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ディケンジング・ロンドン|PASSPORT 1|ディケンズという作家

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 11月29日に開幕する、チャールズ・ディケンズ没後150周年記念 熊谷めぐみ & 霧とリボン共同企画展《ディケンジング・ロンドン》。
 本展は、ディケンズ研究者・熊谷めぐみ様の小説案内と13組の現代作家による多彩な美術作品でディケンズの生きたロンドンを巡る趣向の展覧会となります。

 旅行前に準備は不可欠。
 オンライン上のストリート・ツアーをより楽しんでいただくために、ディケンズに関する三つの記事をツアー参加のパスポートとしてお届け致します。
 
 ディケンズがお好きな人も、これから好きになりたい人も、ツアー前の準備としてぜひお楽しみ下さい。ヴィクトリア朝ロンドンへの時空を翔けるツアーをぜひご一緒致しましょう。



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Text & Photo|Megumi Kumagai



 ディケンズの作品を読んだことがなくても、『クリスマス・キャロル』なら聞き覚えがあるかもしれない。舞台が好きなら、『二都物語』の名前にピンとくるかもしれない。『大いなる遺産』の映画なら観たことがあるかもしれない。


 チャールズ・ディケンズは、1812年2月7日に生まれたイギリスの小説家である。200年以上前に生まれた人物だが、その作品の影響力はいまだに強く、各国語に翻訳されて読まれ、舞台化や映像化も繰り返し行われている。
 いったい、ディケンズの作品の魅力とはなんだろうか。
なぜ、そんなにも昔の人間が書いた小説が、時代遅れにならず、いつまでも新しい作品のインスピレーションの源となり、人々を魅了するのだろうか。

 ディケンズの作品の魅力はなんといってもキャラクターである。『クリスマス・キャロル』のスクルージ、『大いなる遺産』のミス・ハヴィシャムなど、ディケンズが生み出す個性的なキャラクターたちは、みな忘れがたい魅力を備えている。もう一つの大きな特徴は作品全体にあふれるユーモアだろう。作品に織り交ぜられた痛烈な社会批判も、その巧みな語りとユーモアによって、当時の読者の共感を大いに呼んだ。

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上図版|『大いなる遺産』(John McLenan・1861年) 

 だが、ディケンズの作品が現代でも生き残っているのはそれだけが理由ではない。20世紀になってディケンズの作品は、大衆的で時代遅れのものであるとして猛烈な批判にさらされた。それはセンチメンタルで、偽善的で、芸術的価値のない前時代的(ヴィクトリア朝的)なものであるとして攻撃の対象となった。

 

 しかし、そうした批評家たちが評価した、トルストイやドストエフスキー、カフカやプルーストといった作家がディケンズの愛好家だったのは、皮肉なだけでなく、ディケンズの作品が単なるお涙頂戴の時代遅れの産物ではないことを証明している。20世紀半ば頃から、ディケンズ作品の本格的な再評価が始まり、彼の作品は時代遅れどころか、驚くほどの現代性を有していたことが明らかになった。そして、ディケンズの伝記的側面が明らかにされていくと、理想的なヴィクトリア朝の大作家としての虚像から離れた、複雑で不可思議な人物像が批評家たちの関心を呼んだ。


 ディケンズは、ヴィクトリア朝を代表する作家とされている。実際には、ヴィクトリア朝以前に生まれ、1870年に亡くなっているために、ヴィクトリア朝(1837-1901)前期に活躍したといえるディケンズは、下層中産階級の生まれから、絶え間ない努力と類まれな才能によって作家としての成功と社会的地位をつかんだ、立身出世を体現した人物である。輝かしいヴィクトリア朝を象徴するような成功物語だが、ディケンズは決して完璧で理想的な大作家ではなく、その生涯は波乱を含んだものであった。

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上図版|若きディケンズの肖像画(Francis Alexander・1842年)

 作家として成功し始めたディケンズの若き肖像画はどれもその端正な面影を記録しているが、燃え立つような意志強固な瞳は、彼がただの優男ではないことを示していた。
 見目麗しく、才能豊かで若さと野望に燃えていた青年。
 しかし、その人生はディケンズが生涯ひた隠しにした、父親の借金によるマーシャルシー監獄収監と児童労働の辛い記憶という、ひりつくような痛みと暗い影に覆われていた。

 ディケンズの父親は陽気な人物であったが、壊滅的な金銭感覚の持ち主で、借金を重ねていった。そして、長子ではなかったが8人兄弟(うち二人は夭折)の長男であったディケンズは、ただ一人、家計を助けるため父親の知人が経営するウォレン靴墨工場で働かされることになった。まだ12歳になったばかりの時だった。それまでのディケンズの子供時代は幸福だった。体こそ丈夫ではなかったが、本を読むことが好きで、物語と演劇を愛する少年だった。学校ではその才能を認められ、自分の明るい未来を信じていた。

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上図版|『オリヴァー・ツイスト』(George Cruikshank・1911年)

