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きみはずっとかわいい

わたしがかわいくなくなっても

素直で優しくて明るい恋人の周囲は死で溢れていて、彼には死神が憑いているんじゃないかなあと思う。陽光みたいな人に差す真っ黒な影。彼を他人たらしめる、私とあなたの境界線。もっといろんなことをしてあげたかったと落ち込む声を通話越しに、「リリイ・シュシュのすべて」のことを思い出してた。
青春映画が好きなのは不器用な愛と別れがあるから。この世は色即是空なので、限られた時間の過ごし方が肝要だと思う。スクリーンの中の少年は別れに際して素直に(愚直に)傷つくことが出来て、その優しさと高潔さが好きだ。透明な傷を負うことのできる人間は何より尊い。私にはない魂の、私にはない泥臭い気高さ。
愛は試行で実験だ。間違いを繰り返して学んでゆくものだと思う。私は親に上手く愛されてこなかったから根底の愛情が足りていないみたいで、だからこそ愛にとても興味がある。生まれてこなければよかったといった口で成人を祝えるこころが知りたいし、愛されて育った子供の眩さにくらくらしたい(私がジョジョ一部が好きなのは、あれが愛された子供と愛されなかった子供の話だからです)。愛は与えるもので、私の恋人は与えられる人だ。彼が愛した人や物の足跡を辿って、彼という人格の形成段階を体系的に知りたい。だから彼に元カノがいることもとても尊くて、愛情の軌跡を知りたいからこそ、いつか彼女たちとの話も聞いてみたい(きっと教えてくれないんだろうけど)。私が好きだった女の話も聞いてほしいな。すごくすごく素敵でずるくて手を伸ばしても届かない人だったよ。一緒のお墓にいつか入りたかったな。死という影を見詰められる優しさと誠実さと素直さって彼にしかないもので、一緒くたにはなれないってやるせないけどときめきで、なんだか過去一彼にグッときてしまった。素敵な人の隣で、彼を巡る愛と別れの一つになれたら、それってどんなにトラウマ級の幸福だろう。骨になっても誇れるくらい今日を生き抜きたい。


音楽を辞める日

最近の私を語るうえで必須の映画、「カラオケ行こ!」。一回見て衝撃を受けて、二回目で完全に「理解」っちゃったけど、まだまだみたい、紅色の咆哮。岡聡美の「紅」が聞きたいがために映画館に足繫く通って1500円でシニアに囲まれながらエモーショナルの奴隷をしている。「カラオケ行こ!」、本当にやばい映画なんですよ。少年が不完全な自分を認められるようになる青春映画なんです。
挫折から成長できる人間は強い、からこそ、岡聡美はときに弱々しくて麗しい。狂児との思い出を絶唱に変えて、あの日の彼と音楽で待ち合わせ。ウワ―――――――――――‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼カラオケ行こ!がみたい!!!!!!!!!!カラオケ行こ!がみたい‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼クウ…。最強の爆音で成田狂児の「紅」を聞くには、狭い映画館がおすすめです‼‼‼‼‼‼狂った歯車を持つ成田狂児も、「大人になれないおんなのこうさぎ」の趣があって、良いんですよ…。駄目だ。オレ、「ファミレス行こ!」を買います。誰も止めないでください。時間作ってまた「カラオケ行こ!」しよ…。


(Over)The party

2010年代と大森靖子の親和性、つくづくやばいなあって実感する2024年2月。バレンタインフェアで浮足立つ渋谷を「絶対少女」を聴きながらふらふら。今日のセトリよりピンクであまたるいチョコレートを探したい。
女子校にいたころのバレンタインはとってもたのしくって、甘めのお菓子とたまに唐揚げを交換し合って休み時間にこそこそ食べたりゴディバ狙いで先生にあげてみたり。女の園の、いや箱庭の刹那的な幸福をタータンチェックのスカートにひろげてたいらげる。わたしは気持ちが悪い女の子なので、好きな女にもらったコンビニの袋とかチェルシーの箱とかをまだ持っている。かわいい箱に閉まっておいて、いつかおばあちゃんになったら「ああそんなこともあったなあ」なんてぽろっと涙を零すのだ。人生の一ページしか「それ」で指させないとしたらあなたは何を「それ」に定義しますか。それってどれなんだろう、ねえ。あれもそれもすぐなくしちゃっても残る夢がほしいし、誰かのカバーじゃない人生がほしいし、わたしあれそれこれとか色々考えてくたびれもうけな「あまい」をつくるよ。甘っちょろくて夢見がちなそれをラッピングしたら渋谷で集合。ミニスカートのうえにひろげたらたいらげてしまおう。わたしが朽ちても、あたしの魂は絶対少女。君もかわいく生きててね。


デュエル・デュエル・デュエル!

