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兵馬俑と古代中国 秦漢文明の遺産 in上野の森美術館


20世紀最大の考古学的発見。兵馬俑の謎に迫る。

というキャッチコピーにあるように、まさに「兵馬俑」に注目した展示内容でした。
有名な始皇帝の兵馬俑に代表される「俑」の時代ごとの変遷を辿りながら文化的な流れを知ることができました。

兵馬俑を加えて、36体の俑が展示されています!

オーディオ解説を聴きながらの鑑賞でしたが、
ベースに秦近辺の歴史や地理の知識がないと1つ1つの結びつきを把握するのが難しかったです。
もっとお勉強してからいけばよかった!と若干後悔をしています。
今更ながら、キングダムを読み始めました。

俑ってなんだっけ

死者と一緒に埋葬される人形。材質や形も様々。
被葬者の死後の「生活」のための品々のようです。
日本だと埴輪が俑にあたるのかな?
※実際の人間を埋葬するのが「殉葬」で、
俑の場合は実際の人や動物ではないのがポイント

兵馬俑と古代中国の副葬品展示

兵馬俑展には陶器、金属で作られたものが展示されていました。
形も時代ごとに全然違っていて面白いですが、
秦の統一以前、漢代以降は小型化して細かい装飾も単純化されるため、統一秦で作られた兵馬俑の特異性が際立っていました。

戦国時代の俑〜漢時代に作られたもの、副葬品が展示のほか、最新の発掘調査の方法や解釈なども展示されています。
単純化されながらも、時代ごとのお顔の特徴があって見応えがありました。

ただ、人型のものは時代ごとの特徴を解説で見ればなんとなく分かるのですが、時代ごとの流れをわかっていなかったので難しかったです。
金ピカの馬や動物や想像の生き物の作り物はとても面白かったです。
小さな亀のハンコ、本当に可愛かった…思わず微笑んじゃうような可愛らしさでした。

野犬と家犬の俑がとってもキュートです。
(尻尾で区別します。心なしか家犬の方がお顔が優しかった気がします。)

ポストカード買っちゃいました。

尻尾が巻いているので家犬
顔のなんとも言えなさが可愛い

秦ってなんだっけ

Wikipediaとそのほかサイトから仕入れた浅知恵なのであしからず。

日本に稲作が伝わりお米と弥生土器を作っていたころ、
長い長い中国の歴史の中で最初に中国を統一した王朝が秦です。

秦は紀元前905年から紀元前206年続いています。
紀元前221年に史上初めて中国全土を統一して紀元前206年に滅亡した中国の王朝で始皇帝に始まり、増税や大規模な建築事業・法規制による反発の農民反乱によってわずか15年で滅んでしまいました。
始皇帝の死後、4年のことでした。

簡単年表にまとめてみると…
紀元前905年 秦という国が誕生 中国の北の真ん中のあたり
紀元前260年 政(後の始皇帝)誕生
紀元前221年 秦が中国統一 都:咸陽
紀元前210年 始皇帝の死去
紀元前206年 秦の滅亡 漢王朝の始まり

始皇帝の偉業として、通貨制度の導入・単位の統一・文字の統一の実施などインフラ構築を実施する数々の改革が挙げられます。

その後の漢が統治が400年続いたのは始皇帝が作ったこの数々の土台があったことが大きいとのことです。

宇宙から肉眼で見える唯一の建築物 万里の長城 を作ったという偉業も忘れてはいけません!
その人工壁の距離、6259.6km!
(その後の研究によって距離はどんどん伸びているのだとか)

始皇帝が建設したと思っていましたが、いろんな国が増設や移転が繰り返されたので始皇帝の偉業というより、今までの歴代中国の皇帝が作り上げてきた建築物なんですね。

実際、宇宙からは見えないらしいです。Wikipediaでびっくりしました。
2003年に宇宙飛行士の方が「見えなかった」と証言をしており、中国の教科書から削除されたとのこと。
それにしても偉大な建築物であることには変わらないのでいつか行ってみたいです。

始皇帝の兵馬俑

人の形は8000体、馬の形は600体が見つかっています。
1.8mほどの大きさで、どれひとつとして同じ顔をしていないそうです。
展示室に並べられた数体の兵馬俑はどれも装飾から表情まで違っていました。
実際にいた始皇帝の兵士たちをモデルに当時の職人さんたちが1体ずつ焼き上げたのでしょうか。
2200年前に実際に始皇帝に仕えて生きていた人の息遣いが感じられるような陶芸品です。
2200年前の陶芸品が現代に残っているのもすっごいことですね。

会場に来ていたのは数体の兵馬俑でしたが、それでもかなりの迫力だったのでこれが8000体並んでいるというのは、壮大な光景だったと思います。

かなり上の役職の武官だったらしい。

兵士の形だけでなく、馬の兵馬俑もありました。

馬の尻尾が丸めてあって、なんでだろうなと思っていたら
車を引く時に綱に尻尾が絡まないためのご配慮とのことです!!
効率優先なら切っちゃったほうが早そうな気がしましたが、1頭ずつ丸めて結んであげる古代の方の馬への接し方が素敵だと思いました。

大きな馬の兵馬俑が作られていたり、金属俑まであるということは、広大な中国では馬は重要で大切な生き物だったのですね。
丸まった尻尾が可愛らしかったです。

尻尾が可愛い!

