アルバムへの言葉(4):Mura Masa/Curve 1
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アルバムへの言葉?
「アルバムレビュー」という言葉がある。
レビューは、評論や批評を指す言葉であり、自分には少し「重く」感じられた。ただ、「感想」と表現するとそれはそれで少し「軽い」、そしてどこか他人事に感じられた。
今の所妥当な表現が見つかっていないので、ミュージシャンが全力160KMで投げてくれたアルバムという作品に対しての言葉、というまとめ方にしておきたい。テトリスが綺麗に消えるときのように、すっぽり収まる表現が見つかるまで。
Curve1への言葉
ダンスミュージック的であること
早速自分の話で恐縮だが、最近クラブミュージック・ダンスミュージックとはなんぞや?と思い、改めて色々と聞き直している。例えば、以下のようなディスクガイドを借りて古今東西のクラブミュージックに身を任せてみる。
ダンスミュージックとは、身体的な音楽であり、踊ることその踊るための装置であるということを全うする音楽。
Curve1は非常的にダンスミュージック的なダンスミュージックだ。
ハウス、ガラージ、2ステップ、レイヴ、ジャングルなど多様なダンスミュージックを参照している音楽性だけではなく、ダンスフロアで人を踊らせること、そして物語性を排除することで音だけをそこに存在させることに成功している。
彼自身がインタビューで言及している通り、あくまで音がそこに存在し、その音で人が踊ることで生まれるダンスや波が生まれる余白が存在する音楽として存在している。アーティスト名すら読み取りづらいジャケットを使用していることも意図的かつ象徴的であり、ある種の無記名性をそこに持っている。クラブで知らない曲で踊っている時間を、手元のIphoneに届けてくれるようなアルバムだ。
アテンションエコノミーと、Curve Eraと音楽
ただ、それはある種の快楽的、社会からの逃避的な音楽であることを意味してはいない。
彼自身がインタビューやInstagramで言及しているように、アテンションエコノミー化した社会を捉え直して、その中で生きている「Curve Era BB(Babyのスラング)」達に届けようという意識を感じる。装飾的ではなく、あくまでダンスミュージックを届けることで、自由なコミュニケーションを計るために音楽は存在するという光を見せてくれている。
リンク
ちなみに自分はCurve1を、大阪でCURRENTSというイベントを主催されているTKOさんのツイートで知った。次回は、9/22日開催とのことなのでこちらも是非。
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