少女の聖域vol.2|永見由子|たとえ苺がなくても
Text|Kayoko Takayanagi
少女で在るということは、いばらの道に等しい。
常識の中に押さえこもうとするあらゆる外圧と戦いながら、世界の果てを目指すことだからだ。
傷つき、戸惑い、迷い、それでも少女は進むことをやめない。
その翼に力を蓄えながら、いつでも高く速く飛び立てるように、その機会をうかがっている。
少女を侮ってはいけない。その可能性と瞬発力を見誤ってはいけない。
“Good girls go to heaven, bad girls go everywhere”
いや、全ての少女は何処にだって行ける。
少女にはその力がある。
淡く優しい色使いと筆致。柔らかな画面に添えられた菫と鈴蘭の香り。
永見由子が描く少女は一見可憐で幼気に見えるが、それだけではない。その優し気な瞳の奥には、強い決意と揺らがぬ思いが息づいているのだ。
少女の友である兎も、その可愛らしい姿に秘められた能力は驚くべきものだ。優れた五感に加えて、その俊足は「脱兎の如く」という言葉にもある通り虎視眈々、いや兎視眈々と自由に跳び走り回る機会を狙っている。
少女と兎をとどめておくことは誰にもできない。
ショートケーキの苺に試されている。
もしも無くなってしまったらどうする?と。
若さが、美しさが、可愛さが、それがなければ少女ではないの?と。
少女が少女たり得る理由は、そんなところにはない。
苺を食べてしまっても、苺のショートケーキは苺のショートケーキであることになんら変わりはない。既に苺がないことを恥じるべきではない。
苺ははじめからショートケーキの中に内包されているのだ。ショートケーキは誇り高く最後まで、苺のショートケーキとして存在すればいいだけである。
わかりやすい少女の証などなくていい。
少女は定義から逃れ続ける存在だからこそ、少女で在り得るのだから。
いばらの棘に傷つけられ血を流しても、張り巡らされた罠を巧みに逃れ、いつか苺を最初に食べることを夢見て、永見由子の少女たちは飛び立つ機会をいまかいまかと待ちわびている。
*
*
永見由子|画家 →HP
高校時代に美術授業での選択を機に日本画の制作を始め、1996年、カフェギャラリー宵待草にて初個展。以来、主に少女をモチーフとした日本画制作を行っている。1999年から2014年まで美術団体現代童画会に所属したのち、現在は都内や横浜を中心に、個展、グループ展等で活動。ここ数年は鉛筆画、銅版画など様々な表現にも取り組み中。少女の姿を通し、幾重にも通り過ぎていくひとときの心の機微を表したいと思っています。
*
★2020年オンライン開催《少女の聖域》展アーカイヴ
★高柳カヨ子note連載《少女主義宣言》関連記事
*
*
*
作家名|永見由子
作品名|Unleash
岩絵具・水干絵具・顔彩・胡粉・墨・銀箔・膠・木製パネルに雲肌麻紙
作品サイズ|直径33.3cm(円形)
額込みサイズ|43cm×43cm
制作年|2021年(新作)
*
作家名|永見由子
作品名|兎視眈々と
岩絵具・水干絵具・顔彩・胡粉・墨・膠・木製パネルに雲肌麻紙
作品サイズ|10.5㎝×15㎝
額込みサイズ|18.5cm×23.5cm
制作年|2021年(新作)
*
作家名|永見由子
作品名|ストロベリーショートケーキ
岩絵具・水干絵具・顔彩・胡粉・墨・膠・板に雲肌麻紙
作品サイズ|13㎝×13㎝
額込みサイズ|22.5cm×22.5cm
制作年|2021年(新作)
*
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?