最後までやり切った話をしたい
サボり癖がひどいので自分を奮起させる意味も込めて書こうとおもう。
小売業の人事で働いていてボロボロになったときの話の補足のようなものだ。
今年の1月、パワハラで消耗しきって適応障害に
昨年9月に入社した会社は、僕にとって居心地の悪いものだった。
とにかく女上司の無視や陰湿ないじめを受け続けた。
さらに転職まもない中、現職の環境からの現実逃避なのか知り合いの起業も手伝っていた。
年末年始も家に篭り続けVCへの資金調達を目的とした資料作りや、新サービスの構想作りのための各種オープンデータの調査分析なんかをずーっとやっっていた。
正直起業の手伝いはかなり充実していた。自分のADHDの特性がうまくハマっていたのだろう。ポカはやらかすものの楽しい年末年始だった。
(ちなみにこの起業を手伝っていた知り合いにはADHD特有のポンコツさを発揮し人権無視の発言をされて捨てられるのだがそれは別の話)
しかし、年末年始休みの最終日、体調が急におかしくなった。
寝ている中、急に吐き気がしてトイレで吐いた。
しかし、固形物はなく、胃酸だけしか出なかった。
そして眠ることもできない。頭痛がして、背中が痛い。
これまで鬱病をやった経験もあるため、これは完全にあかんやつだと悟った。
結局翌日は欠勤し、精神科に通院した。
診断結果は適応障害だった。医師からは最低でも2週間の休養を命じられた。
とりあえず2週間休む中でいろいろ振り返る
とりあえず2週間休む中で、自分の身の振り方を考えていた。
転職するか、それとも起業に完全にコミットするか。
そして、2週間したら自分はどうするのか。
自分の気持ちとして、退職する気持ちに揺らぎはなかった。
どう考えてもやっていけない。社風に合わないし、パワハラは受けるし、そもそも商材であるバイクは好きではないからだ。
問題は「どのように辞めるか」だった。
大きく2つあると思っていた。
・休職延長し、傷病手当金をギリギリまでもらいながら転職活動or起業の手伝い
・復帰して、自分のやるべきことを全てやり切ってから退職する
今考えたら他にも方法はあるんだろうけど、当時の自分にはどちらかしかなかった。
正直前者は好きじゃなかった。逃げるような感じがしたからだ。
心の病になったら逃げてもいいよとは言う。しかし、それが自分のしたいことなのか正直わからなかった。
そして何より、後者を選んで自分に負荷をかけたかったというのもある。
僕は12月ごろ、あまりにパワハラに悩んで、Youtubeで人生相談をされている某AV会社の創業者の方に人生相談をしてもらったことがある。
その方にこうおっしゃっていただいた
「君は大手は向いていない。ベンチャーの方が水に合っている。転職した方がいい。だけれども今の会社である程度認められてから辞めよう。それが君の自信になるから」
辞めるにしても、仕事をやり切らなければ認められない。それは他人からもだし、他でもない自分自身が自分を認められない。
そのように考え、向精神薬と期限切れのコンサータをガッツリ決めて出勤することにしたのである。
上司の上司に退職勧奨を受ける。リミットは1ヶ月
「君の体調を考えたらうちには置いておけない。リミットは1ヶ月後」
出社して1時間後に上司の上司である人事部長から言われた一言である。
(今だったら退職勧奨って言って弁護士連れてごねてるんだけど頭ぼーっとしててそれどころじゃなかった)
つまり、僕は1ヶ月以内に仕事をやり切らなければいけないのだ。
そしてここで言う仕事とは、期初に設定した目標である。前職の場合期初が12月。そして復帰したのが1月末だったので、本来4ヶ月かかる仕事を1ヶ月でやり切るということになる。
よし。やってやろうじゃないの。僕は夏休みの宿題を8/31から初めて9/1の午前4時に終わらせるタイプの人間だ。
そう考え、1ヶ月後の退職に向けて全力で仕事をやり切ることにした。
1ヶ月でやったこと
成果物ベースになるがこんなことをやった
・VBAを用いた人事業務自動化ツール作成
・手書きアンケートをOCRでテキスト化する仕組みと業務フロー構築
・E-ラーニング用研修カリキュラム作成×60本
・新人研修の成績と退職データからロジスティク回帰分析を行い、退職予測ツールの作成(退職するやつが作るってギャグかよ)
正直、見返してやりたいという思いしかなかった。
「自分は難関国立大学を出ていて、TOEICも800くらいあって、プログラミングもエンジニアでもないのにPythonやVBAやJavaScriptやSQLができて、データ分析だって重回帰分析できるし機械学習のアルゴリズムも独学だけどそこそこ扱える。パワポの資料を作ればそこそこ外資コンサルチックな資料だって作れる。そして人事としてのキャリアは4年以上あるんだ!VLOOKUP関数はおろかSUM関数もまともに扱えない、向上心ゼロのFラン出身のぶりっこ内股メスゴリラ(顔だけでなく体型も)上司に馬鹿にされたまま終わりたくねぇ!」
今見返すと本当にダサいけど、これが本心だった。
退職最終日、上司の上司からは認められる
そして退職最終日。
結局メスゴリラからは無視され続けた。
会社のルールとしては保険証や社員証などは基本的に直属の上司に返すことになっていたのだが、メスゴリラは僕と話すのが嫌だったのか、人事部長に個室に呼ばれて面談ののち、返却することになった。(いやほんとメスゴリラ、マネジメントする人間としてどうかと思うけど)
そしてそのときに人事部長から一言。
「体調悪い中あそこまでやり切るとは思わなかった。正直すごいと思った」
自分は戦いに勝ったのだった。
少なくともメスゴリラは僕のことをずっと嫌いだったけど。ある程度会社に対して認めさせることはできた。そして何よりも、自分が逃げなかった。
やっと会社を辞められる。
その日の帰り、ラーメン屋に寄って自分へのご褒美にチャーシューとネギ大盛りのトッピングをつけてあげた。
普段なら胃もたれして残してしまうがすっかりきれいに平らげた。
そして今、僕はスタートアップで働いている。
正直業務の難易度は前職より全然高い。
でもほんとに優秀な人達に恵まれて、自分に合ったリモートという働き方で、働けている。
ハードな案件で逃げたくなる時もあるけど、そんな時にはいつもあの「ボロボロになりながらもやり切った経験」が僕を支えてくれる。
大丈夫。
きっとなんとかなるさ。
今辛い思いをしている人。特に発達障害があると、辛い思いしかない。と言う人もいるだろう。
でも、その負荷にある程度耐えられれば、将来の肥しになる。
その環境の中で、ほんの少しでいいから、何かやり切った感覚をもったら逃げてもいい。
だから、どんな些細なことでもいいから、つらい中で自分で自分を認められることをしてみよう。
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