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優越感も劣等感も信じない


他の人を自分と比べてしまうことってありませんか?

私たちは生活の中で常に物事を比較しながら生きています。

比較は生きていく上で必要です。

しかし、何でも比べていいわけではないと思います。

比べることで本来ある魅力や価値に気が付けなかったり、忘れてしまうからです。

今回は、私が自分を他人と比較するのを辞めた時に気が付いたことや思ったことについて書いていきます。

他人との比較を強いられる教育

先ほども言った通り、私たちはたくさんの「比較」をしながら生きています。

今の社会だとSNSで世界中と繋がることが出来るので、以前よりも多くの人に出会えます。

しかし、その分比較対象も増えました。見せる自分も選べます。

人同士の比較もしやすい時代です。

しかし、私たちはもっともっと前からお互いを比較し合っています。

私は子供の頃から絵を描くのが好きですが、図工とか美術の成績が良かったわけではなかったので、なかなか自信を持てませんでした。

成績をつけたり、順位をつけるのも他人との比較に繋げるものです。

点数や成績が低かったら自分の方が劣っていると感じてしまう。

点数や成績が高かったら自分の方が優れていると感じてしまう。

それによって好きなことにでも偏見を持ってしまい、それから離れてしまうこともあるかもしれない。

良い点数や成績を取るのも一つの能力だけど、それでは自分の強みを活かすことが出来ない人もいる。

それだけで評価されるのは不公平だし、何よりメンタルヘルスにあまり良くないと思う。

特に子供の頃から続けていると、大きくなってもなかなか自分に自信が持てず、

自分の才能や魅力に気がつけないまま大人になってしまう人が多いんじゃないでしょうか。

私がまさにそれで、成績も順位も良くなかったので自分は役立たずのクズだとずっと思い込んでいました。

実際に学校はすごく嫌いで社会人の今の方が何百倍も楽しいです。

二度と戻りたくないし、今でも嫌な夢を見るくらい学校は私に大きなプレッシャーを与えてました。

点数や順位ばかり評価する学校のシステムのせいで、私は自信を無くし消極的な子供となってしまいました。

他人との比較は必要ない

学校に行かなくなってから、他人との比較ほど意味がないものはないと実感をしている。

最近、都合よく多様性という言葉がよく使われているけど、多様性は今に始まったことじゃない。

もう何十年も何百年も昔からある。

誰も声をあげなかっただけだ。

知らない人たちが作った「常識」に囚われているだけで、常に「多様性」は存在している。

(ちなみに、「常識」は思い込みだと思っています。)

人の個性そのものが多様性に溢れているから。

個性がないと思っているのは知らないから。知ろうとしないから。

特に子供は個性を表しやすい。だからその個性を殺してはいけない。

自分の個性を知ることが出来る教育であるべきだし、個性を知ることで自分の可能性を広げられると思う。

散々個性を否定しておいて、急に自己分析しろとか無理でしょう。

他者との比較をさせられるせいで自分に制限をかけてしまい、夢を諦めてしまう人もいるかもしれない。

なぜ今でも社畜生産の教育システムなのか非常に謎です。

得意不得意はそれぞれだから目指しているところも人それぞれ。

みんな違って、みんないい

社会人になってから他人を気にしなくなった。

それは誰とも競争していないのが分かったからだ。

特に最近は心の健康(メンタルヘルス)について考える機会が増えて、健康を優先するべきだと思うようになった。

だから積極的にネガティブなエネルギーを排除している。

私は他人との比較でネガティブな感情になることが多かった。

だからそろそろ思考を変えないとなりたい自分に近づけないと気が付いた。

特に、「個性」や「多様性」の持つ意味、価値について考えるようになってから、

自分は自分のままでいいんだなと思うようになって、人のことも受け入れられるようになった。

みんな違ってみんないいなと。

あと、興味ない人とか、自分にとってマイナスの影響を与える人とは関わらなくてもいいんだなと。

それは誰かを否定しているんじゃなくて、情報量が多すぎるのも心に良くないから。

自分で管理できる情報量に留めておくべき。

人から得るものは多いし、たくさんのインスピレーションによって私自身も成長できる。

だから近くに置くべき人を近くに置けばいい。

この世は「善」と「悪」で分けられがちだけど、ほとんどは「合う」か「合わないかだ。

「合わない」と思ったら、近くに置かなければいいだけだ。

理想の自分との比較

健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、『理想の自分』との比較から生まれる

私はこのアドラーの言葉を思い出すようにしている。

他者との比較をしそうになったら、自分は何を目指しているのか考えた方がいい。

いくら望んでも他者にはなれない。他者を目指しても意味がないのだ。

自分には自分の道しかない。自分に集中して理想の自分を目指す。

私にとって理想について考えるのはすごく大事なこと。

よく理想と現実はちがうと言うけど、私はそうではないと思う。

理想に近づける努力はしているか。言い訳ばかりしていないか。

全て自分次第だと思う。もちろんスタート地点が皆んな同じなわけではない。

この世は不平等だ。でも、だからこそ理想と向き合うべきであると思う。

現実と違うからと片付けてしまったら、理想には近づけない。

今の時代、必要な情報はすぐ手に入る、理想に近づけるためのヒントも溢れている。

どこに向かうかは自分が決める。

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