 しかし、父親の仕事の影響でロンドンに引っ越した頃から、一家の家計はさらに苦しくなり、姉ファニーは音楽学校に通えたものの、ディケンズの教育は放置された。そして、その代わりに働くことを期待された。学校に通うこともできず、ネズミだらけの建物で、黒い靴墨の容器にラベルを貼る単調な仕事をすることになったことはディケンズを苦しめた。自分の才能を信じていた少年の誇りは粉々に打ち砕かれた。ディケンズを打ちのめしたのは辛い労働そのものではなく、夢見ていた将来と対局にある自分の惨めな姿や、そうした彼の苦しみに対して両親がまったく理解を示してくれないことだった。

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上図版|18世紀に描かれたマーシャルシー監獄

 父親ジョンがマーシャルシー債務者監獄に収監されたことは、さらなる打撃となった。姉ファニーとディケンズを除く一家は監獄で暮らし始め、ディケンズは12歳で下宿し、自分で生計を立てなければならなかった。工場で働く他の子供たちに、自分の家族が債務者監獄にいるということを知られるのではないかという恐怖が少年の心を常に苦しめた。
 その後、運よく一家は債務者監獄を出ることができたが、ディケンズの靴墨工場での労働は終わらなかった。ようやく解放されそうになった時に、母エリザベスが工場勤めを続けさせようとしたことは、ディケンズの心をさらに傷つけ、大人になってもそのことを忘れることができなかった。

 この児童労働と一家のマーシャルシー監獄収監は数か月の出来事だと考えられているが、この時期の体験がディケンズの心に、生涯消えない傷を残したのは確かである。それは時間が経てば癒されるという種の傷ではなかった。誇り高い少年にとっては耐えられない経験であっただけでなく、誰からも同情もされず、親にも見捨てられたのだという思いを拭うことができなかった。後年、この時の記憶を自伝として執筆したようだが、原稿は残っていない。ディケンズはこの出来事を懐かしい思い出話にも成功物語の美談にもすることができなかった。彼の作品の中には監獄が多く描かれ、靴墨や彼が働いた靴墨工場の名も登場するが、まさか読者は当時の大人気作家ディケンズがこの靴墨工場で児童労働していたとは思わなかっただろう。

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上図版|『互いの友』表紙(1893年)

 ディケンズは子供の頃から才能とユーモアにあふれ、人を笑わせることが好きな明るい人物であった。大人になってもそうしたユーモアや気さくさは失うことはなかったが、しかし、この体験はディケンズという人間を根底から揺さぶる経験となった。誰にも頼れず、自分を頼るほかなかった。明るい少年が、誰も助けてくれない、誰も自分の感情を理解してくれないという思いに基づく頑なさを身につけてもおかしくはなかった。

 後年のディケンズは特に気難しく、自分の主張を曲げることがなかったが、この経験がディケンズを攻撃的にし、彼の頑なさ、厳しさにつながったことは想像に難くない。そしてこの一連の出来事は、彼の人間形成に圧倒的な影響を与えただけでなく、作品全体に(初期の明るい作品の中にも)拭いきれない暗い影を与えることになった。そしてそれは、一見華やかなヴィクトリア朝が抱えていた暗い側面と響き合うものだった。

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上図版|『互いの友』(1893年)

 ディケンズは、エネルギーの塊のような人物であり、エキセントリックなエピソードも多いかなり風変わりな人物である。晩年のエレン・ターナンとのスキャンダルなど、ディケンズは結局、彼がそうありたいと望むような、つまり、世間が彼にそうであれと望むような、立派で模範的なヴィクトリア朝の人間ではなかったし、そうなれなかった。だが、抑圧的でタブーの多い、過剰な理想や規範が人々を苦しめていたこの時代に、理想と現実の狭間で狂おしくもがいたのはディケンズだけではなかっただろう。ある意味で、ディケンズはそうした矛盾だらけのヴィクトリア朝を象徴するような存在でもあった。

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上図版|『リトル・ドリット』月刊分冊(1855〜57年)

 そうした複雑な内面が、作品に影を落とすと同時に深みを与えた。いびつで、完璧とは程遠い、心に傷を持ち、矛盾を孕んだ人物が生み出す作品は、人の心を不思議に強く波立たせる力を持っている。ディケンズは人間を観察し描写することに非常に長けた作家だった。人間はきれいな生き物ではない。それゆえに、そんな人間がふとした瞬間に見せる美しさに魅了され、胸を打たれる。あるいは、驚くような人間の弱さ、滑稽さに魅せられる。時に類型的で平面的であると批判されてきたディケンズのキャラクターは、溢れんばかりの生命力を持つだけでなく、そうした瞬間を持っている。

 ディケンズの作品は時代性を強く帯びているが、人間描写のリアリティは時代を超える普遍的なものである。「理想的なヴィクトリア朝人」ではなかったディケンズが紡ぎだす物語やキャラクターは、多くのヴィクトリア朝の人々を魅了したが、彼が描いた社会の暗部や人間心理の暗い側面は、現代の人の心にも強く訴えるものを持っているからこそ、今でも彼の作品は多くの人を惹きつけてやまないのだろう。

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上写真|ディケンズが1837年〜39年まで暮らした家(現在は博物館
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