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社会はなぜ子どもを望むのか?#04〜哲学・反出生主義〜

今日は、前回に引き続き哲学の視点から社会はなぜ子どもを望むのか?考察してみます。まだ「#03〜哲学・出生主義編〜」をご覧になっていない方はぜひそちらもご覧ください。

ここからの考察にあたり、下記のnoteを参考にさせていただきました。

また上記のnoteも含み、森岡正博さんの論文を参考にしています。

反出生主義とは

前回の再掲ですが、まず出生主義とは人間が生まれてきたことを肯定すること(誕生肯定)と新たに人間を生み出すことを肯定すること(出生肯定)の2つの意味を指します。

出生主義に対して、反出生主義という考え方があります。反出生主義とは、人間が生まれてきたことを否定すること(誕生否定)、そして新たに人間を生み出すことを否定すること(出生否定)の2つを意味します。

反出生主義と仏教

哲学的思想に入る前に宗教に触れます。反出生主義をとる宗教として、仏教が挙げられます。キーワードとしては、「輪廻転生」「一切皆苦」などです。皆さんも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

原始仏教では、人は死んでも輪廻し続け、命あるものは死ねない、という生命観。生まれ変わり永遠に生きなければならないのは苦しみであるから、この世で死んだらもうどこへも生まれ変わらないのが救済である。

森岡・戸谷(2021)「生きることの意味を問う哲学」現代思想

原始仏教とは、ブッダが生きている時代も含んだ初期の仏教で、いろいろな派閥に分かれていく前の状態です。そのため、「輪廻転生」や「一切皆苦」のような考えは、仏教の多くの派閥に通底している考えとなります。

生まれ変わるという考え方は、私たちにも染み付いているのではないでしょうか。「生まれ変わったら犬になりたい」「生まれ変わったら建築家になりたい」なんて、私は今でも言ってしまいます。
仏教ではここに「生きることの苦しみ」が加わります。

四苦八苦という言葉は、仏教でもともと使われていた言葉です。四苦とは、「生・老・病・死」を指します。ブッダはもともと王族の王子でしたが、王邸から外出する際に老人に遭遇し、病人に遭遇し、死者に遭遇した経験から、生きるとは何なのかを模索するために王族から出家したと言われています。

反出生主義と哲学

反出生主義の立場をとる哲学者として、アルトゥル・ショーペンハウアーとでデイヴィッド・ベネターを紹介します。ベネターは、ショーペンハウアーの論を展開させ、「反出生主義」を台頭させた人物として知られます。

反出生主義とアルトゥル・ショーペンハウアー

若きショーペンハウアーの心には、悪魔が人間の苦しむさまを見て楽しむために人間を創造したのだというシニカルな考えが育っていった。そうした考えが、後年の主著『意志と表象としての世界』に結実する。欲望がもたらす人生の悲惨と苦悩を描き、生の断念や諦念(ていねん)を説く。

https://opac-lime.hannan-u.ac.jp/lib/material/recommended/recommend_1502.html

ショーペンハウアーは、裕福な家庭に育ったが両親は子どもに興味を示さなかったと言われています。父が他界した後も、巨額の富が残り生活に困ることはありませんでしたが、幸福とは何か、苦しみからどうしたら解脱できるのかが彼のテーマであったように思います。

ショーペンハウアーは、インド哲学にも影響を受け、人生は苦悩と受難の連続であるという認識を生涯捨てなかったようです。

ショーペンハウアーの主著である「意志と表象としての世界」のなかで、生きていく中でぶつかる障害による苦しみを避けるため、我々は存在するべきではなかったと記しています。
はじめに反出生主義には、誕生否定と出生否定があると書きましたが、ショーペンハウアーは「誕生否定」つまり、人間が誕生すべきでなかったという立場のようです。

彼は幸福についてもたくさんの思想を残しており、ただ人間の誕生を否定するだけでなく、生まれてしまった後に苦しみからどう逃れるのかを探求したように思います。

反出生主義とデイヴィッド・ベネター

デイヴィッド・ベネターは、反出生主義の議論を巻き起こした人物ではないでしょうか。「生まれてこない方が良かった」という著書がまさに反出生主義について、論じた書籍です。まだ重い腰が上がらず、実は私も読めていません…。そのため、上記のnoteや森岡先生の論文からわかっていることを整理します。

余談ですが、論文を読んでいるとその参照先も読まねばならず無限ループですよね。最近、本を2〜3冊並行して読んでいることが日常になっています…。私は賢い人間ではないので、頭が追いつきません。

さて、気を取り直して、ベネターの論に移ります。

(ベネターによると)出生は常に出生させる側の暴力として、ある存在を地上に生み出す構造になっている。

森岡・戸谷(2021)「生きることの意味を問う哲学」現代思想

ベネターは四象限を使って、なぜ私たちが生まれてこない方がよかったのを解きます。この解説については、先ほどのnoteが参考になるので読んでみてください。

ベネターは、誕生・出生の両方を否定します。人が存在する時と、存在しない時を比べ、人が存在しない方が「苦」がない=人は存在すべきではない(誕生・出生否定)という考え方です。
人には快楽もあるが必ず苦しみが存在します。もし存在しなければ苦しみはない、快楽が生まれることはないがそれは悪いことではない、と論じます。

森岡先生とブルータスの記事が非常にわかりやすいので、参考にしてください。

まとめ

  • 反出生主義とは、人間が生まれてきたこと(誕生)と新たな人間を生み出すこと(出生)を否定する考え

  • 反出生主義をとる宗教として、仏教(輪廻転生・一切皆苦)がある

  • 反出生主義をとる哲学者としてアルトゥル・ショーペンハウアー(我々は存在すべきでなかった)とデイヴィッド・ベネター(生まれてこない方がよかった)が挙げられる

個人的感想としては、反出生主義はショッキングですが、仏教の思想のように苦しみから解脱する考えには共感します。それは、生まれてしまった後に苦しみから逃れる方法を模索することだと思うからです。ベネターの論は、今生まれて苦しんでいる人たちに対し、何も対応できないのではないでしょうか。と言いつつも、まだ原著を読めていないのでここまでにしておきます…。


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