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嘘の素肌「第16話」

 森山茂人もりやましげと桧山裕子ひやまゆうこの歴史は一九八七年のバブル景気初頭から始まり、大恋愛を経た一年後の冬に僕は産まれた。

 当時茂人は大手不動産の人事部に所属しながら、同僚で七つ歳が下の女性と結婚し、子どものいない夫婦生活を送っていた。バブル真っ盛りのタイミングで人事部の新卒採用を担当していたこともあり、今では考えられぬほどの売り手市場を茂人は経験していた。一流大学の履歴書と出逢えば即時3C(ステーキ・寿司・しゃぶしゃぶ)を会社側からご馳走し、若手を接待責めにするような毎日。あらゆる採用チャネルを駆使して有望な人材を獲得する茂人の評判は、社内でも常に高い位置にあった。

 そんな彼の元へ、短大を卒業し、入社志望してきたのが僕の母、裕子だった。茂人が三十四で、裕子が二十になりたての頃。大手不動産ということもあり、一短大生などは本来茂人の眼中にはなかった。面接でも大した印象を残せなかった裕子を一度は不採用にしたが、その妙に男心を擽る色っぽさに、後ろ髪が惹かれる想いが茂人の中にはあった。裕子は確かに、そこら辺のモデルや駆け出し女優よりかは遥かに美しい容姿をしていたが、それよりも、二十歳とは思えないほどの清廉さと独特の淫靡さをものにしている感じがあって、仕事も女も盛り時であった茂人は、裕子を新たな愛人の一人にする代わりに、弊社に採用してやるという条件を彼女へ提示た。茂人には既に裕子の他に三人の愛人がいた。彼女らはいわゆるバブルと寝た女たちで、月百万の愛人手当を受け取るのは当然のこと、ロレックス、エピのバッグ、家賃二十万のデザイナーズマンションは彼女らのスタンダードだった。

 茂人は若い女とするセックスが好きだった。自分の中で衰えていく童心を、飽くなき膣への探求心によって再起させる。金もあり、顔立ちも良い茂人が手に入れられないものなどなかった。無論、裕子が茂人からの誘いを断る理由もなく、挨拶代わりのシャネルを茂人から受け取った裕子はその晩、しこたま高い酒を呑まされ、ちゃんとセックスをして、不動産会社への入社をものにした。

 裕子とのセックスは茂人の女遍歴史上一番良いものだった。グラビアアイドルのように豊満なバストと、白く艶やかな素肌。感度も高く、性器同士の相性も抜群。茂人はそれから裕子へ入れ込み、他の愛人たちを切り捨てる勢いで限られた時間を裕子へ捧げた。

 ある時、茂人は自分が思いのほか裕子を愛している事実に気づいてしまった。愛人としての枠組みを越え、嫁を裏切っても構わぬほど、生活の中心には裕子があった。裏を返せば、満足を納め切った茂人に対しそこまで思わせられたのは、裕子自身の経験上による処世術、男の懐に潜り込む技術の熟練度と、バブル時代の歪みが複雑に絡み合っていたからだろう。


 裕子は生まれながらに劣悪な家庭環境で育ってきた。アルコール依存症の父親から行われる性的虐待。ワーカホリックな母親のネグレクト。その二対から織りなされる機能が不全な家庭の実情は極まれり、心的外傷を負ったまま大人になった裕子は不安障害、摂食障害を高校時代に発症した。加えて元来アダルトチルドレンとの診断も受けており、カウンセリング必須の人生を送り続けてきた。

 裕子が一番キツいと語っていたのは、実父からの性的虐待よりも、母親からの食事ネグレクトだった。高度経済成長期が落ち着きを見せ、国連が「女性の平等と発展と平和への貢献に関するメキシコ宣言」を採択したあたりで、女性の社会進出や文化への参加意識向上が強く求められるようになった。新しく別の仕事を始めた実母は職務を言い訳にし、育ち盛りの裕子へ三日目の黄色い飯と、酸味が際立つ味噌汁を貧困家庭でもないのに平気で夕食へ提供していた。

 また、肉親からの性的虐待の影響で貞操観念が壊死していた裕子は、中学卒業直後に裏風俗で働き始めた。何者でもない、男女の欲求によって産み落とされた無意味な自己を、獲得する金銭の多さで自己肯定し、みすぼらしい自分からの脱却を目論んだのだ。稼いだ金は自立の費用として惜しみなく出費し、大学への進学や一人暮らしも、両親に内緒で稼いだ裏金を用いた。


