社会はなぜ子どもを望むのか?#03〜哲学・出生主義〜
これまで2回コンテンツ編が続いたので、今回は頑張ってアカデミックな世界に飛び込んでみようと思います。
今日は、哲学の視点から社会はなぜ子どもを望むのか?考察してみます。
出生主義とは
出生主義とは人間が生まれてきたことを肯定すること(誕生肯定)と新たに人間を生み出すことを肯定すること(出生肯定)の2つの意味を指します。
私が知る限りは、誕生と出生ともに肯定され、出生主義と読んでいる場合が多いです。
ここからの考察にあたり、下記のnoteを参考にさせていただきました。
また上記のnoteも含み、森岡正博さんの論文を参考にしています。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3360&status=published
上記のリンクで「反出生主義について考える」というタイトルがついている通り、出生主義に対して、反出生主義という考え方があります。これは人間が生まれてきたことを否定すること(誕生否定)、そして新たに人間を生み出すことを否定すること(出生否定)の2つを意味し、基本的には双方を否定するものと理解しています。
反出生主義については、別途記述します。
宗教と出生主義
反出生主義も含み、出生主義を理解するには宗教観が影響していることもあります。そのため、哲学的思想に入る前に宗教に触れます。
出生主義をとる宗教として、キリスト教とイスラム教があげられます。両者はユダヤ教の影響を受け、共通の価値観がしばしばみられます。
3つの宗教の相似点と相違点は、こちらが参考になりそうです。
https://www.kwansei.ac.jp/cms/kwansei/pdf/department/sociology/5293_44389_ref.pdf
出生主義とキリスト教
キリスト教は、避妊・中絶の忌避から出生主義と言われます。
国民の多くがキリスト教徒であるアメリカでは、2022年に中絶をめぐる議論がありました。1973年の「ロー対ウェイド」という中絶を禁止するテキサス州で起こった裁判で、最高裁はこのときテキサス州を違憲と判決しました。この判決が、中絶禁止を覆す判例として長年依拠する存在となっていました。
2022年に原則中絶を禁止するミシシッピ州で唯一中絶をするクリニックが違法であるという裁判があり、この中で先ほどの「ロー対ウェイド」の判例を覆す中絶は憲法に反していないという判決が出たのです。
これにより、アメリカ南部や中西部の州で中絶を禁止する州が出てきました。
では、なぜキリスト教では避妊・中絶を拒むのでしょうか。
キリスト教は、「神聖な存在の人間の生命をコントロールできるのは創造主である神だけであり、神が定めた法則に反してはならない」と考えます。
余談ですが、キリスト教のような一神教は砂漠地域から生まれることが多く、その過酷な環境から唯一の神の存在を信じたそうです。そのため、人間の生命をコントロールできるのは神だけであるという考え方も繋がっていると私は考えます。
出生主義とイスラム教
次に、イスラム教は性を肯定することから出生主義の立場をとると言われます。
イスラムの教典、コーランでは、結婚後の性生活を肯定しています。コーランには「女というものは汝らの耕作地。だから、どうでも好きなように自分の畑に手をつけるがよい」と書かれており、積極的な性生活を推奨します。婚前交渉には厳しいことに、留意しなければなりませんが、イスラム教では基本的に子孫繁栄を望んでいます。
これも先ほどの余談につながりますが、砂漠地帯の厳しい状況下の中、子孫繁栄を願う考え方になるのは納得できます。
出生主義と哲学
出生主義の立場をとる哲学者として、ハンナ・アーレントとハンス・ヨナスを紹介します。
両者ともユダヤ人であり、ナチズムからユダヤ人を排除された経験が影響しています。
またユダヤ教は、キリスト教とイスラム教の祖となっていることから出生主義をとることは納得できます。
出生主義とハンナ・アーレント
大人が保守すべきなのは、子どもの生命だけでなく、出生とともに携えてくる「新しいことを始める能力」だとアーレントは言います。
確かに私も周囲に話を聞く中で、「子どものいない社会では新しいものは生まれない」「子どもが動きを与える」「子供がいないと世界が廃れる」といった意見がありました。これはアーレントという「新しいことを始める能力」を子どもが携えていることに繋がります。
アーレントの思想は、ユダヤ人を排除したナチスへの抵抗である可能性が大きいです。次に紹介するヨナスへ影響していきます。
出生主義とハンス・ヨナス
ハンス・ヨナスで特徴的なのは、「将来世代への責任」です。私たち人間は唯一責任を持つ生き物であり、その責任が世界から消えないよう、人間は存続すべきであると言います。
私が行ったインタビューの中でも、世界の存続のために出生は必要なのではないかという意見がしばしば見られました。ただし、集団的に捉えた時に社会が存続するためには必要、個人的にはそうではないと考える人が多いようです。
例えば、日本は少子高齢化だから出生が必要とは思いつつも、個人としては本人の意思次第なのではないかと。
私自身も、出生主義は集団主義的な考え方であり、個人の性質が問われていない点は問題であると考えます。
まとめ
出生主義とは、人間が生まれてきたこと(誕生)と新たな人間を生み出すこと(出生)を肯定する考え
出生主義をとる宗教として、キリスト教(避妊・中絶への忌避)とイスラム教(性の肯定)がある
出生主義をとる哲学者としてハンナ・アーレント(新しいことを始める能力)とハンス・ヨナス(将来世代への責任)が挙げられる
個人的感想としては、キリスト教とイスラム教は砂漠地帯で生まれた一神教であり、その過酷な環境から子孫繁栄を願うのは自然であると考えます。
また、アーレントとヨナスの考えは現在にも通底するところがありますが集団主義的であり、個人の性質を問わない点は問題があると考えます。
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