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時の峠・夏至

時の峠。

夏至と冬至は一年を分かつ「時の峠」。去年の冬至からの半年を振り返りながら、夏至から今年の冬至へのまだ見ぬ半年を思い描いてみる。陽の光が満ち、ピークを迎える頃、大地に短い影が映し出される。太陽の南中高度が高くなるにつれ、自分の中の白い部分と黒い部分のコントラストも激しくなる。夏は心躍る季節であると同時に心が揺さぶられる季節でもあるのだ。

今年は夏至を前にして月食と日食がやって来た。食は心の変容をうながす。そのプロセスは心の脱皮とも言えるようなヒリヒリした体験をもたらすこともある。自分がどこから来てどこに向かおうとしているのか。太陽の向かおうとする方向に進むためには月の幼さや無力さと直面しなければならない。大人になってもう久しいけれど、いつまでも心の中に潜む幼い自分に振り回されたりもする。そうやって、太陽と月は危ういバランスを保ちながら、その人の輪郭を形作っていく。

自分ってどんな形をしてるのだろう?それは自分の内と外とをつなぐ大きな橋を渡り切ってみないとわからない。自分が知ってる自分と他者が知っている自分、その間でひとは「自分らしさ」と呼ばれるものを探し出し、それを頼りに自分を前に進ませていく。

自分という鏡に相手を映す、相手という鏡に自分を映す。絶えず誰かとお互いを映し合いながら自分というものの存在を確かなものにしていく。そして、その鏡にも映らない自分も他者も知らない未知の自分にも出会っていく。

夏至の太陽の強い陽射しが天頂から頭上のてっぺん・百会に降り注ぐ。くらくら目眩がしそうになる。その陽射しは全身を射貫いて大地に刺さる。まるで過去と現在と未来がひとつになって自分に襲いかかって来るかのようだ。ひとは死を迎えるとき、その一瞬の間に生まれてから死ぬまでの情景を走馬灯のように瞼の内に再現するそうだ。

生きながら少しだけ死を想う。こんなご時世だからこそ、そんな気持ちになったりするのかもしれない。夏至の太陽はただ明るいだけじゃない、その光が作り出す短い影を想うとき、影を内包しない光などないのだと改めて気付かされる。


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