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ひとりぼっちのアンパンマンを支える

援助者支援について、アンパンマンをたとえにつぶやいてみたいと思います。
(当ルームのサービスを届ける目的でつぶやいています。余計なお世話だとお気を悪くされる方がいらしたら申し訳ありません。でも、発信しないと届かないというジレンマがあり、試行錯誤を続けております。またnote本来の使い方と違い、目次もなく長いつぶやきになりますが、気が向いた方はお付き合いください。)

それでは改めまして、
援助者支援についての考えをアンパンマンをたとえに書いてみたいと思います。

アニメのアンパンマンにはたくさんのキャラクターが登場します。
ジャムおじさん、バタコさん、名犬チーズ、しょくぱんマン、カレーパンマンなどなど。
google で調べたところ、登場キャラクター数はなんと1768体でギネス認定され、その後も増え続けているようです。

彼らと協力しながら、アンパンマンはバイキンマンや悪者を退治し、町の平和を守り続けています。

悪者との戦いの途中、ジャムおじさんに新しい顔を焼いてもらい、バタコさんにマントを縫ってもらい、仲間たちに応援してもらうから、アンパンマンはヒーローで居続けられます。仲間たちがいなければさすがのアンパンマンでも、敵は倒せません。
アンパンマンは、かれこれ何十年も私たちに愛と勇気を見せ続けてくれている、サステナブルな存在です。それが可能なのは、たくさんの仲間たちが彼を支えているからです。

これは本当にあたりまえすぎる話です。しかし、現実世界ではあたりまえじゃない場合がある、いやかなり多い、多すぎる、と私は思っています。

例えば、誰かを救う仕事につく人達の中には、まさに「アンパンマンのようなヒーロー」にあこがれて、その職についた人がいます。
医師、看護師、教師、保育士、警察官、消防士、自衛隊員、福祉職、心理職などのように誰かのために働く人々です。
「アンパンマンのように辛い人を救うんだ!」という志を持った方々です。
ここではそのような援助職の方々をアンパンマンに見立てて考えていきたいと思います。

援助者アンパンマンには、それまでの人生に、いろいろな成育歴を持つ方がいらっしゃいます。

その方が実際出会ってきた、アンパンマン的な存在にあこがれてその道に進んだ人もいます。自分や家族の病気を救ってくれた医師、自分を導いてくれた先生にあこがれて自分もその道に進んだというような方です。

一方で、悲しいことに、あこがれを抱いたきっかけが、アンパンマンのいない世界での体験だった方も多くいらっしゃるようです。
大切な人を病で失った。「だから自分がその病気を治すんだ。」
自分の親が虐待を受けていた。「だから自分が児童福祉司になるんだ。」
このような、いわゆる救いようのないとも言える世界で「私がアンパンマンになって世界を救うんだ!」という動機を持つようになり、それを努力で成し遂げた方がいます。

しかしそういった方の場合、残念なことに、「ひとりぼっちのアンパンマン」になってしまうリスクが高いと私は考えています。(明確な研究データは持ち合わせておらず、臨床現場での実感です。どなたか研究をご存知でしたら教えてください。)

「アンパンマンのお話をみたことがない子がアンパンマンを想像する」と考えてみるとわかりやすいかもしれません。

アンパンマンは、ピンチのとき、仲間に支えられながら、ヘロヘロになって情けない姿をさらしながらも、なんとかかんとかがんばってアンパンマンでありつづけます。毎回ハラハラしながら、子どもたちはアンパンマンを見守ります。そして最後はハッピーエンドで終わります。

しかし、アンパンマンのアニメを観たことのない子は、アンパンマンがどのように実際に戦うかを知りません。ひとりきりで敵を倒しまくる無敵のアンパンマンという非現実的なイメージを作ってしまっても無理はありません。ジャムおじさんやバタコさんは単なるファン、チーズはただの野良犬。
そのようなイメージを抱き、理想のアンパンマンであろうとすると、現実とのギャップに戸惑うことになります。

現実の「悪者」は、残念ながらあっさり倒せません。現実生活では、次から次に難題は押し寄せます。
顔を交換してもらう、ときにはパン工場に退散する、いろんな仲間に支えてもらいながら粘り強く何年も何年も戦わなければなりません。