 そうして、生活基盤を固め始めた矢先に裕子が出逢ったのが茂人だった。学業と売春。キャリアとセックス。二足の草鞋を履き潰した裕子にとって、エリート街道を歩み続ける茂人からの気まぐれは排他的な人生にようやく褒美が与えられたのだと錯覚するほどだった。茂人は当時メロドラマの主演を務めた二枚目俳優に顔がよく似ており、容姿のみを切り取ってもかなり評判が良かった。しかし、裕子はそれ以上に彼の持つ余裕さに魅かれた。両親やパトロンばかりを相手にしてきたせいか、自分の周りには自分自身を含め、余裕を備える人間などは皆無だった。彼であれば私を幸せにしてくれる。例えそれが不倫であろうと、私は彼についていきたい。破滅的な恋情に駆られた裕子だったが、その最後の一歩、略奪という目的にまでは踏み込めなかった。私が彼の生活を壊したら、余裕を失った彼を視る嵌めになる。そんなのは嫌だから、せめて、彼にしか贈れないものが私は欲しい——。度重なる性交渉の果てに、裕子の望み通りそのお腹には新たな生命が誕生し、僕は裕子一人に抱かれながら産声をあげた。だがしかし、父親のいない家庭であることは確か。どれだけ裕子が決死の想いと愛情で僕を産んでも、その不遇な実情と裕子の精神では子育てを円滑に進ませることはどだい無理な話だった。

 幼少期に育児ネグレクト被害を積み過ぎて、どうやって子どもを育てるのが正しいのか、さっぱりわからなかったと裕子は後に語っていた。典型的な被虐待児による負の連鎖。心から信頼できる相手もいない裕子は、嘘の脅迫によって獲得に成功した茂人からの養育費振り込みを頼りに閉鎖的な空間での子育てに励むが、段々と心が疲弊し、重度の双極性障害を二十四歳で発症した。ちょうどその時期は茂人の会社が米国大手総合のディベロッパーから超高層ビルによる複合施設を八億四千六百万ドルで買収したこともあり、仕事の多忙さから裕子と会うこと自体を避けていた。寂しくて苦しくて、母は僕にあたることしかできない。床に寝転がった僕の足裏を踏みつけ、逃げられないようにしてから髪を引っ張り、頬を叩く。鼻血が出てようやくその行為の悍ましさに気付いた母が、僕を抱きしめながら泣いて謝る。「私ね、私なんかね、おかしくなっちゃったの。ママが死んだら茉莉はひとりだから、死んだりしないけど、死にたくて仕方ないの。わかってよ。茉莉を孤独にしない為に、私だって必死に生きてんだよ。ああ、ふざけんなよ。茂人さんも、最悪だ、ああ、お前なんか産んだせいで死ねないんだから、お前が死ねよ、違うの、あれ、ごめんね茉莉。もう、ほんとに違うの、殺してよ、茉莉が私を、ねえ」僕は未だ五歳くらいだったろうか。支離滅裂に泣き崩れ、暴力に安寧を見出す母を僕は哀れだと思った。こんな風になりたくはないと、まるで化け物を視るような心地で母と向き合っていた。

 母は暴力を抑える方法を必死に模索していた。衝動で手が出てしまうが、これ以上殴りたくはない。息子を自分の元から引き剥がすことも手段としては考えたそうだが、僕だけが希望の光として今を生きている母にとっては、僕との決別はそれこそ彼女自身の死を意味した。共依存。無力で幼稚で行き場のない僕と、破滅的な衝動を抱えながらも僕を愛する母。僕らはお互いの存在が無ければ生きていくことができない。だから母は僕に固執していたし、僕も母から与えられるものは全て受け入れた。例えそれが血の味であろうと、口づけであろうと、構わずに喜ぶことしかできなかったのだ。


 母の唾液の味を、今でもたまに思い出す。何人もの女とセックスをすれば、いずれ消えゆくものだと信じていたが、無理だった。母の乳暈のサイズや色、陰毛の生え方、腹に溜まった脂肪、あらゆる箇所に刻まれた傷、涙の音、膣の締まり方、喘ぎ方にイキやすい体位。十四歳まで研究を重ね、それが倫理違反であろうと母の為にと苦渋を飲みながら腰を振っていた僕。避妊をしないでしたことはさすがになかったが、快楽によって吐き出された白濁の不道徳は何度も母の喉を通って彼女の身体へと流れていった。