4つ足でこのサイズの陶器を作る当時の人の技量と観察力すごい!

人と比較してもかなり大きいことがわかります
こちらのお馬も尻尾は結んでもらってます。
端っこのツノが生えている子はリーダーでしょうか。

ポストカードを買った2号銅馬車🐴
始皇帝の移動用の車もバキバキのかっこよさでした。かなり揺れそうですが。
金属製ですが、大きさは陶のものと同じく、かなりの大きさでした。
馬や車の造り込みが惚れ惚れとする職人技で、当時の職人の方も作っていてどんな気持ちだったのか想像しながら周りを3周ほどしました。
陶器職人、金属加工職人、いろんなプロたちがいたのでしょうね。

当時の色をプロジェクションマッピングで再現

展示の終わりには陶器の色だと思っていた兵馬俑を当時の色彩で再現したプロジェクションマッピングもありました。
驚きの色です!
大きさと数だけでも圧倒されていたのですが、さらに色までついていた(しかもかなりカラフル)となると埋葬当時は圧巻の光景だったでしょうね。

2000年前の陶器の色が分かる今の技術にも驚き!
現代の技術のおかげで当時の状態を知れることに感謝です。
なんとなく中国は赤いイメージがあるのですが、赤はワンポイントでの使用のみでした。緑ベース。
でも、古代中国(漢)では緑色はあまりいい意味の色ではなかったみたい。不思議。

カラフルだったのね!


始皇帝に思いを馳せる


孔子は人を実写的に描写する俑には反対だったようです。
その影響なのか、兵馬俑前後の俑は簡略化され、小型化してぬいぐるみのようになっていました。
当時の人々の倫理観として、「個人をリアルに模したものを埋めるのはよくない」という感覚がありながら、始皇帝のお墓に埋葬された数千体の兵馬俑は個人をかなり緻密に表現されています。それは作る職人側の技量もさることながら、被写体側の理解や思い入れがないとできないのではないかと思いました。

1代で中国を統一した偉大な始皇帝。
焚書坑儒によって学者を数百人生き埋め・書物を焼いて思想弾圧を行ったり、大規模な公共事業で民衆の疲弊がその後の短命な王朝であったことに繋がっているという記述もありました。人口は4000万人から1800万人に減少するなど、民衆の生活はかなり厳しかったのでしょうね。

苛烈な生涯を一緒に生きた武人軍人にとっては、当時の倫理観を超えるほど、死んでも一緒にいたいと思えるほどのカリスマ性があったのかなと。大きな権力に従っただけなのか、武人としての誇りがあったのか。兵馬俑として残れることは誉れだったのでしょうか。

始皇帝陵の建設は秦王に即位をした時に自ら建設を始めたそうですが、完成は皇帝の死には間に合わなかったそうです。
皇帝を失ったあと、誰かが引き継いでやり遂げたのでしょうか。始皇帝の中には本当はもっと壮大な計画があったのでしょうか。それを引き継いだのは誰が、どんな思いで。
その偉大な皇帝が来世でも偉大であるように、生活ができるように祈りながらつくっていたのでしょうか。

始皇帝の死後のゴタゴタを読む限り、決して穏やかな最期ではなかったし、
志半ばで倒れ、その後も一族の中で争いが起こってあっという間に滅ぼされてしまうような時勢の中で、どのようにお墓は作られていたのでしょうね。
当時の人にしかわかりませんが、好きに想像できるのが後世の特権ですね。

陶器の俑を見ながら当時に思いを馳せました。

物販コーナー

イラストレーターさんとのコラボ商品が多かったです。
お菓子とか本当に可愛くてお財布の紐を頑張って締めましたが、可愛くて買っちゃっいました。

漢時代の彩色一角双耳獣のぬいぐるみ。縁起が良いらしいです。
一角で善悪を区別する力があって、悪人と戦ってくれるらしいです。大河ドラマを思い出しましたが、麒麟とは少し役割が違うみたいですね。

ぜひ2023年の私に善悪の区別をつけられるよう見守ってほしい。

縄文展で買った土偶のぬいぐるみを添えて

展示情報

兵馬俑と古代中国
上野の森美術館
2022/11/22-2023/2/5

事前チケット予約で朝イチの回を取りましたが、予想より人が多かったです。
展示箇所によっては、並んでみないといけなかったです。
(外国の方も多かった印象)


切り絵作家 ひら子

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