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嘘の素肌「第28話」


「似顔絵?」

 いずみが用意した二段弁当をつつきながら、訊ねるように彼女の言葉を短く反復し、口の中では咀嚼を継続する。焼き鯖と若菜の混ぜご飯が主食として一段目に詰められており、二段目のおかずゾーンには玉子焼きとアスパラベーコン、帆立の貝柱バターソテーに素揚げした肉団子。銀杏型に飾り切りされた茹でニンジンと二粒のプチトマト。見た目にも華やかな弁当。更にいずみは最後の一押しで、魔法瓶に赤だしの味噌汁まで持ってきていた。相変わらず、料理に対して一切の抜かりがない。余程料理が好きなのか、もしくは僕のことが好きなのか。真相はわからない。

「そう似顔絵。茉莉の『ディスコミュニケーション』ってベースは人物絵でしょ? あれの一部分を壊すコンセプト抜きにして、シンプルな私の似顔絵を描いて欲しいなって」

 彼女が作る玉子焼きはしょっぱい。家庭の味なんてものはない僕にとっては、しょっぱい方がおかずっぽくて口に合う。

「なんか勝手にいずみは僕の絵には興味がないって決めつけてたから、絵を描いて欲しいって言われたことにちょっと驚いてる」

「興味ないわけじゃないよ。アートとか芸術とかって難しいから、口出しをしたくないだけ。でも、好きな人に絵を描いて貰いたいって思うのは普通でしょう?」

「好きな人ね」普段のいずみらしからぬ直接的で簡素な言い回し。箸をしゃぶりながら視線を持ち上げると、頬杖をついたいずみが鷹揚な目つきでこちらを眺めていた。「いきなりどうしたのさ」

「全然いきなりじゃないよ。私、これでもずっと嫉妬してたんだから」

「嫉妬? 君ともあろう女が?」

 予想外の発言に、咀嚼していたものが思わず喉に詰まった。胸を叩きながら咳込んでいると、いずみから「大丈夫? お水いる?」と心配されたので、僕は赤だしでそれを流した。

「ごめん大丈夫。突拍子もないから笑っちゃった」

「なんでよ」

「片山いずみに嫉妬って言葉が似合わなさ過ぎて」

「あのさあ……」声に陰りはあるが表情はどこか嬉しそうだ。「さっきお弁当作りながら、前に茉莉が話してくれたことを思い出してたんだ。今みたいな絵描きになる前、茉莉が友達と女の子のデッサンで対決したって言ってたでしょ。当時の茉莉はその女の子が好きで、女の子も茉莉のこと好きだった。つまり両想いで、」違う。「私だってそんな両想いの相手に自分の絵、描いてもらいたいなって嫉妬したこと、ぶり返して寂しくなっちゃったの。茉莉は過去のことも包み隠さず話すでしょ。女の子関連はとくに。だから、面倒だと思われたくないから表立って嫉妬しないように我慢してたけど、私だってちゃんと好きなんだから、むかむかすることの一つや二つありますって話。納得した?」

「やっぱりらしくないね。一つや二つってことは、他にもあるんだ」

 いずみの視線が箸を握る僕の指先に注がれている。

「その中指のリング」

「ああ」

「私と出逢った頃から外さないでつけてるから大事なんだろうけど、茉莉は指輪嫌いだって私に言ったんだよ。私が一緒に指輪作りたいって言っても話逸らすし。それもまさか、過去の女に影響されて未だにつけてたりするの?」

「別にこれはそんなんじゃないよ。使う当てがない金に困って、指輪に代えたんだ」

「なにそれ」

 これは僕にとってお守りのようなものだった。僕が世界にありもしない「有」を求めてしまった時、己が惰弱さを振り返って「無」になれるように。

「いいよ。いずみの絵、描くよ」

「ほんとに?」彼女はわかりやすく破顔し、テーブルを挟んだ位置から瞳を輝かせ、爛漫な様子で身を乗り出してくる。媚びるような仕草。早朝なのに完璧な化粧。なるほど。「でも、颯馬・・からの仕事依頼もあって、茉莉忙しくない? 平気なの?」

 自分で懇願しておいて白々しい気もするが、その遠慮気味な応対はあくまで建前なのだろう。頼みを受け入れて貰った側の礼儀。彼女は男と食事に行ったら財布を必ず取り出すし、会計の直前まで財布は仕舞わず隣にいるタイプだ。しかし、その財布には一円も入っていない。男はそんなこともつゆ知らず、気が利く、素直な子だといずみを評価する。

