教科書を捨てよ

教科書通り、学校では褒め言葉。社会では、そうではありません。教科書の問には答えがありますが、実社会での問には、答えは人の数だけあって、しかも期間限定で、そもそも答えがない時もありますから。

教科書は、本当につまらないんです。それは、きっとストーリーがないからでしょう。ただの情報の羅列。昭和チックな授業では、そんな情報を垂れ流し。生徒は、小さなコップで必死に受け止めようとしているようです。あふれるは、こぼれるは、もう大変。

教科書の向こうにストリーを描き、黒板の向こうに世界を見せるのが、教師のお仕事。

社会で求められるのは、暗記した情報ではなく、アイディア。もし、飲食店で、同じレシピ通りの料理を出し続けていたら、閉店に追い込まれるでしょう。どんなお店も、たとえ創作料理を謳わなくても、日々、創意工夫して、新しいことにチャレンジしているんです。

僕は寿司の修行もしているのですが、本やYouTubeでは、本当のことは教えていません。どの店にも秘伝があり、そう簡単には外には出さないのでしょう。うちの大将は、聞かれたら、レシピは誰にでも教えちゃうんです。秘伝を教えちゃってもいいの、と聞くと、教えても絶対できないから、いくらでも教えてやれ、と。

「人は人に教えることはできない」そうです。フムフム。

自分で気づくしかないのでしょう。教師はそれを援助するだけ。今流行りの言葉だと、コーチングでしょうか。

教師の仕事は、教科書通りに教えれば、アイディアもいらないし、楽ちんです。それでいいのかって話です。

大臣が裏金をもらったりする文科省の厳しい審査を通った教科書なんて、面白いはずがありません。

万国の教師たちよ、教科書を捨てよ!我らを縛る鎖以外、失うものは何もない。


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