何度も、何度も、何度でも~家でも迷子だった、インナーチャイルド~

みんな、生まれながら「不安」をもっている

うちの下の子たちは、家の中にいるときでも、しばらく私の姿がみえないと「ママ、どこーーーー!?」と大きな声を出して、私を探す。

そして、私がいることを確認すると、安心して、また遊び出す。

これって、小さなこどもにとっては、ごく自然な光景であり、順調に発達してるって証拠。

こどもの年齢が低いほど、目の前に母親がいないと、不安を感じる。

生まれたばかりの赤ちゃんだと、抱っこされていないと不安で泣いちゃう子も多い。

心理学的に言うと、「母子分離不安」ってやつだ。

後追いで大変な想いをしたママさんもいるかもしれないけど、

こどもが発達してくるにつれて、「母親が離れていても、また必ず戻ってくる」という安心感を感じられることで、徐々に物理的に母親からも離れられるようになる。

そう。

こどもの発達の初期段階では、この「安心感」がすごくすごく大切!!!

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じゃあ、こどもの頃、この「安心感」を感じられなかったこどもは、大きくなったら、どうなるのか???

「安心感」を探し求めて、最初は母から、それが無理なら父や家族の大人たちから、それがダメなら他人から何とかそれを得ようとするだろう。

だって、こどもは自分で「不安」を取り除き、「安心感」を獲得することはできないから。

こどもが大きくなってもこの母子分離不安が消えないときは、こどもの「安心感」をどう満たせるか?がポイントになるかもしれない。



「さみしさ」の世代間連鎖


だけど、特に私たちの親から上の世代は「甘えるのはいけない」という信念が根深く残っていたりする。

そういった信念で育てられた私たち世代も、もちろん、その傷は根深い・・・

私自身も、小さな頃から家の大人たちから「甘えること」「さみしいこと」はみっともないことだと、言われてきたし、言葉以外のことでそう感じてきた。

だけど、今、よく考えてみたら、うちのおじいちゃんもおばあちゃんもお父さんもお母さんも、その上のご先祖さまたちも、みんなみんな本当はさみしかったんだと思う。

我が家の大人たちは、みんな、「さみしさ」を抱えながら、そこを満たすということを知らなかったんだなぁと改めて、深いところで理解した。


だから、私自身がさみしさを満たそうとするとき、罪悪感がある。


家にいても、不安でしかたなかったチャイルド


今日、感じたのは、「ママーーー!!!!????」「ママーーー!!!!????」と、何度も何度も何度もママである私の居場所を確認したくなるチャイルド。

2歳前から私は家の事情で、母とは別の寝室に寝ていたから、小さなゆみちゃんにとっては、今、この母を確認するってすごく必要なことなのだと感じる。

でも、実際は、小さい頃、「お母さん」「お母さん」言うと、周りの大人たちから「うるさい!!!」「静かにしろ!!!!!」「お姉ちゃんなのに、そんなに言ったら恥ずかしい!!!!」って一喝されて、『さみしさ』と『不安』は心の中に閉じ込めることにした。

ゆみちゃんは、不安で不安で、家の中でも迷子みたい。

「お母さんはどこ?お母さーーーん?

いるの?

どこにいるの???」

ゆみちゃんの悲痛な叫び。


ゆみちゃん、お母さんが近くにいなくて、すごく、こわかったよね。

何度も何度も何度も、お母さんを確認したかったよね。

特に夜は暗いし、こわいもの。


だけど、実際は、夜、寝るときには母はいなかったし、小さな私は、そのどうしようもない不安を抱えたまま、寝るしかなかった。


だから、小さなゆみちゃんが、何度も何度も何度も何度もママの居場所を確認することは、ごくごく自然なこと。


だけど、小さなゆみちゃんは、その何度もママを確認したくなることに対して、罪悪感を感じてた。

私がそうしたら、ママに迷惑かけちゃうって。。。


「ゆみちゃん、ママ、全然迷惑じゃないよ。

自分の『さみしい』に正直になっていいんだよ。

何度も、何度も、何度も、何度でも、ゆみちゃんが安心できるまで、ママゆみちゃんの元へかけつけていくよ。

ママのこと、さみしくなったら、いつでも呼んでいいんだよ。

さみしいことは、恥ずかしいことでもない。

さみしいものはさみしい。

だから、そこを満たせばいいだけ。

それでいいんだよ。

何度でも何度でも、ゆみちゃんが安心するまで、ママがいること確認していいよ。

「さみしい」と感じるのは、全然、悪いことではないし、我慢できないのはゆみちゃんのせいじゃないんだよ。

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チャイルドとの和解


伝えると、ゆみちゃん、びっくりしてる。

「え!?それでいいの!!!????って。

ママ、迷惑じゃないの?????

ずっと、ゆみちゃんが悪いと思ってた。

もう、こわいのをかくさなくていいんだね。

よかった」って。

それから、
「こわかったーーーー!!!」

エ~~~~~~ンって私に抱きついてくるイメージ。

体の芯から震える感覚も一緒にやってくる。



家にいてもずっといつも迷子だったんだね、ゆみちゃん。

2歳の頃って、ほぼ、お母さん=自分って認識。

お母さんの居場所が確認できないって

つまり、自分の居場所もわからないってことだ

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「それは、不安だよーーーー。

よく頑張ったね。

よく生き抜いてくれたね。」

改めて、私はイメージの中で、ゆみちゃんを抱き寄せて、ワシャワシャって頭をなでてあげる。


小さい頃、獲得してるはずの「安心感」という発達課題。

ここ、満たせなかったことの代償は、こんなにも大きいんだなと改めて。。。。。

そういえば、私、この始終、不安な感覚、迷子の感覚とは、ずっと一緒にいたな。

もう、私自身と一体化し過ぎて、感じることもできなかったけど。

ようやく感じられるようになったんだな。

よかった。


親に満たしてもらえなかった安心感を、今、こうして自分自身で満たせるようになったことは、とっても大きな進歩だと感じる。

一歩ずつ、一歩ずつ、やっていくしかない。

次の世代に「さみしさ」の連鎖を引き渡さないためにもね。。。



蠍座新月の影響か、今、私には「深い関わり」っていうテーマがやってきてる。

まずは、自分と深い関わりをしていこう。

迷子のゆみちゃんが安心できるよう、何度も何度も自分自身でいる感覚、自分を満たす感覚を確認していこう。

ゆっくりと時間をかけて、濃厚な、自分との関わりを、自分に許そう。

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