現実のリアルワールドで、アンパンマン(的な正義の味方である大人たち)の奮闘により守ってもらった体験を十分出来ずに育った大人がいま、日本にはたくさんいると私は感じています。
さまざまな臨床現場を渡る中で、援助者の方々の中には、アンパンマンに守ってもらいたかった自分の思いを昇華させるため、自らアンパンマンになられている方々がたくさんいらっしゃることを知りました。

そのような大人の方は、窮地に陥ると、
「思ってたんと違う。」
「私はアンパンマンになったはずなのに。」
と戸惑うでしょう。

「アンパンマンなんかもう、やめたい・・・。」
とマントを脱ぎたくなってしまうかもしれません。

心配するチーズの声に、
「ばかにするな!うるさい野良犬め!」
と感じてしまうかもしれません。

「おい、そこの食パン!カレーパン!俺の家来になれ!」
と、なんとなんと、自分がバイキンマンになってしまうかもしれません。

リアルアンパンマンの実情を体感していないと、頭ではどうすればよいか分かっていても、「ここぞ」という場面で、誰かと協力して取り組むという動きがとりにくくなってしまうのです。逆にひとりでなんとかしようともがいてしまうようです。

まさにひとりぼっちのアンパンマン。
これでは、いつか力尽きてしまうのではないでしょうか。

このような方の心の状況は、心の中にパン工場が存在せず、孤軍奮闘せざるをえない満身創痍の状況と読み解くこともできます。
しかし、当のアンパンマンはそれすらにも気づくゆとりはありません。窮地に陥れば陥るほど、ひとりきりで現状打破を試みてしまいます。

または、「僕にはちゃんと最強のパン工場があるさ!」とバイキンマンにまんまとだまされて、パン工場のハリボテを信じてしまうかもしれません。

あなたがサステナブルな真のアンパンマンになるためには、心の中に、あの、ほんわかとしたパン工場、帰る場所であり、仲間たちと交流できる場所であるパン工場を作っていこうとする作業が必要であると考えています。

これは、理屈では簡単な話です。しかし、言うは易し行うは難しで、大人になってからのパン工場作りという作業は大変です。どのような作業になるのか。それを語ると大変長くなるので、ここでは割愛いたします。
知っておいていただければと思う大切なことは、パン工場作りと向き合う作業はひとりきりではできないということです。

あなたの心が誰かの心と交流しながらでないと、心のパン工場と向き合う作業は大変難しいのです。

あなたにとってのパン工場作りという作業をお手伝いするのに適任は誰か。
選択肢の一つに、臨床心理士、公認心理師を挙げさせていただきたいと思います。
臨床心理士、公認心理師は心の一級建築士とお考えいただくのもありかもです(同業者のみなさん、いかがでしょうか)。

臨床心理士、公認心理師は、パン工場が作れなかった背景を分析し、工場を作る土地を選定し、土地を整え、設計をし、業者と交渉し、資材を集め、作業を進めるといった、さまざまな行程にお付き合いいたします。現実的に工場建設が難しければ、空き地にパン窯だけでも作ろうか、残りのパンはとなり町のパン工場に分けてもらおう。などなど生存戦略も一緒に考えます。

ここまでお読みいただき、何かを感じた方、何か心が動いた方は、一度臨床心理士、公認心理師を訪ねてみて、そのことを語ってみることをお勧めします。

当ルームも、アンパンマン人生(パン生?)の生きづらさを、なんとかしたいともがき苦しむ、ひとりぼっちのアンパンマンを支えていきたいと考えています。

また、そのような志を持った臨床心理士、公認心理師があなたの街にもいらっしゃるはずです。少なくともとなり町かそのとなり町くらいにはいらっしゃるのではないでしょうか。そのような時代になってきていることを、知っておいていただければ幸いです。

また、ひとりぼっちのアンパンマンがあなたの周りにいらしたら、臨床心理士、公認心理師もぜひその方のパン生の登場人物の仲間に入れてください。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。ご感想、ご意見もお待ちしております。


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