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援助者支援を考えたきっかけ

援助者こそ支援される必要がある

と考えています。そう考えるようになったきっかけについて書きます。


児童自立支援施設での勤務がきっかけ

臨床心理士になるための大学院を修了後、最初に働いたのが児童自立支援施設という児童福祉施設でした。

かつては教護院と呼ばれていた施設ですが、世の中にはあまり知られていないように思います。

児童養護施設や、少年院とも部分的に近いイメージの施設です。

児童自立支援施設は児童福祉法に定められた施設であり、都道府県に1か所以上設置されています。国立の施設も全国に2か所あります。私立も2か所あります。

例えば東京都だと、萩山実務学校、誠明学園という施設です。埼玉県は埼玉学園、茨城県は茨城学園があります。国立は国立武蔵野学院、国立きぬ川学院、私立は北海道家庭学校、横浜家庭学園です。
具体名であれば、お近くにお住まいの方は、聞いたことのある方もいらっしゃるかもしれません。

働いている職員の方は、基本的に地方公務員、または国家公務員です。

入所している児童は、主に中学生です。下は小4くらいから、おおむね高3までの子どもが入所できます。

入所理由は、非行行為がほとんどです。万引き、窃盗、粗暴、そして「性非行」が私が勤務を始めた約15年前は急激に増えていました。

その非行の背景に、虐待やネグレクトなどの不遇な生い立ちがある子がほとんどでした。

低年齢であったり犯罪性が軽微であったりする場合に、司法による刑罰よりも、育て直しによる成長が見込めると判断された児童が、多くは児童相談所の措置により入所します。家庭裁判所の審判によっての入所もあります。

児童福祉の最後の砦。と呼ばれることもある施設です。

当時、児童養護施設内で、児童間で性暴力を行ってしまった児童が入所するケースが後を絶ちませんでした。加害児童と被害児童は一緒に暮らせないため、加害児童が児童自立支援施設に移るためです。

そのような性加害行動への治療教育的なアプローチを期待されて、という名目で、心理士の募集がかけられ、新卒の私が採用されました。

(経験のない若手をこのような大変な業務に採用してしまうということ自体、今考えると大変不思議なことです。海千山千のベテラン心理士でも太刀打ちできるか分からないような難しい支援のテーマなのに。と思います。
ただ雇用条件は、若手か、引退後などで生活に困らない大ベテランの方などしか応募してきませんでしょう。というような条件でした。
もちろん非正規雇用です。応募者はほとんどが新卒の人だけだったようです。
分かっていても、そこにお金をかけない国や自治体の「やってますアピール」(欺瞞)だなと、今は言語化できますが、当時はまだよく分かっていませんでした)


トラウマを負った児童の援助者はトラウマを負う

話を戻します。

入所児童の生い立ちを探っていくと、自身も性被害を受けていたり、ネグレクトにあっていたりと壮絶な過去を持つ子ばかりでした。

育ちの中での重いトラウマを抱えた児童がほとんどでした。

また知的発達面でも、知的発達の遅れがある、境界知能である、平均の中でも下の方であるという児童を合わせると9割くらいという体感でした。

また、ADHDやASDといった発達障害の特徴を持つ児童もかなり多くいました。

こういった背景を持つ児童たちが、10人前後ずつ、寮生活を送ります。

枠のある生活と言われており、朝から就寝までのスケジュールがかなり綿密に管理されています。

また、施設内に公教育があります。〇〇中学校の〇〇分校という形で、公立小中学校の教員の方も働いています。児童は施設内の学校に通います。

司法に基づく施設ではないので、施設に鍵はかかりません。鍵のない解放施設ですが、児童は基本的に24時間施設内で生活を送るという規則があります。

逃げようと思えば脱走出来てしまうので、児童が脱走して、職員が探し回ることも多々ありました。私も捜索に何度も行きました。

なんとも不思議な生活空間だと思います。この空間での生活に育て直しの意義があるとされます。それはここでの議論とズレるので割愛します。

寮の職員さんは、ご夫婦で住みこんで働く夫婦制の施設と、5人程度でローテーションで働く交代制の施設があります。

常時、児童の前に立つ大人は、2名程度です。

このような施設で働くことを想像したときに、読者の方は何を感じるでしょうか。

「やりがいがある」
と感じる方よりも、
「難しそう」、「無理」、「嫌」
と思う方が圧倒的に多いかもしれません。

というか、関心すら持たれないかもしれません。

実際のところ、地域にもよりますが、おそらく1つの公立中学校で考えると、全校生徒の1人もこの施設に入所している子は基本的にはいません。
近隣の複数の中学校を合わせて1人いるかいないか、という割合の子しか入所していません。というイメ―ジです。

