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精進料理を習うときにしておく心構え

東京の飲食店で働いていたころ、会社の中にいて働いていればお金が貰えるけれど、1人になったときになにもできるものがない自分にがっかりしたり不安になったりした。たとえばお金の価値も言葉も文化も違うところに行った時に、人を喜ばせられるものすらない。歌がうたえたり、絵を描いたり、髪を切ったりできれば人に何か与えられる。けれど私にはそういう特技みたいなものがなかった。
好きな仕事をしていたので転職を考えていたとかなにかに行き詰まったわけでもなかったんだけれど、自分を振り返ることになって、考えてみたら私は「食べることがすき」だった。飲食店で働いているのも、それが影響しているだろう。料理なら私の特技になるかもしれないと思ったが、自分で全て材料を手に入れて料理をしたことがなかった。これでは、知らない国の小さな村に突然飛ばされたときに「お世話になったお礼です」って言って料理を振る舞えない(とっても極端な妄想)。鶏ガラから挑戦してみたけれど、屠殺できるようになるには時間がかかりそうだった。なんでも食べる方なので平気でできるだろうななんて思っていただけにショックだった。

「野菜からなら」と精進料理を習うことにした。仏教に興味があるわけでも菜食主義でもないけれど、野菜だけで料理ができるようになりたかったのと日本のものを学んでみたかった。
インターネットで見つけた、お寺での精進料理教室。初めて参加するときは緊張した。まず普段からお肉食べてるとは言いづらいんじゃないか、お野菜には気を使ってますって生活じゃなきゃいけないんじゃないかとか、朝ごはん昼ごはん夜ご飯ともないような食生活でまともに’食事’をしていないようなずぼらな暮らしを叱られるんじゃないとドキドキしていた。

精進料理を習いにいったらやること

精進料理での大切な心得<食材を丁寧に扱う>ということは、なかなか普段からできることではない。当たり前のことで分かりきっていて簡単なようだけれど、家事を簡単に済ませられるよう時短レシピや手早い方法の情報が溢れているうえに、私のズボラで面倒臭いことはしないことがすっかり身に染み付いてしまっていた。ただゆっくり料理するというわけでもない。野菜ひとつひとつの色や形、匂いをみたり、これはどういう料理に合うかな、皮はだしに使おうかとか、硬いところはよけておいてあとで他のものと一緒に炒めようとかを考える。教室では先生がレシピを決めておいてくれるので、丁寧に扱うとはどういうことかなんていうことを話ししてくれた。普段は考えるのがめんどうなのでそれを省けるように決まったことをやればいいようなレシピを使っているけど(時短レシピとか)、精進料理では旬の野菜を使って野菜のなりや気候に合わせて調理する。まったく逆のことをするのだ。フードプロセッサーや電子レンジは使わず、すり鉢やおろし金ですりおろしながら、野菜が音を立ててすり潰されだんだんと匂いが変わっていくのを感じる。
<自然の恵みに感謝して旬の食材を丁寧に扱う>というだけのことなんだけれど、精進料理をしながら五感を刺激していると、自分を大切に扱っている気持ちになれる。

じつは精進料理は身近な存在

旬の野菜を追いかけて、地方の暮らしに興味を持ち地域おこし協力隊になったといっても過言ではない。徳島でも精進料理を食べてもらう会や精進料理を作る会を開いているが、精進料理を学ぶんだ!というよりもまずはリラックスして美味しいものを作って食べようという気持ちで参加してほしい。と言っても1番人気なのは胡麻豆腐を作る会なので精進料理の定番をやっている。

ところで、精進料理を習いにお寺に行く際ふだんの食生活について叱責されちゃうんじゃないかと不安になっていたけれど、私の師匠は「感謝していただく」ということが大切なんですよ、と「精進料理への道」のハードルを下げてくれた。
「いただきます」と「ごちそうさま」があるだけで、もはや精進料理は完成しているのかもしれない。

すり鉢を引っさげて胡麻豆腐を作る会を開催しに行きますので、興味があったらぜひ声かけてください。


読んでくださってありがとうございます。精進料理がきっかけで移住したと言えるくらい精進料理の世界にはまっていますが、食べるものはなんでも好きです!四国は野菜に果物、お魚などおいしいものがたくさんあるので、食べものに使わせていただきたいと思っています。レポートします!