「最近は仕事の絵ばっかりでつまんなかったから、久々に描きたい絵を描けるなら僕も願ったり叶ったりだよ。息抜きにもなりそうだし」

「えっ、嬉しい。じゃあさ、」

 いずみが椅子から尻を剥がし、僕の身体を背後から抱きしめ、頬をすり寄せてきた。ファンデーションの苦みが口に入りそうだった。

「私、描いてもらえるならヌードがいいなあ。前に描いた女の子の似顔絵は、ヌードじゃなかったんでしょ。私、特別じゃなきゃ嫌だから」

 薄らと笑ういずみの声には強靭な独占欲が透けている。

「別に構わないよ。でもヌードモデルは結構大変だよ」

「平気。沖縄で三日かかったグラビア撮影のしんどさ思い出せば、なんてことないから。ねえ、今から描いてくれたりする?」

 今から。彼女は僕が部屋に帰らずアトリエに向かったことで、絵を描く意識になっている状況を把握し、体力回復の為にわざわざ弁当まで拵え、ヌードを描いてもらうべく朝からばっちりと化粧を施してこの場に現れたのだ。弁当を用意しながら思い出したなんてのは便宜上そう言っているだけだ。至極計算づくな女。そりゃそうだろう。片山いずみはそうやってこの社会をのし上がってきた。彼女の聡明さと知性は達成慾と顕示欲の基盤によって操作、熟練されたものだ。手に入れたいものは何が何でも手に入れる。実生活や欲求に対し妥協のない性格が松平とよく似ている。

「描くよ。準備する。お弁当ご馳走さま」

 僕は立ち上がり、押し入れに仕舞ってあった張り器やトンカチら工具類を引っ張り出した。せっかくであれば久しぶりに自分でキャンバスを張って描きたい気持ちだった。こんな僕ではあるが、いずみにはそれぐらいの恩情もある。木板に布を被せ、上下左右の順で張り器を使いゆっくりと伸ばす。タックスをトンカチで打ってからいずみに「服脱いで、楽な体勢見つけといて」と声をかけた。彼女は着ていた白いタートルネックやジーパンを脱ぎ、丁寧に畳んで部屋の隅に置いた。ブラジャーとショーツを剥がしたあたりで思い出したが、いずみは陰毛を剃っているから毛が無い。どうせならヴァギナが露出し過ぎない方が描きやすかったが仕方ない。あまり性器にモチーフを絞る必要性もないから、構図から性器を取り除いたヌードにすればいい。

 いずみは照れくさそうに椅子へ座り、もじもじと身体の調子を決めかねている。僕は暖房のスイッチを入れ「自由にね」と呟く。いずみの前にキャンバスを構え、手元に開いたスケッチブックでエスキートを始めた。

