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嘘の素肌「第31話」


 爪の先でカリカリと机を詰りながら、明らかに不服そうな態度を浮かべる松平。かたや村上は堂に入った面持ちのまま、背筋よく正面を睨んでいる。頬杖をついて重ための咳を挟んだ松平が「俺に才能があるかないかって、ソレ、君の主観でしょ」と言った。

「そうかもしれません。ただ、あなたみたいな凡人が飼い慣らせるほど桧山さんの表現力は大人しくない。獰猛で、繊細で、元来誰かのロボットになれるような性格はしていません。ユーチューブも展示会もSNSも拝見しましたけど、桧山さんの絵は松平さんと組む前と後じゃ大きく差がある。あれですよ。AIみたいな、学習して描くのが上手くなっただけで、最近の桧山さんの絵を俺は好きになれなかったんです」

「AIねえ」お冷の注がれたグラスを松平が握った。まさか勢い余って村上に水をぶっかけるのではと不安が過るが、さすがに思い違いだった。結露を手のひらで拭い取った松平が嘲笑的な音で鼻を鳴らす。「それじゃあまるで凡人の俺とつるんでる桧山が、俺のせいでオワコン化してるって言ってるように聞こえるんだけどさあ。桧山が今の地位まで上り詰めたのはあくまで俺のおかげなんだよねえ。それは事実、君が気に入るか入らないか別として、実際にそうなってるわけでさ」

 松平はこういう時、僕を味方につけようとはしない。あくまで個人対個人で相手を屈服させることにプライドがある以上、僕へ同意を求める甘えた素振りは微塵もみせず、村上にはタイマン意識の上で反論を述べている。

「今の地位。それは松平さんが何を以て評価された作品だと捉えるかによりますけどね。俺は例えば何億も稼ぐ画家の商業依頼作品より、そこら辺の子どもが両親の為に描いた似顔絵の方に価値があると思います。桧山さんの絵は確かに松平さんの助力によって金になるかもしれないけど、本質を見失わせてるのはあなたです」

「戯言、綺麗事」

「俺は戯言だとも思いません。表現をする過程で俺が一番重要視しているのは、その作品を作る上で何を示したかったのかです。小説を書く時、絶対に俺の本を手に取る読者の心をイメージします。どう作用するかまでは想像できなくても、その人が例えば苦しみから少しでも救いを見出せたらと思ったら、何を書くか、どう書くかが見えてくる。桧山さんが四年前にSNS上で掲載し始めた絵は、まさにそれだった。特定の誰かに対して訴えかけるような絵。でも、分かりえない者同士の苦渋に満ちた葛藤が滲み出ているから、『ディスコミュニケーション』は良かった。今はどうですか。ユーチューブのコメント欄にあるお題を描くだけで、そんなの桧山さんの絵じゃない。桧山さんが描かなくても良いような絵を描かせて、それで金儲けしたいだけでしょ、松平さん。あなたがやってることは次世代のクリエイターを成長させることじゃない。行き詰ったクリエイターにゴールを設けて、それ以上の発展がない場所で永遠に労働させる収容施設を建造してるだけだ。自分は此処にいれば安全だと、仕事があると思わせて、贋物の満足感で懐柔してるだけなんです。表現者を真に想うなら、もっと逆境に立たせて、震える手を握ってあげたらいいのにって俺はつくづく思いますよ」

「お前さ、」君、ではなく、お前。「一度でも絵を描いたことあんの」

「ありません」

「だよな。俺も桧山みたいに絵描き出身だからわかるんだけどさ、アートと文学って全く世界が違うわけ。お前ら文学人が八万字で語れることを、こちとら一枚で語りきらなくちゃいけないんだよ。土俵が違うの。商業性も、訴える方法も、目的も、ゴールも違うの。それを新人作家が変に調子づいて表現者全てみたいなデカい主語で説教してくるのさ、ホントに恥ずかしいからやめてくれないかな。桧山の絵が悪くなったんじゃなくて、お前の目が悪いだけ。桧山は今も成長してるよ。技法も世界観も、何より構図が上手くなってる。わかんねえよな、絵、描かねえお前に構図のシビアさは。『パープルノイズ』はテーマと文章の衝撃が強いけど、構成は正直ヘッタクソの三流だったわけだし。一番大事なとこ見失ってるお前のソレ、マジで釈迦に説法だからね」

