見出し画像

アルバムへの言葉(1):トクマルシューゴ/Song Symbiosis

おかげさまで以下の記事を拡散いただき、沢山の方に読んでいただいた。

ただ、自分は闘病記を書きたいのではなく、自分が好きなもの/良いなと思うものが少しでも世界に広がれば良いな・・・と思っているので、また通常運転で音楽について書いていきたいと思う。
というわけで、今回は最高のアルバム「トクマルシューゴ作Song Symbiosis」について。


アルバムへの言葉?

「アルバムレビュー」という言葉がある。
レビューは、評論や批評を指す言葉であり、自分には少し「重く」感じられた。ただ、「感想」と表現するとそれはそれで少し「軽い」、そしてどこか他人事に感じられた。
今の所妥当な表現が見つかっていないので、ミュージシャンが全力160KMで投げてくれたアルバムという作品に対しての言葉、というまとめ方にしておきたい。テトリスが綺麗に消えるときのように、すっぽり収まる表現が見つかるまで。

Song Symbiosisへの言葉

全てが加速詰め込まれる社会で、なぜトクマルシューゴの音という情報は疲れないのか?
18曲41分という構成、あらゆる音が詰め込まれた作品は、得てしてTwitterやYoutubeのおすすめ欄に溢れる情報と同じように、加速し人々を疲れさせてしまうのではないか?と感じる。
しかし、トクマルシューゴの音楽は疲れない。加速していかない。むしろ、スローダウンしていく。

この作品に詰め込まれた音は、作り手と聞き手の間に存在し、私達聞き手と関係性を持っている
音楽的には「噪音」と呼ばれる非楽器、環境音、ノイズが取り込まれており、その音は作り手が生きていく中で関係性を持ってきた音である。「コンセプト」としてのアートではなく、生きていく中での関係性を紡いできた作品。関係性とは、束縛であり、連隊であり、共にそこに存在し共生(Symbiosis)するということである。「これからも一緒に生きていかないといけない」という感覚は、加速や加速に伴う憎悪や疲労と真逆の感覚である。

そして、この作品からは「顔」は見えないが、「踊る足」が見える。

作り手がどこまで意識しているか分からないが、Forgs &ToadsのMVでもただ踊る足が映される。
作品全体を通して、歌は確かにそこにあり何かが歌われているが、見えてくるのは踊る人々の足である。頭で考えて、表情で何かを伝え、言葉を話す前に、まずは足下を見て踊る。音響的にも歌を真ん中に置きながら、リズムを強調し、その周辺をうろちょろするように様々な音が配置されている。
それはトクマルシューゴなりのポップ性であり、「足もとを見てものを言い張れ」(忘れられた日本人をひらく P44より引用)という立ち止まりの看板かもしれない

※引用もしていますが、作品全体を通して「忘れられた日本人をひらく」を思い出しました。こちらも是非(リンクを開いても、私に1円も入りませんのでご安心を)

各種リンク

一番好きな曲

公式HP・インタビュー

※ライブの予定もあります!是非!
渋谷WWW
2024年8月9日(金)
OPEN18:30/START19:30

梅田シャングリラ
2024年10月3日(木)
OPEN19:00/START19:30

新栄シャングリラ
2024年10月4日(金)
OPEN19:00/START19:30




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?