持ちを隠せなくなる」というジレンマが生まれている。

「気になる人がいてデートに誘いたいけど、それってもう『好き』って言ってるようなものでしょ」っていう気持ちだ。

たぶん多くの人が抱えたことがあるモヤモヤではないだろうか。

告白文化では「告白」を経てお互いの気持ちが確認されたことになるので、「告白」の前に「好き」と言うようなことには抵抗がある。

でも、告白がない文化があると考えると、最初のデートに誘う、というプロセスは非常に自然な説明がつく。好きだから、気になるからデートに誘ってみた、素直にそれだけである。また、デートに誘われた側も相手に好意を寄せられているから誘われた、ただそれだけのことだ。

・「つきあう前のデート」というパワーワード

「好きな気持ち」を隠しているのにデートをする、「つきあう前のデート」って言葉、何だか違和感がないだろうか。

なんとなくデートは好きな人同士でするもの、というイメージがある。だから、「好きな気持ち」をひた隠しにして行われる「つきあう前のデート」という概念は矛盾しているように思えてしまう。

好きだから相手を誘ったのに、絶対に「好き」という言葉を出さない、デートのまねごとのようなデート。それが「つきあう前のデート」という言葉に集約される。

・告白ではじめて「好きです」と伝える

告白文化では「カップルになる直前」にはじめて「好きです」と伝える。このことは、だんだん人を好きになる、という至極自然な人間の心理からかけ離れていることに気づくだろうか。

一目惚れはさておき、人を好きになるときは相手の内面を知りながら「徐々に好きになる」のが普通である。男性は電子レンジ型、女性はオーブン型なんてことが言われるが、それでも「好き」はグラデーションであり、お互いに惹かれる部分が多く見つかって、その時間が長くなるほど「好き」の度合いが大きくなっていく。

しかし、「カップルになる直前」にはじめて「好き」と伝えるとすると、どうだろうか。冷静になって考えると、どこかでスイッチが入ったように「普通→好き」に切り替わったようになる。

少し極端な例をあげると、例えば9月15日に告白して「好きです!」と言ったとする。そのとき、「9月14日の時点では好きじゃなかったの?」となってしまう。

ややへりくつのようでもあるが、「告白」という行為と「好きになるプロセす」には大きな矛盾があるようだ。

・ギャンブル告白の存在

現実ではどれくらいあるかはわからないが、「学校のアイドルみたいな子が次から次へと告白を断る」みたいな話は聞いたことがあるだろう。学園もののラブコメではお馴染みの展開である。

要は、つきあえるかどうかわからない、絶対につきあえないのに「カップルになろう」と言ってしまうギャンブルが告白文化によって生まれてしまうのだ。

だってそうでしょう。1回もデートをしたこともない関係でつきあえるわけがないし、相手のことをよく知りもしないのに「カップルになろう」とする。

どう考えても成功しない「カップルになろう」発言は、「告白文化」から生まれているような気がしてならない。たまたまお互いに意識し合っていてつきあえたとしてもそれは単純な運、ギャンブルで大当たりしただけである。

・告白で生まれる「契約」の関係

告白によってカップルとそうでない関係を明確にわけると、ある種「契約」のような関係が生まれる。

何が問題になるかというと、出会ってからの関係が浅いのに「カップルになった」のに、つきあってみたら相性が合わなかった、という場合である。どう考えても相手を間違えているので別れるのが賢明であるが、告白をしてしまったがために「契約を破棄する」ようなことをしなければならない。何だか大変な倫理に反することをした、と思う人もいるかもしれない。

告白文化がない場合は、何度かデートをしてみたけど合わなかった、だからもう関係は持たない、とそれだけのことである。

「別れる」という事実だけ見たら同じであるが、告白文化は契約破棄のような気持ちが生じるのである。

・体の相性が合わなかったらどうするのか

人によってはこれで苦労した人もいるのではないだろうか。

一般的に日本では体の関係を持つのは「カップルになってから」と考えられている。しかし、カップルによっては体の相性って結構重要な要素になり得る。

それが原因で関係が悪化してしまうこともあり得るし、恋愛感情はあっても性的欲求は抱かない、という人も普通にいる。

体の関係を持つのか、持たないのか、持つ場合はお互いの相性が合うのか。それを「告白」というある種の契約のあとに初めて確かめることになるのは博打に近いかもしれない。

◆告白のハードル

ここまで私が感じた告白の違和感を並べてみたが、決して私が日本の告白文化を批判したいわけでもないし、欧米圏のデーティング文化を賞讃しているわけでもない。

それぞれに良さがあり、どちらでも恋愛のときめきを感じられることは間違いない。

ここでは、告白のハードルについて述べて文章を締めくくることにする。

男子の草食化をはじめ、日本では恋愛に対する興味が少しずつ少なくなっている。恋をしたいけど、アプローチの仕方がわからない、なんて人もいるだろう。

恋愛する人が少ない原因としては、アイドルや二次元キャラクターなどの存在、ゲームやギャンブルなどの中毒性のある楽しみなど、恋愛よりも楽しい娯楽の発達がよくあげられる。

しかし、もう一つの背景として、私は告白文化の存在を付け加えたい。

主に恋愛をしたいけどどうしたらいいかわからない、という人にとって、欧米圏のデーティング文化には心地よさがあるかもしれない。下手な駆け引きなどをせずとも、気持ちをオープンできるからだ。

その意味で、恋愛体験や性経験の減少はこれらの告白という1つの大きなハードルが寄与しているのかもしれない。

……と考えると、最近話題のマッチングアプリなどは「好き」という気持ちをオープンにしていられる場。ひょっとしたら「恋愛したいけどできない」を解決する打開策になるかもしれない。

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