 母への性的援助・・・・にピリオドが打たれたのは、母がどこからか貰って来た性病を僕へ感染したことがきっかけだった。あの時の僕の怒りは気狂うほどのもので、母もまた「二度と茉莉としないから、許して」と息子に恥ずかしげもなく渾身の土下座を披露するほどだった。

 おかげで僕は母から解放されたが、今思えば母に逆らえば暴力を与えられ、生存する為にセックスをしなければと心の中で理論を確立させられた状態で、こちらの嫌悪濃度をできるだけ薄め、実母からの強要される近親相姦に従っていた期間はなだらかなレイプと呼ぶに相応しい。和弥と出会ってからも、なかなかこの話は打ち明けることができなかった。中学を卒業して僕が実家付近で一人暮らしを所望し、母の目から離れた生活を送り始めてようやく、和弥に全てを話すことができた。




「初めて茉莉から家族の話を聞かされた時、正直俺は言葉を失ったけど、コイツの根幹にあるものが知れて、なんで俺は茉莉を受け入れてやりたかったのか、そのふわふわした感情がちゃんと言語化がされて嬉しかったんだよな」

 ウイスキーをロックで舐めながら煙草を蒸かす和弥が言った。僕の話を聞き終えた梢江の顔が無理に表情筋を操作していてぎこちなかった。

「もしかしたら茉莉は、過去のせいで女を一生信じられないまま生きていくかもしれない。でも、男の俺だったら、親友の立場でいてやれたら、茉莉の心の在り処になれるかもなってさ。烏滸がましいけど、俺や瑠菜で、ちゃんと茉莉にも家族の良さを教えてやりたくて」

 伸び切った灰を指先のタップで灰皿へ落とす。とさっという静かな音がやけに耳に残る。

「和弥がいなかったら僕は終わってたんだよ。ありがとな」

「礼なら十七年間で一万回以上貰ってるから、今更辛気臭くすんなよ」

 僕は渇いた笑いを溢した。一万回程度じゃ足りるわけがない。

「だから僕は、そういうの含みで女の人を信用できない。何考えてるのかちっともわからないし、歯向かえば殺されるような気がしてくるから。でも、弱い女性をみると救いたい気持ちにもなる。救うなんて恩着せがましいけど、支えになれるなら、僕は何でもしてあげたい。母に対して抱いた感情こそが、僕を形成する基本になってるからなんだろうね。こんな事言うべきじゃないかもしれないけど、梢江もそれに該当するんだ。他人に身体を売って稼ぐとこ、その境遇が昔の母を彷彿とさせるし、たまに見るに堪えないくらい悲しい表情を浮かべてる。痛みに耐えきれなくて、逃げ方を僕に求めてくるような目を向けられるとさ、こんな風に言われたら絶対嫌だろうけど、母に似てるなって。僕が誰よりも愛し、救ってやりたかった存在にそっくりな気がしてくるんだよ。だからこそ、梢江は特別なんだ。僕が本気で向き合わなくたって、たいていの人、いやほとんど全員が生きていけるんだろうけど、梢江は違う気がする。僕と出逢う為に、あの夜あそこに立っていてくれたんだなって、ちょっとキザかもしれないけど、僕らが出逢えたのは運命だったのかもなって感じるんだよ、ほんとに」

 恥ずかしい言葉を吐き過ぎたせいか、大いなる沈黙が三人の団欒を覆った。和弥は優しさの強い吐息を煙に混ぜてほき出し、梢江は僕に返す言葉を探しながら目を泳がせている。そうだ。僕は決して母を憎んじゃいない。母が苦しみに耐え自殺を回避し、僕を天涯孤独にしないでくれた事実を、心から感謝しているから。踏み止まってくれてありがとう。でも、わかるわけがない。あんな母親に礼を言える神経が、僕以外の人間に。

「もう不安なのはうんざりだから」お母さんが今夜帰ってこなかったら、僕はどうなってしまうんだろう。そんな不安の連続で、僕の幼少から青年期は埋め尽くされている。「梢江は、離れないでくれるかな」

 死なないで欲しいとは言えなかった。曖昧な問い方に「うーん、どうかな」と梢江もまた、曖昧に返す。僕らは深くつながっているようで、何も連動していないのかもしれない。梢江が生きていたく思えないなら、僕が死にたくあればいいのかもしれない。今はただ、梢江と一つになりたかった。母のような苦しみの渦中に、彼女の心があって欲しくはなかった。誰よりも、ひたすら幸せになって欲しかった。


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