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他者との搭載スペックの違いを認める事で楽に生きる。

3月。
誕生月の3月は、躁になりやすい時期。

自分が双極性2型とわかってなかった時は、この時期の活気あふれる毎日を存分に楽しんでいた。
後から落ちる、ことを考えられなかったから。

3月~4月上旬までハイテンションで過ごすと、そのあとは下り坂。どどーんと落ちる。真夏っていつも超低空飛行。
仕事に行けてるのが不思議なくらい、しんどい日々を過ごす。それが私の夏だった。

今年は楽しい夏にしたいなあ、と思い、去年以上に気を付けて日々粛々とゆるく生きている。

私は、精神科にかかっていないので、薬でのコントロールはしていない。

薬を飲んだらもっと楽になるのかもしれないけど、看護師のくせに小心者なのだ。
精神科を受診する、薬を飲む、ということにとても強い抵抗がある。

「看護師なのに精神科の薬をのんでいるなんて」という拒否感が強い。

これはあくまで自分に対してであって、精神科に通いながら働いている人を否定するわけではない。むしろ頑張っててすごいと思っている。

この拒否感は「正しい看護師の姿」的な欲・我・執着がある気がしてきた。
今、これを書いていてそう思ってきた。そのうち深堀りしてみたい。

精神科を受診しない根底にあるのは、 今回の人生は、薬を使わずにどこまでゆるく楽しく自分のペースで生きられるか、をやってみたいというところなのだと思っているけれど。

双極性って、躁状態と鬱状態のエネルギーの両極端さだけでなく、色んな考え方が両極端になる事が多い気がする。
脳がオーバーヒートしちゃってて、「細やかに丁寧に思考する」という余剰エネルギーがないのだ。
だから極端になる。いい!悪い!すごい!ダメ!みたいな。

特に躁状態の時は「私の考えはすべて正しい」みたいな恐ろしい万能感が無意識に発動されているので、細やかに丁寧にいろんな可能性や考え方を探るという事ができない。
というかなんかすぐ決めちゃいたくなる。
白黒つけたくなる。グレー、それ何色?みたいな。

今常に意識しているのは、中庸。
真ん中。

無意識に両極端を行ったり来たりしてしまう自分がいるから、そこにもう一人、出来るだけいつも「真ん中にいる」自分を作ろうとしている。

真ん中から見る意識を持つと、「極端な自分」を俯瞰して、真ん中に戻ってこれるから。
常に真ん中にいるのはとても難しいし、それができれは「悟り」みたいな究極形態な気がする。

出来るだけ真ん中にいる時間を長くしたいと思っている。

そうすると、不思議なことに「両極端に振れる」ことすら、なんだかゆるく楽しく生きるポイントになってきている。
少し前までは、それがしんどくて辛くて悲しかったのに、今はとても、おもしろい。

いろんな自分がいる、みたいな感覚。

ガチって固く、自分がしっかりしていることが正しいと思ってた。

両極端になる事は悪い事ではない。
両極端さが大きくなればなるほど、自分という心が大きくなる気がする。

片方に振れきってしまったままでは、それはとてもいびつな偏りになってしまうけど、両極に振れ続けることで、心はどこまでも広がれるし、真ん中に戻ってこれるのではないだろうか。

