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揺れながらチクチク

嬉しかったことです。
昨夜、夫から頼まれごとをしました。

「ズボンのボタンがとれたから、ごめん!つけといてくれない??」

それを聞いて、私はまず1回目の嬉しさを感じました。
「OK!時間あるときつけとくわ」

なぜ嬉しさを感じたかと言うと、私は以前、すっっっごいお裁縫が苦手だったんです。
高校生の家庭科の授業で縫い物があったとき、誰よりも遅くて居残りをしたり、ミシンを壊したり、とにかく壊滅的に針仕事が苦手で、友人たちに手伝ってもらいながら泣きながら作品を完成させたことを覚えています。
絶対に通知簿は2(5段階評価で)だろうな、と覚悟していたのに、先生の優しさで3だったのを見た時は驚きで震えました。

それくらいお裁縫に苦手意識を持っていた私なのに、昨夜の私は夫の依頼を快く受け入れられたのです!
いつの間にかこんな自分に変化していたことに嬉しさを感じたんです。
じゃあ私がなぜ、お裁縫を苦手な事だと思わなくなったかと言うと、娘が産まれたおかげです。

娘が幼稚園に行くようになったとき、
「タオルに紐を縫いつけてきてください」
「制かばんにワッペンを縫いつけてきてください」
「体操服にゼッケンを縫いつけてきてください」
など、縫わないといけないもののオンパレードで、最初はパニックになっていました。
でも、我が子のためです。
嫌だ無理だといくら言っていても、縫ってあげないと可哀想なのは娘です。
大切な人のためなら、当たり前のようにがんばれる自分を知りました。
3〜4年間、たくさん縫いました。
最初は本当に下手でした。
縫い目が汚くてめちゃくちゃ恥ずかしかったのに、一つ一つ縫うのに時間がかかりすぎて、縫い直す余裕がありませんでした。
玉留めもうまくできないからおばあちゃんに相談したり、ジャケットの袖をつめるのを叔母に教えてもらったり。
色々がんばったと思います。
だから、高校生のときの自分よりは、少しだけうまくできるようになったんです。
だから、夫から急にボタンつけを頼まれても、
「また練習の機会がきた!」
と言う感じで、「嫌だな、面倒だな」とは感じない自分になれていました。

そして2回目の嬉しさを感じることがありました。
ボタンをつけようと思っていたけど、日中は長女を公園に連れて行ったり、後追いする次女をだっこしていたりと、なかなか一人でゆっくり座れる時間がありません。
だからといって、適当なタイミングがくるのを待つのも目処が立たないなと思って、7ヶ月の次女をおんぶしながら縫うことにしました。
次女は背中で「あー」とか「うんげー」と言いながら、眠そうにしています。
私はゆらゆら揺れながら、縫い物を始めました。
縫い目はあんまり綺麗じゃなかったけど、5分くらいでボタンをちゃんとつけられたんです。
お風呂から上がってきた夫に、喜んでもらえました。
ああ、椅子に座ってじっとしてても縫えなかったのに、立ちながら、しかもゆらゆらしながら、空中でボタンをつけれるようになったんだ私!
と思って、すごくすごく嬉しくなったのでした。


できなかったことがそれなりにできるようになったのは、自分が努力してきたからです。
棚ボタ、とかたまたま、というようなベクトル上にあるものじゃない。
自分のことを少し好きになれました。

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