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カウンセリング15回目、忘却
今朝は何も話すことがないなと感じたままカウンセリングに臨んだ。
とはいえ、少しは話した。
ストレスが溜まると過食傾向や買い物が進むこと。
でもそれも、逸脱したほどかと言われれば
そこまでではないし、もっと抑えられたら
いいよねくらいのもんだ。
過食傾向と言っても周期的なものだったり、
買い物と言っても給与の範囲だし。
そして実は本当に、話の内容をあまり覚えていない。
「過食や買い物で、うみさんの空白を埋めているのでしょうか。
以前、自分の予定をできるだけ埋めしてまうといったうみさんと重なっていますか」
とカウンセラーが尋ねた。
そうかもしれない。
違うかもしれない。
わからない。
カウンセラーはこうも話した。
「まずうみさんが毎回ここへ足を運ばれるのは、うみさんにとって本来相当大変なことであるはずです。
いつも論理的に話すうみさんと、
心の底で向き合いたくないと葛藤するうみさんがいて。
本来向き合うべきと思っていても、
向き合うことから無意識に避けてしまう。
それが
『何を話すべきかわからない』
につながるのかもしれません。
おそらくうみさんには、心の中で
まだ開けられていない、記憶に蓋をしている箱がたくさんあるのではないでしょうか。」
(※カウンセラーは無理にその箱を開けろと指示してるのではありません。)
私はこう答えた。
「ここにくるからには、何か成果を持って帰らなければと思ってしまいます。
成果をあげるためには何を話せばいいんだろう、
何も話さなければ辛い現実が変わらない。
それでは辛すぎると思うから何かを差し出さなければと思うのに、何を話せばいいのかわからなくなるんです。」
最後には泣いてしまった。
今日は仕事が休みの日だから泣いてもいい。
でも泣きたくないから最低限の話しかできない。
ここにも自分の矛盾があるな。
カウンセラーは
最後「うみさんはこういう話をされましたよ」とまとめてくれた気もするけど、忘れてしまった。
恐ろしいほどに早く忘れた。
部屋を出て、玄関を開ける頃には
「今何を話されたんだっけ」と思ったほどだ。
辛い、と言っておきながら、
自分が今誰かに危害を加えられているわけではない。
でもさっき私は辛いと言った。
それが現実なら、私は私を救ってあげたい。
自分にとっての意味がまだ見出せないと思うことがあっても、
カウンセリングは続けていく。
カウンセラーは、20年以上地域の精神病院で児童心理に関わってこられた先生で、臨床心理士会のとある役職の方です。
私は独立されたカウンセリングルームで、保険適用外のカウンセリングを受けています。
このカウンセラーを信頼して、そして自分をも信じて、今後も自分と向き合っていきたいと思っています。
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