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SS【浮かぶ】#シロクマ文芸部

小牧幸助さんの企画「金魚鉢」に参加させていただきます☆

お題「金魚鉢」から始まる物語

【浮かぶ】(1100文字)

 金魚鉢を衝動買いしたのは、今から二十年ほど前のことだ。
 当時の私がなぜそんなものを買ったのかは思い出せない。二十年も経てば全身の細胞はきれいに入れ替わっているから、別人のようなものだ。
 その頃は、他にも愚かしいことをたくさんした。
 若気の至り?あるいは悪霊の祟り……。

 そんなことを考えているのは、目の前に件の金魚鉢があるからだ。
 私も今では四十代。しかし不惑どころか、迷いまくっている。
 そこで人並みに心を整えようと、当世流行りの断捨離なるものをしてみんとて押入れを開けた。すると古いバスタオルに包まれた丸い物体と出くわしたのだ。まったく記憶にないので、なんだろう?と微かにわくわくしながら開けてみたら金魚鉢。一度も使ったことがないので、ガラスの微かな曇り以外は傷ひとつなくきれいである。
 そう、金魚鉢を買ったのに金魚は飼ったことがないのだから、まさに悪霊に祟られて買ったとしか思えない。悪霊は私になにをさせたかったのか。
 とはいえ、このまま捨てるのも忍びない。そんな心持の人間には一生断捨離はできないだろうけど、まぁいいかと思う、惑々の四十女。

 私は、午後の明るい台所で金魚鉢を洗った。ガラスと水滴が太陽に照らされてキラキラと光る。悪霊も流れ去ることだろう。きれいに拭き取ると金魚鉢はピカピカになったので、窓辺に置いた。
 そして、椅子に座り金魚鉢を眺める。

 見ていると、だんだん力が抜けて、ぼうっとしてくる。
 椅子はすっぽりと私を包み込んで快適だし、今は空腹でも満腹でもなく、暑くも寒くもない。辺りもシンとしている。
 私はそんな状態でかなり長い間、ぼんやりと金魚鉢を眺め続けた。

 
 まるくて
 きれいに
 光っている
 空っぽの金魚鉢

 

 ……ひょっとしたら

 あの時の私に金魚鉢を買わせたのは、若気でも悪霊でもなかったのかもしれない。むしろ、未来の私では。ふと、そんな思いが浮かぶ。
 二十年後に押入れから発掘されて窓辺に置かれることを見越して、未来の私がひょいと手に取らせたのだ。四十代になっても迷い続けている女を慰めるために……。

 
 空っぽのこころを映す金魚鉢

 
 今度は、そんな俳句もどきが心に浮かぶ。私は、おもむろに冷蔵庫からミネラルウォーターを出して金魚鉢にたっぷりと注ぎ入れた。
 そして再び椅子に座り、残った分をゆっくりと飲み干す。

 たっぷりと水を湛えた金魚鉢の水面は、ユラユラと揺れている。
 私の体も、それに合わせるように揺れている。
 すると、また言葉が浮かぶ。

 
 空っぽでもいいじゃない。
 迷ったっていいじゃない。
 それがわたしなんだから。
 それに……
 空っぽなら、なんだって入るから。

 
 ……たしかにね。

 私は、たっぷりと満たされて、ユラユラ揺れながら夢の水面みなもに浮かぶ。


おわり


© 2024/5/26 ikue.m

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