「非行傾向のあるあの子が、ある日突然学校に来なくなった」
「噂によれば施設に入ったらしい」という程度の印象です。

関心を持つ方が難しいでしょう。

児童養護施設であれば、地域に施設のある学校では、施設の子たちが複数通ってくるので、知られる機会が多いです。

入所する子が身近にいないという事情や、入所した子や家族も、それを公にしたくないでしょうから、なかなか知られない施設だと思います。

さて、施設の子に限らずですが、子どもは育てられたようにふるまいます。
優しく育てられた子は人に優しく出来るでしょう。その逆も然りです。

施設の子たちは虐待やネグレクトを受けてきた子たちです。
職員たちへの暴言、暴力、その他さまざまな問題行動で、気持ちを表現してきます。

職員が被るストレスの高さは想像するまでもないでしょう。
トラウマを負った児童が、トラウマを負ったときの体験と同じような体験を、職員が味わうように仕向けてくるからです。これは、児童が意図的にするわけではなく、自動的にそうなってしまいます。トラウマ被害を再現してしまうのです。

実際、私がいたわずか数年間でも、たくさんの職員の方が、メンタルの不調に陥り、休職や退職、異動に追い込まれていかれました。

若造の私に、仕事のことやその他のこともいろいろと教えてくださり、親しく交流させていただいた方々が去って行かれる姿は、私にとって衝撃的な体験でした。

悲しくもあり、悔しくもあり、何もできない無力感を持ちました。大切にしたい人が目の前からいなくなってしまう。私もトラウマを負いました。


そして社会からもネグレクトされる

公務員なので、誰かがいなくなれば、別の誰かが配置されてきます。昨日までいた方がいなくなり、今日からは新しい方がいる。

まるで将棋の駒のように人があてがわれる状況のように感じました。

国や自治体は、職員さんが児童を受け止め、適切な支援が出来るように職員さんを育てていくプログラムやケアをほとんどしていないように見えました。そこに十分なお金をかけていないように見えました。

まるで、施設全体が社会からネグレクトされていると感じました。
それは児童が受けてきたネグレクトと同じだと思いました。

この感じ方は一部は真実、一部は児童に肩入れしすぎの感情かもしれません。児童の無力感が私に映し出されたものかもしれません。

当時の私は、職員の専門性を高めないと、児童は救われないだろうなと思いました。その考えは今も同じです。

そのためには、お金をかける、人を増やす。という対応は当然必要だと思っています。

そのうえで、心理士として、児童への直接的な関わりを担う職員さんのメンタルケアの部分でも、何か出来ることはないのかなと考え始めました。

過酷な環境にあっても生き残ることを支えたい

援助者として目の前に登場した大人が、何があっても目の前に立ち続けている。大人が身体的にも精神的にも生き残る。

という体験で、児童の人生はほんの少し救われると思っています。

児童のトラウマ由来の職員への言動を、なんとか持ちこたえて、援助者を続けていくために、心理士として援助者の心へのアプローチで、力になれることはあると思っています。

どんな環境にあっても生き残る。

これを目的としたときに、カウンセリングは援助者のメンタルサポートに役立つと思っています。

当ルームでは精神分析的心理療法といわれるタイプのカウンセリングを行っています。

精神分析的心理療法は、人生を通して、心を死なさずに、情緒的に生き残り、心豊かに成長していくことを目指す際に特に有用だと思っています。

特に、自らの逆境を生かして、この仕事に就こうという方々に対しては、力になれることがあると思っています。

そのような方は、児童から受けるトラウマと、ご自身の未消化のトラウマが共鳴して、心身の限界を超えてしまうリスクが高いように見受けられます。専門的な心理サポートが必要です。

これについてはこちらの記事もご覧いただければと思います。
支援者にカウンセリングを勧める理由

児童自立支援施設に限らず、児童養護施設、乳児院、自立援助ホーム、少年院などの施設や児童相談所、保育園、幼稚園、児童発達支援の施設、医療機関など、子どもの援助者をされている方も対象に考えております。

ご縁がありましたら、ぜひその旅路にご一緒させてください。



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