 ——ヌード、裸体画。美術の世界では常に芸術か猥褻かの論争が尽きないヌードというモチーフ。まず考えるべきは僕にとってのヌード意義と、いずみの裸に対する価値だ。何度も犯した女体を今一度じっくり眺める。整った鼻梁。解れ毛の少ない髪質。肉厚な唇。濃い二重と透明な頬。顔面からの大掛かりな情報ばかりに解釈を置くとヌードの意味が消える。首筋に三点、星のように置かれた黒子。鎖骨は水が溜まりそうなほど深い。乳房はたわわ、乳輪はぼつぼつが多く、かなり広い。乳首に張りがあって、腰は減りがある。全身脱毛を終えているから、ムダ毛の存在は確認できない。へそが綺麗な生まれの女。尻はどうか。糞を想像できぬ尻だ。そうだ。いずみの身体には排泄のニュアンスが視えない。それぐらい綺麗だ。しかし排泄は生理現象で、人間に与えられた平等な権利だ。排泄のニュアンスが視えないということは、人間ではないのか。くだらないが、笑える。悪くない。人間じゃないとすれば天使? 悪魔? 思考の奥底で明滅する西洋絵画と、どこかで読んだ宗教本と自殺学問。いずみと自殺。ミスマッチ。死の香りが全くしない女を、死の魅力に片足を突っ込んでいる僕が描く。逃げられるか。否、向き合うべきだ。中世近世において自殺の原因は、自殺者の「絶望」にあるとされていた。いずみに自殺因子を感じないのは、彼女が「絶望」とは背中を向けて眠るからだろうか。中世近世としての「絶望」は宗教学的側面が強く、「神の恩籠に希望を見出すことができない状態のこと」を差したらしい。人間と神との関係性が切れて、孤独になり、「絶望」する。ほら、いずみは神との関係を円満にこなしている。だって《神様は彼女を愛しすぎた。》んだから。この「絶望」は中世当時、悪魔の仕業だと考えられていた。ああ、なるほど。僕はその悪魔をどうしたい・・・・・・・・・・・・? いや、これはいずみには関係ない。失せろ。神に愛され、光りの世界に生きる女。そう、足の指だけで食事ができそうなほど、筋肉の発達した指先と、愛らしい赤みがかったネイル。美しいのはわかった。いずみが光りに満ちていることも。じゃあ次、僕はヌードを何と捉える。素肌。エロス。芸術。僕はそもそも、女の裸に何を見出してきた? その素肌は何のためにあった? 記憶が蘇る。母のこと。これまで抱いた女のこと。そして、いずみのこと。母体として、ここでわざと女の素肌を安易に捉える。子どもを産むことができる。まあ例外もあるが。出産と殺人は同一直線上にあるという視方。いずみは子どもが好きだ。いや、僕との子どもを欲しがっている。そんないずみの肉体はつまり殺人兵器。産み落とすことはいつか死をもたらすこと。あれトラジェディではない。単純に事象として、その順序に生から死がある。でもいずみには、その事象が似合わない。殺す為に産む人はいない。いずみは死の哀しみなど考えずに子どもを求める。みんなそうか。きな臭くなってきた。生から死。光りから闇。同一直線上を度返しできるほどの慢心と性善説。片山いずみの正体。なら、逆転させればいいのではないか。僕は徐に部屋の灯りを消し、窓にかかったカーテンを全開にした。外の明るさがいずみの身体を照らし、曖昧な陰影を作る。光と影のバランスの反転。逆光。光りの世界を否定した人間。死生観の順序変動。死ぬべくして産まれる価値観。先天的な希死念慮。フィロバッド。描写すべきは、その内側。殺人兵器としてのヌード。光りを求めるほど、その殺意は強く鋭利に進化する。滑らかさを、光りの照射に重ねない。いずみの周りにある騒音。デスクに積み上げられた本。散らかったゴミ。飲みかけた缶珈琲。雑を強調し、それを光りに照射させる。おのずと黒くなる肉体。逆になっていく。死ぬために、殺す為に生まれた肉体、そうだ、いい、人を愛することイコール殺人的価値、メメント・モリの拡大解釈、やっべえ楽しい、不可抗力的に自殺因子の漏れ出るへそ、その繋がりを産むへその緒、いい、描け、塗れ、マチエールに真実を、息が上がる、元松平颯馬の女、現桧山茉莉のパトロン、自信家、性悪、いつかは母になりたがる女、母さん、は? あぁいいぞ、いずみ、多分僕は、お前が嫌いだ、いや、僕は皆が嫌いだ、どうせ裏切る、お前も消える、光りの表情、ほら、さっさと死ねよ、人を殺す前に、死ねよ、自殺の正誤性、せいご、せいご?——



 翌日の正午にいずみのヌードは完成した。乾燥の都合上二日かかってしまい、いずみを次の日もアトリエに呼び出しモデルの続きを行って貰った。数か月ぶりに本気の絵を描いた。いずみという、俗物の完成系。様式美としての肉体が齎す殺人兵器的価値と、その正誤。我ながらよくできたと思い、一服をしながらいずみへ絵の感想を求めた。彼女はチープな拍手を送りながら「すごい、上手過ぎる」とだけ言った。それからは「ありがとう」や「一生大切にする」や「額はいいやつ買うから」とか「ねえインスタに上げていい?」とか、よくわからないことをずっと喋っていた。煙草が不味くなりそうで、途中からは鼓膜を鎖した。


 僕は片づけを済ませてからマンションに帰ると言って、アトリエに一人残った。まだ完全に乾き切っていない油画を眺める。ああ、僕のこの絵は何点なんだ。目を瞑った。「七十九点」という声が響く。嘘つくな、クソ。冷蔵庫から韓国産焼酎の瓶を取り出し一気に飲み干し、空になった緑色の瓶で徐に絵を殴りつける。イーゼルごと絵が倒れ、もう一度瓶を振りかぶって、いずみの腹部目掛けて瓶を叩きつける。瓶が割れ、細くなった瓶の持ち手部分には尖り散らしたガラスの刃が輝いている。なんだよそれ。嗚咽が漏れ、そのまま破片で左上腕をじっくり撫でた。痛みはないから何回もやった。二分ぐらいすると引き裂かれた皮膚の隙間から血がぷっくりと湧き上がり、その赤でいずみの身体を上から塗った。擦れた腕。ポピーオイルの成分らしきものが腕の傷にちょっとだけ沁みる。僕は何をしているのだろうか。僕は何がしたいのだろうか。




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