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孤独と向き合えなくても

書いては削除して、を繰り返している。
うまくかけるかわからないけど書いてみる。


時々言いしれない孤独を抱えることがある。


みんなもそうであるように、
ここに書いていることが全ての私ではなくて、
面の一部に過ぎない。
でも書いている私は紛れもなく私だ。
深層の部分に近いから、逆にリアルな人間関係では私のすべてを知っているのは親友だけだと思う。
本来もっと近い相手であっても、他人だ。


他人、に私がしてしまっているのかもしれない。



「夫婦も結局は他人」という言い尽くされた言葉がある。
事実でもあり、冷たい響きもする。


そして私が言う孤独って、
ややもすると贅沢な悩みかもしれない。


でも、本人が悩んでいること以上に大変なことなんてあるのだろうか?
他者から見れば恵まれていても、いつもの茶番であっても、結局は遊戯なのだとしても、本人が本気で向かっているのであれば
誰しもが口を挟むことなどない。


同じように、
自分に厳しすぎるほどジャッジする必要もない。

抑え込まなくても、
もっと解放したい気持ちがあればそうすればいいと思う。

ずっと同じ顔なんてできっこない。


弱さも、強さも
ただ一点しか見えない視野の狭さも
深い愛情も
こつこつと自分の足元を掘り下げる作業も
遠く見えない闇の先を凝らす目も
まぶたの奥で反芻する全ても。


全て愛しく、情けなく、美しく、苦しくなる。





カウンセリングを通して何か向き合えれば、
この孤独から解放されると思っていた。
でもただいたずらに時が経つだけだった。


私の汚いすべてを解放したら
楽になれるんだろうか?

そんなわけはない。

私が怖がっているのは、
他者の目か、自分の思考か
すべての孤独かわからなくなる。





こんなことを書いていつつ、
noterさんに元気がないと
わずかでも力を送りたくなる。

でもいつも元気な人が、
いつも元気なままでなくてもいい。


肩を貸し合って、
しょうもないことを共有しあって
少しでも自分らしさを取り戻して
自分の世界に帰れたらなと思う。


私もいつもみなさんから力をもらっています。
大切な方たちに、
それぞれのタイミングで
そっと思う気持ちが届きますように。


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