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嘘の素肌「第27話」


 喫煙所から出た後は松平に適当な理由を告げ、VIPルームには引き返さなかった。いずみのマンションへ戻る気にはなれず、他人との交流を遮断し今は制作に打ち込みたい心地だったので、三年前から借りている立川のアトリエ代わりの安アパートに大人しく帰った。数時間後、ゴミ屋敷に近い状態の一室で僕が筆を握ると、松平から「刺青と巨乳でロイヤルスイート。半分桧山の尻拭い」とLINEが届いた。何が尻拭いだ。口では偉そうに女の入れ墨を視たいなどと言い訳していたが、松平も結句男である。界隈の中で一番アホそうだったグラドル女まで僕を免罪符にホテルへと連れ込むあたりが、下腹部には素直である彼のお粗末極まりない女癖を如実に露呈していた。

 松平がどのようなセックスをするのか漠然と想像しながら、僕は狸顔の女をモチーフにエスキースを何枚かスケッチブックに描いた。平たい鼻梁。のわりにすっきりとした輪郭。内巻きの茶髪。付け爪の尖った指先。溝の深い谷間。コンシーラーで隠していたニキビ痕。どれを破壊しようと魅力的な絵になりそうもなかったので、狸顔は下絵だけで終わらせた。ディスコミュニケーションには至らない凡庸な素体。面白くない。

 煙草に火をつけながら、思えばここ数か月、自分のアイデアで油彩画を描いていないことに気付いた。四年前、高校在学ぶりにキャンバスへ向かい始めた頃は、一日六枚のデッサンと、直描きによる油彩画を最低二枚ノルマとし、睡眠時間などは削りながら必死に描いていた。脅迫的なプレッシャーから日夜襲われた僕は睡眠障害で病院にかかり、ユーロジンを酒で流しながらなんとか眠りにつく日々を過ごした。原因不明(とはいえきっとストレスだろうが)の蕁麻疹と自律神経失調症。無意識化で震える指先が語るように、当時の僕は明確な焦りによって怯え続けていた。しかしその焦りも、松平というメンターの登場により落ち着いていき、僕の躁鬱的なライフスタイルも次第に安定していった。

 松平は現在、主に僕の登録者数五万人のユーチューブチャンネルの運営と、絵の依頼および売買取引を担ってくれている。サイト上でショート動画が流行り始めたことにいち早く目をつけた松平は、絵を描き上げる風景を定点カメラで撮影し、それを松平の知り合いで声優志望である人間によって解説しながら流す動画を提案してきた。解説の文言は、僕が絵を描きながら考えていたことを文章化し松平に絵と一緒に送っている。流行のバッグミュージックと、洗練された美声。そして一つずつ作り上げられていく絵の映像。コンテンツとして形を成したそれは松平の読み通り再生数も順調に回り、登録者も半年で五万人まで伸びた。松平の時代を読み、流行を捉える技術や慧眼にはいつだって頭が上がらない。これもまた一つ、才能と呼ばれるものなのだろう。

 松平から送られてきた採用コメントをテーマに今夜も絵を描く。つまり彼は僕にとってのプロデューサーでありクライアントなのだ。クライアントに対する姿勢は社会人生活で嫌程身についていた。芸術家を気取って締め切りを守らず力作を描くなどはしない。僕にできるのは、その制限内で描ける程度の絵を、松平に締め切り厳守で提出すること。一度締め切りを二日守れなかったことがあった。その時松平は神妙な面持ちで「納得がいく絵を仕上げようなんて考えてるなら、その感情は棄ててくれ。俺は桧山とビジネスをやってるんだよ。お前のパトロンになったわけじゃない。自惚れと慢心で傑作だのを追い続ける間抜けが俺は一番嫌いなんだ。わかるだろ、相棒なんだから」と釘を刺された。松平はきっと、全てを上手くやってのけた世界線の僕みたいな男なのかもしれない。そんな気がした。

 直近で依頼が入っていたのは、コメント「人の嘘に気づいてしまった猫」だ。僕のチャンネルのコメント欄は投稿される動画の性質上、やけに気障ったらしい人間の発言で溢れている。描ければいい僕にとって、視聴者や収益などはあまり関心がないが、稀にちらっと覗くとアンチコメントのようなものも幾つか散見された。「絵が下手な分、この絵描きは顔で売ってる」「こいつの絵、マジで雑なだけ」「現代アートへの冒涜」「これがアラ・プリマ?笑」「ニセ油画

 部屋の隅に積み重ねた、既に布が貼られたキャンバスを一枚イーゼルに立てかけ、撮影用スマホカメラをオンにする。とりあえずボールペンを両手に一本ずつ持ち、いつも通り乱雑に線を重ねていく。最近僕の動画で好評なのはこのボールペンを用いたドゥードゥルアートに絵の具をのせていくスタイルだ。意味もなく走った無数の線から一つの絵が捉えられる様子は、素人目にも観ていて面白い。松平もこのドゥードゥルを気に入っている。

 欠伸でもしながらインクを擦り付け、そこで生まれる線を軸として、ペインティングナイフに乗せた絵の具で少しずつ猫を捉えていく。ああ、人の嘘に気づいた猫とは、つまりただの猫だ。このコメントをした人間は、猫が人の嘘に気づくという希少性を信じている莫迦な奴なんだと思う。猫はいつだって気づいている。だから、本来であれば只の猫を描けばいいし、それこそが真実を描写する行為であろう。しかし視聴者はそんなことを求めていない。松平から口酸っぱく言われたことを思い出しながら、退屈の意味を込めた溜息を挟んで手を動かした。