つまり、両極に振り切りながら真ん中に戻ってくることは、人としての成長でもある。
人間とは「常に揺れていることが普通」なんだと思えるようになった。

揺れていて、いいんだ。

私は、双極性障害2型を認めてから、なんだかとても楽しくなった。

揺れていていいし、ゆるくていい。

ちゃんと出来ないことを「ダメな自分」と思った時もあったけれど、この忙しい時代にゆるく生きるなんて、とても、贅沢な気がする。

小さなことで楽しみを見つけて感じられるし、うん、がむしゃらにハイテンションで突っ切ってた時より、豊か、な気もしている。

ハイテンション、躁状態で突っ走っていた時は、景色なんて見えてなかった。

景色を楽しめるって、人生の醍醐味のひとつだと思う。ゆったりとした気持ちでいられること、丁寧に日々を重ねられること。突っ走るだけでは気づけない事、たくさんある。

この、2型を認めてから楽になるまで、「できない自分」「ダメな自分」がしんどい時期もあったけど、そこを通過するには「あきらめた」事が大きい。

私は看護師を24年くらい続けていて、ここ5~6年は訪問看護師として働いている。

更に、1年と少し前に東京から大阪に帰ってきて、職場を変えた。
環境の変化に慣れるまで、1年と少し、まるまるかかった。
1年と少し経った今、やっと、ペースがつかめてきた。

それくらい、スローペースなのだ。2型と共に生きるという事は。
スローペースというか「自分のペースで生きる」ことがとても大切になってくる。

今の職場の看護師さんはとてもいい看護師さんたち。24年看護師をやってきて、こんなにいい看護師が揃っている職場は珍しいと思うほど。
その中に、抜群に「働ける」看護師さんがいる。

本当に、めちゃくちゃ「働く」看護師さん。
訪問看護って、病院とは働くシステムが違うので、決まった勤務時間以外にも緊急出動とかあるんだけど、それはややこしいのでここでは省略するとして、とにかく、すごく働く。
毎日、夜遅くまで(ちなみに定時は5時半)職場に残って働いている。デスクワークの時もあれば、遅くまで患者さんの所に行っている事も多い。
どうして、そんな働き方を毎日続けられるんだろう・・・・私には、できない。

ちょっと悩んだ。

そんな働き方したら、私は心も体ももたない。
毎日5時半の定時に退勤しても、家に帰ったら屍。
ああ、せめてお風呂・・・シャワー・・・ダメだ朝入ろう、ぐー。
みたいな状態。

その看護師さんたちはそんなに働いているのに家庭もあって、家事もこなしている。

看護師で、妻で、母で。
仕事と家事もこなしてる。
私なんて・・・・私なんて・・・そりゃ、親の介護もちょっとはあるけど、基本一人。
しんどくなったら、誰かのことを気にする必要はなく、帰ってすぐ寝ちゃう・・・ダメだなあ・・・・

しかし、ある日、なんだか、あきらめがついた。

あ、この人たち、すごい人なんだ。

人間としての搭載スペックが、最初から桁違いなんだ。

そもそも、自分と比べる人たちじゃない。

それは、自分を卑下する訳ではなく、「もともとの違い」を認めるというだけのこと。

蟻さんが、象さんを羨ましく思っても、象さんにはなれない。

蟻さんと象さんで考えたら、ものすごく簡単なのに、自分のことはなかなか見えない。

そうだ、比べても仕方ない。
わたしのスペックは低い。
それは事実だ、それでいいではないか。
スペックの違いはどうしようもない。
それを無理して働くのは、自分を壊していくことだ。

出来る人たちは、やればいい。
でも、私は出来ません。
出来る範囲でがんばります。
それでいい。

なぜかは分からないけど、急にそれが認められて、あきらめがついた。
あきらめがついたら、楽になった。

今や私は、「とにかく定時で帰る為に一生懸命働きます」という感じで第一線で働いている。
ついに職場で「5時半に帰る人」認定されるまでになった。
もちろん、今日はスケジュール的に定時無理だな、と分かっている時は、きちんと仕事をこなしてから帰る。そこはきちんと。

スペックが低い。
長い時間働けない。
休みがないと回復できない。

それは別に悪い事じゃない。
ただ、自分のスペックがそうだってだけ。
そのなかでいつも100%以上の力でがんばりつづけてきたから、壊れてしまったんだから。
壊れていろんなことに気づけたのに、また壊れようとするのは、それは、弱さだ。

弱さを認めて、弱さを上手に使って、双極性2型ってことを懐に入れて、ゆるく生きよう。
認めると、少し楽に生きられるようになるよ。

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