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嘘の素肌「第30話」


 新人作家・村上流心の話題は、僕がどれだけ遮断しようとも耳に挟まってくるほど大きなものだった。有名出版社が主催する純文学の賞レースで最優秀賞を獲得した事実そのものは、さして世間へ波風を立てるような話題ではなかった。ただ彼のデビュー作『パープルノイズ』を十万部売れたヒット作へ押し上げる要因となったのは、村上が授賞式に登壇し、そこで常軌を逸するスピーチを披露したことがきっかけだった。誰かが録音した音声がSNS上で拡散され、日頃文学に精通していない者に対しても関心を生むきっかけを作る内容だった。

 ————えっと、村上流心です。私事なんですけど、実は先日、新しい家族ができました。(会場からバラついた拍手が聴こえる。)なんでこれからは自分以外の飯代も稼がなくちゃいけないって感じです。こうやってる今も部屋でいい子にしてるだろうから、早く帰って撫でてやりたいなって考えてます。あ、因みに名前はマイリです。自分によく似た黒いマンチカンちゃんなんで、高校文芸部時代のペンネームと同じ名前つけました。(会場内でいくつかの笑い声が木霊する。)俺は自分が好きなんで、はい。あー、今日この場で何を話せばいいかわからなかったんで、とりあえず詩書いてきました。なので朗読させていただきます。よろしくお願いします。(ざわつく会場。)

 始発電車を待つ今朝のホームで吐き気を催していた
 生殺与奪を握るのはいつだって好奇心の傀儡ばかりでさ
 思考停止を恥じらうことなく葛藤を嘲笑する人間の
 吐瀉物が僕の代わりに線路の下敷きになってくれたらと思った

 幸福なんて偽装されたあみだくじでしかないと
 教えてくれたあの人は 隣町で首を吊ったらしいが
 せめて脆弱さを訴えられるほどの喧しい図太さがあれば
 汚染に息を絞られずに済んだのだろうか 

 上手く泳げないまま溺れて 腫れて浮いた水死体の彼を
 思い流す涙くらいは せめて永遠であってくれよ
 衝撃で語るだけの死では メメントモリには辿り着けないな
 滾る感情制御できなくて 熱に焦げた焼死体の彼女を
 弔う時の言葉くらいは 少しは煙たがらないで聴いてくれよ
 凄惨で片付けるだけの死では メメントモリにも見放される

 当事者や傍観者はさじ加減で入れ替わりを繰り返し
 気分屋な身分で偉そうな立場から意見して
 暗いことばかりと否定するのは光に摩耗した瞳の弊害か
 白く濁ったメーデー 水晶体が貪婪なヘイデイ
 誰しもが誰かを殺す一因で 誰しもを活かす一員なのにな

 聞いてるか僕はお前みたいな奴らの為に書いてるんだ
 精神欠乏症を揶揄する人間たちの軽薄希望症が
 混ぜるな危険を混ぜた部屋の 二次穴をちゃんと塞いでんだ
 安心してくれ 望み通りに死んでやるから
 理解したくなくて目を伏せ俯いたお前の正面では今も
 首に輪をかけながら生きなくちゃって苦しんでる人がいた

 平気だろと平気そうな人間が平気な顔で言うもんだから
 静かな闇に堕ちるしか 深い闇に堕ちるしか
 考え過ぎだと考えてなさそうな人間が考え無しに言うもんだから
 静かな闇で生きるしか 深い闇で生きるしか

 自問自答 作家の僕には何ができるだろうか
 パープルノイズ 赤と青の曖昧な騒音を君に 

 ————ありがとうございました。(会場から大きな拍手。)えーっと、最後に自分が大学四年生の頃に死んだ書道家の爺ちゃんに。俺がちっちゃい頃、無理やり安吾を読ませてくれてありがとう。今年で二十八になりました。カート・コバーンならもう死んでるの、笑えるよな。必死に書いてたら、爺ちゃんに会いに行くタイミング逃したわ。作家になるの、間に合わなくてごめんな。まあみててよ、つか支えてよ。爺ちゃんより凄い作家になるからさ。会場の皆さん、天国で寝惚けてるであろう爺ちゃんが飛び起きるような拍手を、自分の才能を見出してくれた爺ちゃんへお願いします。(録音の音が割れるほどの拍手。)ありがとうございました。