「細分化して言えば桧山は天才とは違う。ただ、限りなく天才に魅せるのが上手い人間ではあるんだ。つまりな、本当の天才と比較されなければ、大衆の目には桧山はずっと天才で映り続けることができる。ただし、それにはチョー残酷な条件が付随する。お前が自分の心を殺し続けることだよ。そうやって、お前の天才演出が成り立つんだわ。天才じゃない自分を天才だと偽る、嘘をつき続ける覚悟さえあれば、お前は贋物の世界で頂点に立てる。なあ、嫌か?でもやれよ。なんだって高みに上らなくちゃ見えない景色がある。桧山はその高みを目指すとき、過程の密度を重視するか。それとも経過時間の短縮を意識するか。答えは後者だろ。わかるよ。お前と俺はよく似てるからな。自分のセンスや才能を心の奥底で信じるような間抜けが、独創性や表現欲を過信し、何者にもなれないまま淘汰される。あー、きっしょいよな、そういう連中。偉そうなこと言って、バズも賞状も金銭も得られてないんだから、価値ないっての。一緒に嘲笑ってやろうぜ。怠慢と自信に満ちた、お前が憎んで止まないかつての親友を、俺と一緒に頂点から全否定してやるんだよ。お前だって、そのために描いてるんだろ」

 乾燥の早いぺトロールの香りが鼻腔をつく。僕はこの数年間のうちに、松平やいずみのおかげで何者かになれた。求められている。存在価値がある。ずっとなりたかった姿になれた。だからこれでいい。つまらなかろうと、無意味だろうと構わない。あとは僕の時が満ちて、どんでん返しで全てを裏切って、皆を騙して死ねばいい。僕のゴールは既に、そこにしかない。大義などない。報復的感情だけで、僕は僕の死生を弄んでいたい。

 絵を描きながら、自殺の予防について再度頭を捻った。WHOの『自殺を予防する—世界の優先課題—』によれば、自殺は「故意に自らの命を絶つ行為」とされている。この定義における自殺の問題点が挙げられるとすれば、故意すなわち死の意図という主観的な精神状態を自殺の要件に含めている点であろう。果たして君は死にたくて死んだのか、死ななければいけないから死んだのか、その問いについては答えが鮮明化されにくい性質がある。また哲学者の加藤茂は『自殺の現象学』の中で、「自殺者は生を捨てて、死を選ぶのではありません。選択の対象、目的が生から死へ移行するわけではありません。」と述べている。つまるところ自殺という事象そのものは、何やら消極的な目的に由来し、その弱り切った精神状態が適切な判断機能を低下させてしまう為、意図せぬ結果を招く可能性があるから予防すべきだという風に僕には聞こえる。しかし、ハイデガーの被投性の概念を応用するのであれば、自殺は世界の外へ自己投出する行為と呼べるのではないか。そもそも被投性には、我々の生が理由もなく突然始まり、勝手なまま世界へ投げ込まれ、理由もわからぬまま存在し、ある日突然終わりを迎え、世界外に投げ戻されるという考え方があり、では自殺は限りなく自分を理解した人間の行為なのではないかと僕は考えている。であれば、予防すべきという価値観はつまり、人間は何もわからないまま生き続け、何も知らずに死ぬ事が美徳であると言われているような気がしてしまう。だからといって、倫理的尺度からすれば、WHOの文面に頷く点も多い。その自殺を齎すのが本人の意志ではなく他者の執拗な攻撃であるなら、それは予防すべきだといってもいいだろう。

 松平は「死にたい奴は勝手に死ねばいい」と言ったが、それも真理だ。ハイデガーの世界外自己投出、とまではいかないが、スケールダウンし、チープ化したら松平の思想に重なる部分は多い。ただ、彼はそれが表現者の奥義として面白いから受け入れているような発言をした。やっぱり答えは簡単には出ない。まあ、こんなものに答えが出てしまったら、この国、いや世界中の自殺者人口は確実に増加するだろうが。



 四時間後、絵は完成した。ビリジャンの緑を纏った猫の瞳が僕を視ている。カーテンの隙間、既に外は濃藍に光りが紛れて朝の兆しを教えてくれている。猫と目があう。下手糞な絵。僕は撮影した動画ファイルと適当に考えたナレーション用原稿を松平にメールで送信した後で、一昨日届いた瑠菜からのメッセージへ返信をした。「四回忌、どうするの」という内容に僕は三日遅れで「いかないよ」と返した。

 珈琲でも飲んで一息つこうかと電気ケトルに水を注いでいると、想定より早く瑠菜から返信がきた。「わかった。ねえ今日何してる?」ケトルが沸騰するまでに返事を考える。最近は忙しくて瑠菜と会えていなかったから、久しぶりに彼女のやりたいことに付き合う日を設けようかと思い立った僕は、「今日は休みだよ。たまには美味しいご飯でも食べにいこうか」と文字を打ち込んだ。

 送信ボタンを押したタイミングで、部屋の鍵が外から開錠される音が響いた。

「いるよねー。お邪魔します」

 いずみだった。

「どうしたのこんな朝早くから」

 合鍵をぶら下げる手には合わせて保冷バッグが握られている。

「徹夜で頑張った茉莉に差し入れのお弁当だよ。どうせ食べてないだろうと思ってさ。しかし部屋汚いね。掃除もしてあげる」

 カチッと音を鳴らしたケトルにいずみが反応し、狭いステンレスの台所に保冷バッグをひとまず置いて、僕が用意していたドリップタイプの珈琲に湯を注いだ。

「お腹空いてたからちょうどよかった。一緒に食べよっか」

 いずみが何回かにわけてお湯を注ぐ間に、瑠菜へ送ったメッセージの送信を取り消した。彼女が既読していたかは急いで消したから確認しなかった。描いたばかりの猫の絵をいずみにみせようと思いキャンバスに手を伸ばすと、猫の目はやはり僕をじっくりと見つめていた。



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