怒りの感情について

アドラー心理学によると、「怒りの感情は二次感情」らしい。
目的は以下の通り。
(1)支配
(2)主導権争いで優位に立つこと
(3)権利擁護
(4)正義感の発揮
これらが達成されなかったとき、怒りは起こり、増幅する。
さらに怒りを引き起こす「一次感情」とは何か。
不安
悲しみ
さみしさ
落胆
心配
悔しさ
などがある。


恥部を晒すが、今現在怒っている人物とその事柄があるので書き記す。公開する必要はないと思うのだが、もしこれを読んで共感できたらいいねをお願いします。

俺は、従兄妹の母親に昔からすごい嫌悪感を抱いている。読む人が少ないので明確に書くがこの人は立正佼成会とかいう宗教の幹部的な地位の人だ。小さい頃はなんとなくだったが、直近で3回も怒髪天を衝くことがあった。

その①父親の末期がんが判明したとき(母親談)

そいつは家まで見舞いと称して訪れた。開口一番、父親の体の心配はせず、

「毎日仏壇にお経を唱えているか」

を心配した。何の心配をしに来たの?父の具合よりも仏壇?先祖?仏?思いやりの先の先の先を考えるクソみたいな宗教ですね立正佼成会ってのは。

その②父親が大手術を終えたとき(たぶん今の俺の怒りの根源はこれ)

8時間~10時間はかかるだろうと言われたがんの手術に俺たち家族は付き添っていた。そこに従兄妹の両親が現れた。従兄妹の父は、俺の父の兄にあたるため、神妙な面持ちだ。しかし従兄妹の母はどうだろう。「久しぶりやね。」とニタっとした笑顔で俺に話しかけてくる。寒気がした。
その後手術が終わり、執刀医が「今回の手術の内容を説明するので、ご家族の方はお集りください」と言った。そのとき従兄妹の母の携帯が鳴った。

「電話に出るのか?さすがに出ないだろうな」

その予想を軽やかに裏切り、「もしもし、久しぶりどうしたの」とペチャクチャやりだした。従兄妹の父は憤った顔をしていたがしぶしぶ執刀医の場所へ行った。説明を聞く俺たち。説明の後神妙な顔をしてその場を離れて元々居た場所へ戻るとなんと!まだペチャクチャ電話でしゃべってた。そして「またねー」と帰って行った…。すごいね。宗教組織で偉くなるとそういうことも平気でやるんだね。

その③術後半年が経過し迎えた正月の挨拶にて(母親談)

病の体を押して挨拶に行った俺の父と母。そこで繰り広げられた光景とは。

「携帯の容量が少なくて写真が保存できないの。どうしたらいいの?ねえ、どうしたらいいの?」

と自分の子供たちに終始聞いてまわり、俺の父の容体はそっちのけだった。ねえねえ。立正佼成会の立場からして、家の父はもう挨拶する価値もない存在なんですかね?

アドラー心理学に基づくと、これらの怒りの一次感情は何なのだろうか。
悲しみ、さみしさ、落胆、悔しさ、なのだろうか。

それならば悔しさ一択だ。仏教の始祖であるブッダも偉そうなことは言わず、人間ナイスガイで生きようぜ!と送ったメッセージを後世の人間が色々と解釈し、曲がった解釈を信じ曲がった心を持ち、人を傷つけている。

書きながら整理できた。俺の父がないがしろにされているのが許せないのだ。許せない。

あらかじめ敷かれたレールに乗って走っているだけの奴がそれ以外の奴らを見下すなんてあってはならない。リーマンがフリーランスやフリーターを見下すことと同じだ。

父の具合もあまり良くないので、元日はあんたが挨拶に行くか?と母に言われ、「嫌です」と即答したものの

今書いた内容を吐き出して終える元日もまたすっきりして良いかもしれない。


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