スウィンギング・ロンドン|巻頭エッセイ|長澤 均|熱狂から落陽へ、ユース・クウェイクの10年
イギリスの名優デヴィッド・ニーヴンが主演した『大頭脳』(1969)という映画がある。列車に積まれた金塊を盗もうとする男たちの話だが、映画は活況を呈しているカーナビー・ストリートを舞台に始まる。「スウィンギング・ロンドンの熱狂」がいわれた当時の風俗をそのまま描写して圧巻のシーンだ。
モッドなスタイルのカップルや、極彩色のシャツやパンツを穿いた男女が通りを埋め尽くしている。そのなかでダーク・スーツで中年のデヴィッド・ニーヴンがひとりだけ浮いているという具合だ。
スウィンギング・ロンドンとは何だったのだろう? 1955年にマリー・クワントがショップ〈BAZZAR〉をキングス・ロードにオープン。58年頃にミニ・スカートを商品化して俗に〝ドリー・バード〟と呼ばれたファッショナブルな女のコたちがミニを広めていく。
一方でカーナビー・ストリートにもモッドなメンズウェアのショップがポツポツと誕生していく。
1950年代後半は生活一般がモダニズムにシフトしていく時代である。いわゆるミッドセンチュリーの家具などを見れば、時代思潮がひと目でわかるだろう。〝MODS〟はそんな時代の気分をスタイルで表現して登場した。
ユース・クウェイクの始まりだった。
「ロンドンが面白い」......それがパリやニューヨークに住む嗅覚の鋭い人たちが当時、抱いた感触だった。1966年に『タイムズ』紙がロンドンの最新流行事情を特集して「スウィンギング」と表現したことがスウィンギング・ロンドンという言葉のおこりと言われている。
それは世界中に伝播した。女優ブリジット・バルドーは新曲のプロモーション・フィルムをカーナビー・ストリートで撮った。女性のデザイナー・ユニット〈フォール&タフィン〉が女性用のパンツ・スーツをデザインすると、イヴ・サンローランが視察に来た。彼の「マスキュリン・ルック」はフォール&タフィンの作品にヒントを得たと言われている。
1960年代半ばまでモダーン・スタイルで世界の流行を牽引していたロンドンに、アメリカ西海岸発祥のサイケデリック・ムーヴメントが流入してくる。〈インディカ・ブックス&ギャラリー〉がロンドンでのサイケデリック・カルチャーを担った。ジョン・レノンがオノ・ヨーコと出会ったのもこのギャラリーでだった。
この時代の変わり目に登場したのが、バーバラ・フラニッキの〈BIBA〉だ。モダーン・テイストで始まったものの、いち早くアール・ヌーヴォーやアール・デコの再評価に目を向けたのがBIBAだった。
数年前、Big BIBAの屋上庭園を訪ねたことがある。バーバラはこの庭園に憧れてアール・デコのビルを買い取ったが、その数年後BIBAは破産してしまった。
BIBAはノスタルジーの王国を築いたが、BIBAそのものが斜陽する時代の気分にのみ込まれてしまった。スウィンギン・ロンドン的な気分は、こうして1974年までに終息してしまう。
でもそれはいまだに神話であり、さまざまなクリエーションに影響を及ぼしている。この展覧会でもクリエイターたちが、まったく新しいスウィンギングを創出している。
暮れた陽も、こうして時とともにまた上り始める。
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著者名|長澤 均
書籍名|【著者サイン入り】BIBA Swingin’ London 1965-1974
装幀・造本|荒木真邦+長澤 均[papier colle]
144ページ/B5版変型/図版総数250点余・内カラー80ページ/帯付き
発行年|2006年
発行所|株式会社ブルース・インターアクションズ
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