 後日、この授賞式でのフラット過ぎるスピーチについて記者から言及された際、村上は「純文学なんてミステリ小説に比べたら読むの億劫でしょ。でも、俺みたいなアホそうな奴が純文学書いてるって知ったら、それだけで興味湧くかなって。きっかけは不純でいいんですよ。色物覗く気分で『パープルノイズ』を手に取って、それで救われる人がいるなら嬉しいんでね。読まれることが最優先、俺の評価は二の次でいいんです」と話していた。彼のデビュー作は、新宿のトーヨコ界隈をテーマに、若くして貧困に苦しむ青年たちの生き様を描いた青春小説だった。セックス&ドラッグに、死生観や家族。センセーショナルな内容と大胆かつ節約しないヴァイオレンスな描写は、読んだ人間の意識を取り込み、世界に没頭させる魅力を供えた小説であった。僕もついこの間本屋の店頭で売り出されている単行本を手に取り、目が離せず一日で読み終えてしまった。紫一色の表紙を捲るとそこには村上の全てが詰まっているような文章が広がっており、僕は心なしか彼の先輩であれたことに鼻が高いくらいだった。



「どうしてお前が」

 疑心暗鬼が生じた僕に村上が「まあ、色々」と早々に言葉を濁した。四年間、どんな生活を送っていたのかわからないが、彼の眼はあの頃と同じように鋭く輝いている。

「いやあ、村上くんは文壇に現れたニューエラ、ニューオーダーだからね。『パープルノイズ』が面白いのはもちろん、君は自分の本を売る方法がチョー上手い。洗い浚い村上くんの会見やインタビュー記事を読んだけど、一貫して本を読者に届ける為の作用を重視した発言だなって、俺は素直に関心したね。さすが、桧山の後輩って感じ」

 もともと僕らの関係性を知っていたのか、ぎこちないやりとりで察したのか定かではないが、松平は僕と村上の繋がりを既に把握しているようだった。

「しかし『パープルノイズ』、良いよねえ。俺、あれ読んだ時衝撃で頭ぶん殴られたみたいな気分だったよ。やっぱこんなクソみたいな星にもさ、俺や桧山、そして村上くんみたいに分かり合える希少価値な存在がいてくれると思うと嬉しいよ。俺が日頃から訴えてる適応と拒絶の理論と、村上くんが小説の中で書いてる忌むべき倫理と貫くべき違反の理論。似て非なる気がして俺、ゾクゾクしてるんだから」

「ありがとうございます」

 浅く頭を下げた村上の表情を横目で覗くが、一切柔いではいなかった。スーツ姿ということは、今は仕事の昼休憩を利用して足を運んでくれたのだろうか。まだあの会社に務めながら作家業を副業としてやっているのか。それより、どうして村上は松平に連絡を寄越したのか。訊きたいことはいくらだって浮かぶのに、僕は顔を合わせてからまだ一度も村上に適切な言葉を見つけることができないでいる。

「それで、村上くんが俺と桧山を呼び出してまで話したいことって?」

 率先して松平が口を開く。

 僕と松平の視線は村上の方へと向けられる。

「取り返しに来たんです」

「ん?」松平の媚びた表情が一瞬曇った。「何を」

「俺が心底憧れ続けた背中が、今こうして、しょうもない人間の玩具・・・・・・・・・・・にされてて見るに堪えないから、責任持ってちゃんと奪い返しに来ました。才能を潰される前に、俺は桧山さんを救います」

 明らかな沈黙。それは一分、いや、もう少し短かっただろうが確実に存在した。大きな溜息を漏らし、クスクスと哂った後で松平が「あのさあ」とにやけながら村上を覗き込んだ。不気味だった。松平のこんな顔は、出逢ってからまだ一度も見たことがなかった。

「新人賞取ったぐらいで傲りが過ぎるんじゃないかなあ、村上センセイ」

「才能ない人間に言われたくないんですけど、それ」

 一触即発の空気が、松平と村上の言葉を強く反発させ合っていた。


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