30歳夏、臓器をいっこ取った話。(2)

手術を終えた私は術後ハイの真っ只中にいて、右卵巣を摘出したと聞いても特に喪失感はなかった。
世の中にはもっと辛い思いをしている人がいるのだから、右の卵巣がなくなったくらいでくよくよしてはいけない、とどこか無理していたのかもしれない。

けれど前向きだった気持ちは、LINEでの夫の一言で簡単にぽきりと折れてしまう。
「(お医者さんから病状と手術の説明を受けているときに)本当に痛かっただろうなと思った。ひかりは何も悪い事してないのに、ってずっと思ってた。」

確かに、私なんにも悪い事してないな。
なのになんであんなに苦しい思いして、今も痛いの我慢してるんだろう。
左の卵巣がダメになったら、もう子どもは持てないかもしれない。
そんな不安をずっと抱えていかなきゃいけないのか。

そう思ったら、急に涙が溢れて止まらなくなった。
悲しいとか悔しいとかとは少し違う、名前をつけられない感情で胸がいっぱいになった。
人生で初めて経験した、どうしようもない理不尽へのやるせなさ、というのが近いのかもしれない。

それから退院までの一週間、ベッドの上で何度も泣いた。
朝起きた瞬間。
テレビを見ながら。
食事を摂りながら。

「泣きながらごはん食べたことがある人は、生きていけます。」
(ドラマ「カルテット」第3話)

塩分の抑えられたけんちんうどんを口に運びながら、ドラマ「カルテット」のセリフを思い出し、またぽろぽろと涙がこぼれた。

そうやって何度も泣いて気持ちに折り合いをつけながら、入院して14日、退院した。

明日で術後3週間、体調はすこぶる良い。

おなかの傷が落ち着いたら、いよいよ「妊活」を始めようと夫と話している。
右の卵巣がなくなったことで、妊娠できる確率は両方ある場合と比較して80%くらいになったと思ってほしい、とお医者さんには言われている。
左の卵巣や卵管に問題があったら、その確率は0になる。
3年半前、結婚してすぐに子どもを作っておくべきだったのかもしれない。
けれど、子どもがいたら出来なかった楽しいこともたくさん経験できたから、この先もし子どもを持てなくても過去の自分は責めない。
夫との間に子どもを持つことはずっと楽しみな夢だったから、もしそれが叶わなくなったらと考えると怖いけれど。

ベッドの上で理不尽を噛み締めて泣きながら、病気になることにもならないことにも意味や理由なんかないのだ、と思った。
あるのは病気になったという事実だけで、なってしまったら仕方がない。
だから今回のことが引き金となって子どもを持てなくても、子どもを持ってるひとを恨んだり嫉妬したりしないように生きていきたい。

この先自分に何が起ころうと、人の幸せを一緒に喜び、人の不幸を一緒に悲しめる人間でありたい。


30歳夏、臓器をいっこ取ったことで、これからの人生の指針ができた。

体験しなければ理解できないことはたくさんある。できればしたくない体験だったけれど、失ったものばかりではなかったみたいだ。



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