社会人2年目の頃の挫折体験

就職浪人の末、ホワイト企業に入社

3つ上の兄が社会人1年目に適応障害を発症し、退職したことをきっかけに。自分は兄のような営業会社には絶対就職しないでおこう。できるならば公務員や独立行政法人のようなホワイト企業に就職使用と考え就職活動を行った。

一度就職浪人はしたものの、なんとか3年以内離職率ゼロ、平均残業10時間弱というホワイト企業に就職することができた。

業界としては生命保険業界だったが、自前の営業部隊を持たず、代理店の職員が保険を営業するというビジネスモデルだったこともあり、この先自分は営業なんかしなくていい。鬱になるリスクも限りなく低い。

そんなことを考えながら大学四年時を過ごしていた。

実際勤務してみると、多少残業時間にギャップはあったものの、今考えると、純白ともいえるホワイト企業だった。

しかしながら、自分が入社した代にはある試練が待ち受けていた。

現場への出向

ちょうど自分が入社した代から、営業現場に2年間出向することが実質的な義務となった。

ちなみにその営業現場というのが特殊で、単に保険の営業だけをすればいいというものではなく、トラックに乗っての食品宅配や飛び込み営業、果ては貴金属の営業までしなければならないというもの。

2ちゃんのブラック企業偏差値ランキングでもまさかの70オーバーという数値を叩き出していたことは、学生時代、必死にホワイト企業を探すために様々な情報サイトをクローリングしていた自分にとっては、わかり切ったことだった。

もし、就職浪人せず、この会社に入社できれば避けれた事態だが、どうすることもできない。

出向が知らされたのが入社2ヶ月前、実質内定辞退不可能だったこともあり、渋々入社することになった。

出向制度では、最初の1年間は本社で社会人としてのマナーを積み、翌年から現場に放り出されるというものだった。

会社側でも流石に内定辞退不可能なタイミングでの告知は問題だという労組の意見があったことから、1年の猶予期間の間に適性や希望を聞いた上で、出向対象者を選ぶということになった。

勝手に期待して勝手に裏切られる

当時17人いた同期全員、本音としては「出向にいきたくない」という答えだった。当然かもしれない。誰もが企業理念よりも、そこそこの給与と圧倒的なホワイトさに惹かれて入社している。

それは、出向対象者を選定する人事の側の同じ想いだろう。

そんな中、自分は人事評価にバツを付けたくない。先に立候補した方が、自分の希望する地域に配属されるのではないかという思いで、なぜか自分から立候補してしまったのだ。

特に後者に対しての想いは強烈で、大学時代の友人や社会人になってからできた友人の大半が東京に住んでいたこともあり、東京に残りたいという希望は切実に伝えた。

しかし配属先は、電車が1時間に1本しか来ないようなど田舎だったのだ。

負のモチベーションで努力する

なぜ自分は率先して手を挙げたのに、こんなど田舎なのか。自分の20代ってなんなんだろう。20代前半の若者にありがちな肥大した自意識によって、会社に対して見当違いの恨みを持ってしまった。

「こんなクソ田舎に飛ばした会社を見返してやる」
「現場で最高の成績をとってからもっと待遇のいい会社に転職してやる」
「自分をこんな扱いにしたやつよりも稼いで罵倒してやる」

そういった思いで仕事にのめり込んだ。

顧客の思いなんてどうでもいい。とにかく自分の数字を挙げることが全てで、それ以外はムダ。数字を取れない奴はクズで生きている価値がない。自分よりも成績挙げていないおじさんたちが自分よりも高い給料をもらっているのは許せない。

誠に恥ずかしいかぎりだが、そういった想いで仕事に取り組んでいた。

結果として、配属1年目ながらも、事業所内で60名中3位に入るほどの好成績を挙げることができた。

自分の計画は順風満帆で、出向期間が終わる頃には抜群の成績を手土産に大手企業に転職し、自分を飛ばした相手に後ろ足で砂をかけることを楽しみにしていた。

鬱になる直前考えていたこと

好成績をマークし続け、自分の計画は何も問題ないと思った矢先だった。
急に体調がおかしくなった。

訳もわからず涙が出てくる。
感情が制御できない。
眠れない。
運転中ガードレールにぶつかってやりたいという衝動にかられる

ここで潰れてはだめだ。大嫌いな兄のように落伍者になる。自分を飛ばした奴らに笑われる。でもこの生活も限界だ。早く楽になりたい。ああ、ガードレールだ。ぶつかって死のう。自分の無能さがあらわになる前に。惜しい人をなくしたと言われながら死んで行けば問題ない。飛ばした人事の奴も自分が死ねば自責の念にかられるのではないか?

今思えばくだらないことだが、当時はそれでいっぱいいっぱいだった。

そして、通勤途中。めまいがして、道端にうずくまっていたところを同期に発見され、保護。自宅にそのまま送還され、半年間の休職となった。

反省点

今考えると、身から出た錆とも言える話だ。
だが、当時の自分には死にたくなるほど重大な問題だったのだろう。

大きく反省点は三つくらいある

①「No」と言える勇気がなかった。嫌なことなら本気で拒否したほうがいい。言いなりになって自分が壊れても誰も責任は取らない。

②恨みや見返したいというモチベーションは瞬発力はあるものの持久力は全くない。ルート営業のようなスタイルには全くもって合わない。

③見返したいという想いに能力が追いついてないと禿げあがるほどしんどい。成果が出せない時に、(or自分の能力のなさが表面化した時に)どれだけ馬鹿にされるんだろうという気持ちでいっぱいいっぱいになる。

結局、自分の意見を言わないと言いなりになって利用されていく。
そんな中でも自分だけは、言いなりになればあとで報われると自分本位な期待を持つ。
そしてそれが報われずに相手を恨み精神的に自壊する。
Noと言える勇気。相手に期待しないこと。だいじ。

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