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謙遜しすぎは「ねたみ」を生む

kirakuです。




優秀な人がいます。




何事も相手を思いやり、一歩引いて、謙遜する。






まず自分が犠牲になる。




子供のために、家族のために、会社のために。





気を遣っての「すいません」



日本人は奥ゆかしさ、見せない、言わない美徳を持った民族。






相手の気持ちを察して、気を配る。
輪を乱すことはしない。



集団を大切にする。




謙遜しましょう。
他人のために尽くしましょう。



日本人としてのルールです。













はぁーーー!?





うっせぇうっせぇうっせぇわーー!!!










取り乱しました、すいません。
あの曲が過ぎりました。笑







今回は謙遜し過ぎると

「ねたみを生みますよ」と言うお話。






一般的に謙遜は美徳。






もちろん、僕もそう思います。



ただ、「謙遜しすぎ」は良くない。



謙遜し過ぎる人は自分を低く評価しがち。




日常の謙遜する言葉や行動が、その人の思考に刷り込まれ、自分自身に自己評価の下がる暗示をかけ続けます。






自己評価が下がれば下がるほど、自分より立場の良いと思われる比較対象が増えます。





その結果、謙遜の裏に
「こっちがこんなに謙遜してるのに、あの人の態度は何なの?」



「こんなに自分を犠牲にしてやってるのに、周りは気づいてくれない」



他人に悪意を抱いたり



「どうせ、私なんてあの人よりダメな人間だ」


「自由に発言できる人は羨ましい」



と妬み生んでしまう。





同じような立場の人に愚痴り、負の共感を生み、比較対象を叩くことで、ひと時の発散する。




そしてそれをまた繰り返す。




果たしてこれは優秀な人で、美徳なのでしょうか?





妬み。
それは人間特有の「不幸を呼ぶもの」です。






例えば





クジャクは同じ群れのクジャクに「あいつの羽の方が綺麗」と妬みません。誰よりも自分の羽を1番綺麗だと信じ込んでいる。






人間はどうでしょう?




比較して、あいつの方が上だと思う、そしてそのあいつも、違う誰かを上だと思う。





この点が、人間特有なんです。




比較こそ妬みを生み、エンドレスに続くもの。



比較をやめる。難しいけど、比較することは結局自分に対して不幸として返ってくるもの。





だからやめよう、謙遜しすぎもやめよう。





なにか褒められたら




「いえいえ」と相手から頂いた「褒め言葉」否定する(謙遜)するのではなく




素直に受け入れる。
「ありがとう」に変えよう。







はい、いかがでしたでしょうか。



今回はラッセルの「幸福論」から、僕なりの解釈でねたみについて書いてみました。




以前も比較やめよ、という記事を書いたのですが




そう思って書いた記事のもっと前にラッセルさんが、比較やめよって本にしてました。笑





ずっと前の人もそう言ってると言う事は、比較をやめることが、幸せになるための本質的な考え方なのかなと思います。




今回はこの辺りで。最後までご覧いただき、ありがとうございました。それでは^^

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