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こぶしの記憶

今のパン屋で働き始めて四年半。
今年の一月、
住み慣れた古いマンションを離れ、
隣の町に引っ越してきました。

新しい部屋にはベランダがなく、
そのお陰もあってか
私達はよく外へ出ます。
幸い
自宅の周りは緑も多く、
道もくねくねバラエティ豊か。
立ち並ぶ
美しいお家を眺めるだけでも楽しくて、
歩いていて飽きません。
近頃は暖かい日も多いので、
ほぼ毎日のように
お散歩するようにしています。

先週末の日曜日も
住宅街をのんびり歩いていくと、
足元には野の花が咲き始め
木々は新芽を纏っていました。
本格的に春が来ているなぁ
と思っていると、
眼の前に
一本の立派な木が現れました。
枝のひとつひとつに
大きな白い蕾をたくさんつけています。

それは「こぶし」の木でした。
こぶしがいつ咲く花なのか
私は覚えていませんでしたが、
その姿を目にした途端
なんだかフッと、
「懐かしい」
という思いが込み上げてきました。

こぶしの花は
私の故郷でも時折見かることがありました。
空へ大きく広がる枝々が
真っ白な花に抱かれる光景は
それはそれは素晴らしいもので、
「こぶしっていいよねぇ。」と
歓ぶ母の言葉を横で聞いている、
そんな子供の頃の記憶があります。

どことなく原始的で
力強さを感じさせる花ですが、
すぐに白さを失い
散ってしまう印象で、
その儚さもまた魅力として
私の心に残っていたのかもしれません。

新しい町は
時間がゆっくり流れていて、
四季の移ろいを告げる
植物たちの小さなメッセージに、
より気付けるようになった気がします。

「こぶしは春を告げる花」。
今年、
このドイツの小さな町の片隅で
桜よりもひと足早く出会ったこぶしの蕾を、
私は生涯
忘れることはないでしょう。




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