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子どもたちと接するときのスタンスについて

先日Facebookにて、「久々に長文が書きたいからお題をください」とポストしたところ、多くの方から様々なリクエストをいただいた。(後半は大喜利と化していたが...笑)
自分の文章力を向上させたいということもあり、時間を見つけて1つずつ書いていこうと思う。
というわけで、今回のテーマは「子どもたちと接するときのスタンス」について」

CoderDojo を6年間以上やっていると、ほぼ毎週何かしらの形で子どもたちと関わることになる。最近では小学校へ行ったりする機会も増え、ますます子どもという存在と一緒に過ごす時間が増えている。
そして、多くの場合僕は「教える人」の立場であり、子どもたちは「教えられる人」という気持ちで接してくる。

僕は自分が授業をしたりワークショップをしたりするときには一人称を「先生は〜」とは言わない。自分のことを先生とも思っていないというのが正直なところである。これは CoderDojo のスタイルが大きく影響している。僕はあくまでも君たちと同じ人間である。少し年上ではあるが君たちと同じくプログラミングが好きで知識があるだけだから、一緒にやろう!くらいのスタンスでいる。だから CoderDojo Kashiwa で子どもたちに「先生」と呼ばれると「先生じゃないよー」と毎回返している。基本礼儀としての敬語を用いて「宮島さん」とか呼んでくれれば、それくらいで十分なのだ。

 CoderDojo のような自由に学ぶことができる場は、教える側と教わる側の入れ替わりが頻繁に起こるべきだ。自分が知っていることを知っている人に聞いたり、アドバイスを求める。それは年齢や性別は関係なく、スキル一本勝負の場である。どの分野かは関係ない。プログラミングのスキルが高くても最新のYouTuber事情は知らないかもしれないし、アニメには詳しくても音楽の知識は乏しいかもしれない。「教えるー教わる」の関係が固定化されると、そういったことは起こらなってしまう。できるだけ自由にするためには、「先生」と「生徒」という役割から解放する必要がある。
その代わり、子どもたちとは真剣に向き合う。彼らも自分の中の精一杯の力を持ってぶつかってくるのだから、僕らも真剣に返す。やりたいことが高校物理の範囲であろうと、しっかりと1から一緒に考えていく。ここの手を抜くと、ただのふわふわとしたファンタジー的な世界になってしまう。

以上が僕の考えである。子どものことを子ども扱いすることはない。本気でぶつかって来れるだけの信頼関係を築き、大人も本気でそれに答える。それでいい。ただし、大人は子どもに対して配慮すべきことはたくさんある。その点にさえ気をつければ大丈夫だ。

宮島衣瑛です!これからの活度のご支援をいただけると嬉しいです!