「構図や構成は確かに重要ですけど、創作で最も大切なのは想いです」

「雑魚の思想だね」

「害虫の思惑に言われたくないんですけど」

 松平のこめかみにピきりと浮き上がった血管。血走る目がテーブル端に用意されたカトラリーの光を睨んだのに気付いた。フォークの鋭利さにほくそ笑んだ松平に狂気が覗け、僕は机の下で松平の足を蹴っ飛ばし、黙って首を横に振った。コイツは頭に血が上ると何をしでかすかわからない。そのことを村上も知らないから、悠々と攻撃的な姿勢を貫いている。冗談抜きで殺されかねない。松平が深呼吸するまでに、僕はもう一度軽く松平の足を蹴った。

「俺さあ、実は今日めっちゃ楽しみにしてたんだよ。あの村上流心と話し合えると思って、三人でこれから最高の企画でも考えようかなって。特に桧山と君の仲を考えたら、チョー熱い展開になりそうだなって興奮してたのに。冷めたよ。あー、つまんない。君がどうしても桧山に会いたいからって俺がセッティングしてあげたのに、さすがに不義理だよね。まさか喧嘩腰に説教されるなんて思ってなかったから」

 飄々とした声色を意識しているが、裏にはまだ冷めやらぬ怒気が感じられる。

「桧山さんをお呼び出し頂いたことには感謝しています。この人、会社辞めたタイミングで職場関連の連絡先全部消したんだろうなってぐらい、皆音信不通だったし。多分これまでの関わり全部絶とうとしてるって考えたら、俺が個人でDMしてもブロックされる気がしたから、松平さんを仲介して会えてよかったです。ありがとうございます」

 さっきまで淡々と罵詈雑言をぶつけていたかと思えぬほどの平静。村上らしい。彼は想いを制御できない分、嘘や悪意で他人を罵ることがない。彼の口から出る言葉は全て本心だからこそ、変に取り乱したりもしないのだろう。

「まあいいや。興醒め。時間の無駄。もう俺から君に話すことないし。ここのお会計お願いね、村上センセイ」クラッチバッグを手に取った松平が席を立つ。「桧山、俺帰るから、この生意気くんの後処理よろしく。それと、こんなクソみたいな後輩に言い包められちゃうんなら俺、桧山とはもうビジネスできないから。自己効力感強いね、村上くん。次回作楽しみにしてる。一発屋にならないように、じゃあね」

 松平がマスターに「ごちそーさん」と言いながら店を出る声が遠巻きに聴こえた。扉が閉まりきってから、村上は黙って松平が居なくなった僕の正面に座り直した。俯いている彼に「おい」と声をかける。手元にあったお冷を一気に飲み干し、大きく息を吸い込んで、ゆっくり呼吸する村上が強張った表情の糸をすっと引き抜いた。

「……あの、桧山さん、俺、めっちゃ、緊張しました、汗がヤバいです」

 ヘラヘラと笑う村上に、拍子抜けな心地。

「は?」

「いやあ、噂通り、松平颯馬はヤバい男でしたね。あー、途中殺されるかと思いましたもん」

 あまりの変貌ぶりに驚いていると、深々と頭を下げられた。

「桧山さんの前であんな風な言い合いになっちゃってすみません。嘗められないよう気張ってたら喧嘩っぽくなっちゃいました。桧山さんにとって松平は大切な仕事相手ですもんね。出過ぎた真似は反省します。でも、ちゃんと言いたいこと言えてよかったです。疲れたんでこのまま飲みに行きませんか。久々に奢ってくださいよ。桧山さん」



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