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「自己肯定感」思い出してみませんか?


note投稿者であるキラナからのご挨拶・・・


こんにちは!
キラナです。


このブログでは、
「やること」or「やらないこと」

その都度、タイトルに沿って、
気ままに書いていってみようと思いまっす。

お付き合いいただけたらうれしいデス^^

自己肯定感ってそもそもなぁに?

「自己肯定感」って聞いて、
どんなことをイメージしますか?

読んで字の如く
わたしが思い描いている「自己肯定感」は、

”自分自身のことを自分で肯定する感情”

なのですが、
どうやら、ウィキペディアにある定義は少し違っていました。

自らの在り方を「積極的に評価できる」感情、
自らの価値や存在意義を「肯定できる」感情などを意味する言葉

出典:Wikipedia

Wikipediaでは、上記のように書き出してありますが、
研究者によって、その定義も違い、
「自己肯定感」という言葉自体、検討の余地ありとも明記しています。

自己肯定感については
心理学の領域で継続的に高い注目を浴びている概念であるが、
その定義や類似の他概念との弁別性などについて、
検討の必要性が残っている

出典:Wikipedia


ということは。
世に言われている「自己肯定感」

実は人によって、思っている定義が違っている、ということ。

なので、自分がこの言葉を使うのであれば、
「自己肯定感」という言葉、
自分の中の定義、が何よりも大切!!!
ってことなのではないかと思っています。


自己肯定感を「高」「低」で表現するデメリット・・・

私はWikipediaの定義の中に、
ちょっとした違和感を持ったところがあります。

どこかというと・・・
「評価」ってところ。

自己肯定感、
高い・低い、
と意味付けすることは特に問題はないかもしれません。
ですが・・・・・

多くの人、特に日本人が、なのかもしれませんが、

高い=いい
低い=悪い

って評価しがちじゃないですか?

自己肯定感を高いと低い、
で表すと、
「いい悪い」の評価もついてくる。

低い=悪い、と考えていたとしたら、
自己肯定感が低いことは悪いこと。

これじゃいつまで経っても、
「自己肯定感は上げなければいけない」
という呪縛に陥るのです。

ありのままの自分を受け入れよう

  • ありのままの自分を受け入れる

  • そのままの自分を愛する

    などと言われるのを聞いたことはありませんか?

それって、
自己肯定感が高い自分も、
自己肯定感が低い自分も、
オールOK♡

そのままを受け入れる、
そのままの自分を愛する、
ということになります。

文字でこう書くと、簡単そうに見えるし、
すぐに実践できそうな気もします。

が!!!!!

自己肯定感が高い=いい
自己肯定感が低い=悪い

そもそも、
「評価」している時点で、
受け入れるのって、
難しそうな気がしませんか?

悪い自分を認めるというのは
なんか難しい・・・・・・
抵抗を感じる・・・・・・

「評価」を手放す

私、成人期の途中まで、
母から譲り受けていた一つで、
「教育の呪い」というものにかかっていました。

頭がいい人がすべて。
人生うまくいくのは、頭がいいから。

母はそんなつもりで、
言っていなかったかもしれないけれど、

100点をとったとしても、褒められた記憶よりも、
「一回だけじゃ意味がない。次もまた満点とらなきゃね」
「満点は何人いたの?」
(あなた一人だけじゃないなら、テストは簡単だったのね)
だったし、

100点でなければ、
「あなたより上の人は何人いたの?」
だし、

とにかく、
私はいい点数を取らないと、認められない
という想いをずっと持ち続けていました。

自分が対して頭が良くないにもかかわらず、
その呪いは私の無意識下で、
鎧となって、私の身体中を覆い被せてくれていた。

だから、人のことは「成績」でみていたし、
なんなら、自分より成績「低い人」は、
友だちでいることさえ、よくないこと
って思って生きてきました。

かといって、
自分より成績の良い人は、
私の母から見たら褒められる相手でもあったので、
当時、顕在意識では気づいていなかったけれど、
無意識下では、
嫉妬心すら持っていたかもしれません。

成績の良し悪しは、
事実、ではあります。
0点、15点、50点、80点などなど。
テストで言うと、テストは点数で視覚化されるから。

ただ、そこにある事実は
「点数」だけのはずなのに、

成績良い=いい
成績悪い=だめ
って評価がつき始めると、
一気にレベル分けされるようになります。

ってことは、です。

先にやった方がいいことは、
「評価」してしまう自分を認めて、
その「評価する」という行為を、
いつまでも、
自分がしたい?のか、したくない??のか。

自分で決める、ということ。

わたしは、「評価」を止める自分になる方が
自分にとって「楽」だと思ってます。

いわゆる、手放しってやつです。
評価の手放し。

私はここを意識して過ごしてきました。

評価されて苦しんできたからこそ、

①評価してしまう自分を認める

②「評価する」ことではなく、
 「事実」は「事実」として、
 「感情」は「感情」として、分けて見るようにする

③評価する自分を手放す

ということを、意識してやってきました。

評価することをやめていくと、
人から言われることに、
いちいち傷つかないようになっていった気がします。

評価することは、
今までの習慣でもあったので、
完全に辞められてはいない、という自覚もありますが(苦笑)

評価する人を見ると、
過去の自分と同じだな、と思うようになるわけで、

評価している間は、
その人は、しんどくないのかな、
その人が見える世界は狭いのかもしれないよなって思っています。

評価する人がいい、悪いではなく、
評価しようがしまいが、
その人が「その人であること」に幸せを感じられているのであれば、
それでいいのです。


自己肯定感、思い出しませんか?

評価することを手放すと、
ありのままの自分を受け入れる、
自分を愛する、ってことが
かなり簡単になると思います。

そして評価を手放したことで
自己肯定感が、高い低いってことにも
評価がなくなるはず。

そうすると、
自己肯定感の扱いはどうすれば?って
なると思うんですが、

私は、「自己肯定感は思い出すもの
だと思っています。

だって、赤ちゃんの時って、
お座りができるようになるだけで、
ハイハイするようになるだけで、
歩くようになるだけで、

周りから、すごい!!と褒められて、
よろこばれるものだったから。

成長過程を
ありのままの姿で、
褒められていた
はずなのです。

その時に、自らが「褒められたくて」
その行動をして、
成長してきたわけではなかったはず。

ただただ興味が湧くものに貪欲にチャレンジし、
チャレンジしたからできるようになったわけです。

そこから、大人になるにつれ、
チャレンジしても、
周りから、ほらね、とけなされたり、
自分で「失敗」を「失敗」と認識してしまうようになったり、
失敗=悪いこと、と思うようになったり、

人目を気にするようになり、
自己肯定感を感じにくくなってしまった。

ただそれだけ。

だから、自分の過去を思い出していたら
いいって思うのです。

自己肯定感、
思い出してみませんか?

思い出すには、
他人の手を借りるといいんやでー!!
ってことで、気になる方は
お問い合わせ、お待ちしてまーす♪













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