存在感と存在

とかく話題な教職員のサービス残業。始まりの時間には厳しいのに、終わりの時間に甘いの、なーぜなーぜ?

生徒の遅刻を厳しく指導する教師が、たいてい話が長くて、チャイムが鳴っても話し続ける風景はよく見ます。

「存在感」で仕事をすればいいんです。生徒の前に教師が存在しなくても、生徒の心の中に存在感を残すんです。生徒が、ちょいちょい教師の言葉を思い出しながら、自主的に、自分の頭で考え、自律して、うちで勉強します。

「存在」で仕事をすると、生徒の前に教師が存在して、生徒に圧をかける。勉強でも部活でも。こうなると、いつまでも学校に残らなくてはならなくなり、労働時間も増えてしまいます。で、教師が存在しないとがんばらなくなり、さらに存在時間が伸びるという悪循環。

先日も集会では、さんざん生徒に話を聞かせてからも、次から次へと教師が出てきて、チャイムがなっても話が終わりませんでした。話は長くなればなるほど、生徒の頭の中に残るものは減るという事実は知らないようで。

僕は、存在感で働くので、さっさと帰ります。

本日も、お残りのセンセイ方、お疲れ様です。

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