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夏休み

夏には小さい頃から田舎の親戚の家へ行くのが恒例行事だった。
午前中は宿題の時間だったが、昼ご飯を食べたら虫かごと虫あみと水筒を持たされて外で遊んで来なさいと暑い中へ放り出されるのが常だった。
わたしはどちらかというと外で遊ぶより家で本を読む方が好きだったので、それに関しては毎年苦痛の夏休みだった。

それでも逃げ道というのはあるものだ。
わたしは家から放り出された後、いつもの場所へ、ポケットに文庫本を隠し持って向かう。

「お、今日も追い出されたのか。坊ちゃん。」

顔をくしゃくしゃの皺だらけにして笑うのはどこから来たのかも知らないおじいちゃんだ。
わたしが追放されて困り果てて、彷徨い歩いているところを大きな木の下から声を掛けられたのだ。

「おーい!そんなに歩いていたら暑いだろう!こっちへ来んかね!」

おじいちゃんとの出会いはこうだった。
そこは広い日陰でわたしがそこに逃げない理由もなく、こうして夏の間はよくお世話になった。

おじいちゃんのところへ行くと必ず日焼けして茶色くなった手で

「坊主、よく来たな。」

と汗をかいた頭を撫でられたものだ。
そしていつも隠し持っていた少し読むのが難しかった文庫本を、わかりやすく読んでもらっていた。それにいろんなことを教えてもらった。雲が流れること、ひまわりが咲くこと、蝉が鳴くこと、そして1週間で死ぬこと。夏の素敵さや切なさをわたしはそこで知った。たまには2人でお昼寝もした。
普段の学校では教わらないことをたくさん吸収した。成績や活発さで評価されずにのんびり過ごせるわたしの逃げ場だった。

でも逃げ場はいつまでもあるわけじゃなかった。

わたしも中学校に進学し、部活動や課外授業が忙しくなると恒例行事も恒例ではなくなった。
いつしかわたしはあのおじいちゃんを忘れ受験に追われ就活に追われ仕事に追われるようになった。

はあ...夏にスーツなんて狂ってるだろう。暑すぎる。まだ今日は水曜日か...

そんなある日わたしは突如あの田舎へ帰ることになった。
喪服であの時より少し老いた両親と向かう。

葬式の会場で遺影となっていたのはあのおじいちゃんだった。
わたしは驚いた。聴くとわたしとおじいちゃんは遠い親戚だったらしい、しかしおじいちゃんは親戚中から変わり者と評されよそ者扱いされていたようだ。

わたしは驚きのまま葬式の儀式をすませる。
わたしはおじいちゃんが喜んでくれるように成長したのだろうか。
あのとき学んだことをわたしはまだ覚えているだろうか。
胸が苦しくなった。わたしの頬を伝う一筋の涙。

わたしはいつしか人は死んだらそこで終わりだと考えるようになっていた。
でもどうか天国があると教えてくれたおじいちゃんだけでも天国へ行けますように。

ありがとうございます。サポート代はマイク等の機材費の足しに使わせていただきます。環境が整えば音声作品を投稿する予定です。