ෆ˚*棺桶に入れてほしいものリスト♡.*・゚
・ジョジョの奇妙な冒険 5〜10巻
・ジョジョとシーザーのフィギュア
・プリキュアの美しき魂
・誕生日にもらったネックレス
・『じごくゆきっ』
・エレン・イェーガーの人生
・二重整形の執刀医
・バレンタインデー
・シャーペンと紙
ありあわせのカードで戦える人生ならイージーゲームだけど生き甲斐がないなら負けたも同然。追加パックを買ったり無くしたりしてなんとか今日も生きている。生き抜いたぞってかわいい魂と忘れたくない未練だらけでデッキを組んでライフゲームならイカサマも許容しなきゃね人生だもん。かわいく死ぬために生きているから、かわいく生きれなきゃ今死んでやる。いつか地獄でデュエルをするとして、ぜったい勝てるぞーってつよつよの愛と呪いをいつまでも集め続ける・そんなメンタリティで生きれなきゃ・永遠の海に行く資格もないの。


胸いっぱいの犠牲を

将来のことを考えたときに、バージンロードってキモ‼‼‼‼‼‼‼‼‼ってオエッってなった。結婚するかも分からないのにね。父親にひかれてバージンロードを歩いた先に新郎様、私はうるんだ瞳で父親に微笑みかけて新郎と腕を組む、って何、キモすぎ、マジで死ね‼‼‼‼男なんて一生要らない。そもそも「娘さんを僕にください」様式のダサさに誰も何も口を出さないのも無理、本当に無理、キモすぎる、男って私の人生のなんなん?
違う。そんなことが言いたいんじゃなかった。バージンロードメンブレを起こした私は、「結婚してバージンロード歩くときは一緒に歩いてね」って幼なじみに連絡した。何も分かってなさそうな快諾LINEが一つ。ちょっと救われた。そんで数日後にその子から一言、「ウエディングフォト撮らん?」。もちろん快諾。男としか結婚式できないなんておかしいって前々から思ってたから。
運命ってプロパガンダ。だから社会的制約を背負う肉体としての「私」は妻になって、母になって、祖母になって死んでゆくんだと思う。でも精神のあたしはそんなことしたくなんてない。女の子と暮らして、えっちなんてしなくて、ゆっくりおばあちゃんになって縁側で手を繋いだまま死にたい。女の子だけの領域が他人よりちょっと大事すぎる。夜が時間になる前に早く死にたかった。


青梅

とあるアカウントで仲良くなったお兄さんとDMをするのが日課になっている。私のことなんてツイートでしか知らないくせに、お兄さんは私に首ったけだ。顔も知らない名前も知らない女に。変なの。そんなお兄さんのために私は日夜156センチ19歳の女になって、連日届く好き好きメッセに「わたしも♡」「だーいすき♡」みたいなことを返している。変なの。あの人の、私の愛の所在は一体どこなんだろう。
こうして文章を書くに至った、はじまりの女がいる。何者も寄せ付けないような寂しくてやわらかくてあたたかい孤高を描く憧れの人。お近づきになりたくて同じ大学に進もうとしたこともあるくらい好き、好き、大好きだった。そんな彼女が先日、パパ活ホス狂になっているとの近況をアップした。ホストとすることしたら卒業するってひとこと、これがあの子の春。彼女はいまでもかわらず素敵な文章を書く。胸が痛いな。あの人の、私の愛の所在は一体どこなんだろう。
わけわかんない世界で愛なんてぼやっとしたものをあたかも正解みたいに、春風にのせてその輪郭を見つけにいく。人は見たいものを見てしまうから、愛の輪郭なんて結局自分の内側にしかないのだ。型抜きした外側のぶよぶよ要らない部分がいまの私。内側の完璧な形を求めてぐちゃぐちゃになって何度も自分を枠に当てはめたがる。愛のために生きていたいな。自分の中に後ろの明るい誠実さを見つけられたら、生きてていいってことにならないかな。

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