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続ける力をつけるカウンセリング

何かを続けるには、たくさんの他者のサポートがいる。
他者のサポートを実感できるには、自分との対話に開かれていることが必要に思います。自分と逃げずに向き合うために作られた、装置、仕組み、枠組みとしてカウンセリングがある。
そのカウンセリングの一部分として生身のカウンセラーがいる。

ツイッターでこのようにつぶやきました。このことについて少し詳しく述べてみます。

継続は力なりとはいうけれど…

人は、家事、育児、介護、学業、仕事、習い事、趣味、ボランティアなど何らかの活動をして日々の生活を営みます。
どのような活動も、ある程度の期間続けていくことで、その楽しみも見いだせるものです。
継続は力なり。ということわざ通り、続けてみることがまずは必要になります。

ところで、続けることが苦手という人がいます。すぐに飽きてしまう、違うことに気が向いてしまう、続けているけど楽しめない、といった方です。最近では、発達障害という切り口で、自分はADHDかも?と考えておられる方も増えているようです。

実際にADHDが背景にあり「続けること」が困難になっている方もいらっしゃるでしょう。しかしここでは「他者のサポートを実感できる能力」に焦点を当てて考えてみます。

他者のサポートを実感できる能力

「他者のサポートを実感できる能力」とは、「今の自分の生活があることは、様々な他者のサポート、助け、支えによって成り立っているということを身体感覚も伴った確かな実感として味わえる能力」のことを言います。(私の定義です。様々な研究や理論で同じような概念はあると思いますが、ここはカウンセリングの意義をお伝えするために書いているため、学問的な議論は行いません。)

「妻の支えを感じて胸がじーんと熱くなる」「先生のご指導を思い出し、背筋がぴんっと伸びた」という表現になるような実感を味わう能力です。この能力は物事を継続する上で大切になると考えています。

では、具体的にどのようなことなのでしょうか。

子どもがスイミングを嫌がってる、どうしよう!?


例えば「わが子がスイミングスクールを嫌がる」という状況を考えてみます。
他者のサポートを実感できる能力をお持ちの親御さんは、
嫌がるから辞めさせるという結論をすぐに出すことはしないでしょう。
自分が困ったときに周りのサポートを得た体験が身体感覚レベルで思い出され、わが子にも同じような環境を用意しようという動きが生まれると思われます。

例えば、
スイミングスクールのコーチに子どもの状況を説明し、協力を要請することができます。
また、お休みの時やお風呂で、子どもの水慣れに自分が付き合うかもしれません。
一緒に行ってくれるお友達に声かけをお願いすることもできます。
今日はやむを得ず休んでも、切り替えて来週はスクールへ行くよう子どもに促すかもしれません。

試行錯誤しながら、子どもを取り巻く様々な人(自分も含めた)のサポートを使って、なんとか子どもをスイミングに慣れさせるよう粘るでしょう。

どうしたらいいかわからない!!!

ところが、そうでない親御さんの場合は、
子どもが嫌ならあきらめてスイミングスクールをやめさせてしまう。
スイミングスクールの指導が悪いと考えて他のスクールを探す。
とにかく力で子どもの意志を封じて無理やり通わせ続ける。

といった、短絡的な方法を採用しやすい可能性があります。
誰かに支えてもらっている実感に乏しいため、他者に頼るという発想自体が生まれません。
むしろ、葛藤を感じるのは辛いため、葛藤そのものから退避してしまう、葛藤の原因を外に作ることで安定しようとする、葛藤そのものをないものにする、という心の動きになってしまうことが多いように思います。

致し方ないこと、でも副作用も


それも無理はありません、葛藤を他者にサポートされた実感が持てないため、どうしていいかわからないという不安感、絶望感が全面に感じられてしまうからです。
このような対処法は、一時的には親子双方気持ちが楽になりますが、子どもが大きくなったとき、「泳げなくて嫌だな」「みんな泳げるのに自分は泳げない」といった不安や自信のなさを生む種になってしまうともいえるでしょう。また、「無理やり水泳をやらせやがって!」と子どもに恨まれる可能性もあります。

なかなか可視化できないものですが、「他者のサポートを実感できるかどうか」の違いは、今例に見たような態度の違いに表れてきます。実感できない方の場合、困難に突き当たると、焦って余裕を失い「一人で」「早急に」結論を出そうとしてしまいがちです。

カウンセリングの登場!


物事を続けるには、嫌だけど頑張ってみる、怖いけど行ってみる、辛いけどやってみるといった、葛藤を抱える力をつけていく必要があります。
そのためには、「誰かと一緒に葛藤を抱えてもらった実感、他者のサポートを実感する」という継続的な体験が必要不可欠なのです。
ここでカウンセリングの登場です。

多くの先人たちが試行錯誤しながら生み出してきた「カウンセリング」は、それを続けることで「誰かに一緒に葛藤を抱えてもらい」「なんとか現実に立ち向かい」その結果「自分は支えられて生きているんだな」という実感が持てるようになり「困ったら、一人で何とかしようとせずに、他者と連帯して取り組もう」と思えるようになるのものだと私は理解しています。

スイミングスクールのコーチ


もし、ご興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、とっても怖いかもしれないけれど、一歩踏み出して、この「カウンセリング」活動を開始していきましょう。カウンセラーが一緒に水(=心)に向き合います。

水って冷たいね、この温度だと嫌だね、今日は温かいね、これだと気持ちいい感じかな、鼻に入ると痛いし怖くなるよね、こうやって潜ると怖くないね、こうやってぶくぶくするんだよ・・・
水慣れから4泳法まで、ご希望をうかがいながら、あなたのペースを大切にしながら伴走します。

時には「プールを怖がる子ども」のような気分になることもあるでしょう。「今日は遊びたいからプールめんどくさい」「たくさん泳ぐのは疲れるし嫌だな」と思う日もあるでしょう。
でも続けると「プールって楽しい」「泳げるって楽しい」「水泳得意なんだ、エッヘン」と感じる境地もやってくるかもしれません。

AIカウンセラーは誕生するのか?


最後に、
スイミングのコーチはAIにとって代わられる時代は来るのでしょうか。心を通わせながら一人一人に合わせた指導をしてくれるスイミングコーチの腕は、AIには無理なのではないかと今の私は考えます。
カウンセリングも同じだと思います。その活動には、生身の心を持ったカウンセラーがどうしても必要だと考えます。

こんなことを書いているカウンセラーの私自身も、カウンセラー仲間や指導者、自分のカウンセラー、プライベートな支え、さまざまな他者のサポートを得ながら生きており、それを確かに実感できるようになってきています。最初からしっかりと出来ていたわけではありません。
誰もが大なり小なり、他者の存在を忘れ、一人になってしまう、他者をおろそかにし、自分をおろそかにしてしまう瞬間があるのが人間なんだろうと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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