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大学生はなぜ群れるのか ー幾多の目的を果たす手段としての友達ー

近頃大学へ行くと、しきりに考えることがある。
「大学生はなぜ必死に友達を探すのだろう」
単純かつ漠然とした疑問であるが、私の通っている大学は通信制過程も設けられており、幅広い年代の在学者もし現役学生同様、しきりに出会いを求めているのだ。友人から聞いた話ではあるが、中高齢層が若年層に対して友達になろうと頑張って話しをする姿も見受けられるそうだ。
この点に対する私の率直な印象としては「大人気ない」「気持ち悪い」という言葉に尽きる。

大学は研究・教育機関であり、友達作りのためのコミュニティではない。
ところが学生は「勉強」よりも「友達の数」を重視する傾向は強い。勉強は二の次なのである。高卒後の現役学生であれば、青春を謳歌したいから友達作りに勤しむことは必然とも言える。大学に入る前から TwitterなどのSNSで友達を作る動きも見られる。これは大学生のみに起こりうる「異常な事態」ともいえるだろう。
この異常な事態の本質を探るべく、今回記事を書くこととした。

この記事を読んでいる方は、大学を卒業または中退された方、在学中の方、あるいは在学したことがない方(これから進学予定も含む)といった三種に分けることができるだろう。大学に一度でも在学したことがある方にとっては滑稽な記事であるかもしれないが、ご了承いただきたい。


・授業情報の交換

大学の授業は高校までの授業のように受け身の姿勢で受講していては「本来単位は取れないようになっている」と思われるが、実態は大きく異なる。
根本的な問題として出席を取らない授業がある他、試験問題についても予め予告されるケースがある。
そのため、授業および教員の情報は「卒業する上で重要な情報」であるといえる。シラバスの内容よりも、確実に単位を取れる授業を履修する学生は一定数存在するだろう。(無論、全員が全員そうとはいわない)

単位を落したり、留年することは全学生が避けるべきことだ。卒業する可能性を強固なものにしてゆく上でも、授業情報は重要という考えは成立しうるだろう。

肝心の情報源はどこにあるのか。一般的に公開されているものでは、楽天が運営している「みんなのキャンパス」があげられる。だが、主体となるものは友達・先輩からの口コミや、「裏シラバス」と呼ばれる学生が作成する冊子、期末試験問題の過去問などである。
これらの情報は常に最新の情報が共有されることから、適時更新である「みんなのキャンパス」と比較した際には信ぴょう性が高いと考えられる。

これらの情報を入手するべく、友達の存在が必要となる。
一般には公開されていない「裏情報」を入手し、単位を取ろうとする行為を「せこい」「ずるい」と思う人もいるだろう。
しかし、私はこの行為を一つの能力と考える。単位をとるために必要なものは試験やレポートの点数だ。回答内容が絶対的評価であり「勉強の過程」は考慮されない。つまり、試験でいい成績を残すためにはどんな手段を用いても、過程を辿っても構わないということになる。
※もちろんカンニング、剽窃といった不正行為は論外である。※


少年ジャンプの漫画「NARUTO」で、ナルトら忍者たちが中忍試験を受ける場面があるのだが、この試験理論が非常に興味深い。
中忍試験は実技と筆記試験があるのだが、筆記試験では忍術を用いたカンニングが容認されている。それは正答を誰も解けないように問題設定がされているからだ。正答を解くにはどうしたらよいか。「カンニング」する他に手段はない。その手段を確立するために、正答を解く忍が紛れ込んでいるのだ。
中忍試験を受験者たちには
・問題は正解できないよう作成されている
・忍術を用いたカンニングを行うしかないという2点の判断能力
・ペンの音や手の動きから、回答をしていそうな忍を見つける洞察能力
・正答を解く忍を発見できる観察能力
・それらを試験官(敵)に見つかることなく遂行する能力
が問われているのだ。
強敵と戦う上級任務を遂行する上で、いずれも必要となる能力である。


話が大きく飛躍したが、大学の授業単位をとるために時にはこうした「裏技」を使うことが有効となる場合が多いのだ。

裏技は「見つからないように」使うべきである。とあるシラバスの内容で「yahoo!知恵袋で過去問について質問している学生がいた」という記述があったため、このような但書をつける。

真面目に勉強をしていたのに単位を落としては元も子もない上に、その科目を履修した意味は皆無に等しい。成績が低くても同様だ。
そのため、単位を取り合う「ビジネスパートナー」としての存在でもよいから友達が欲しいという考えが大きく浸透しているのだろう。

・恋愛対象としての出会い
・サークルなどを通じた趣味友達

これは中学・高校や社会人にも通用することなので大きくは論じないが、勉強以外の「サードプレイス」を確立するためにもこれらの出会いは必要だ。特に、大学は最後の青春ともいわれることから必要性は向上するだろう。


・「大学生」という共同体へ加わりたい。


大学で友達を作りたがる真相はこれではないだろうか。大学生活を送る上で、授業情報や出会いは大事であるが、大学では「クラス」という概念がほとんどない以上、一人でいても卒業することができる。授業についてはしっかり出席すれば知識や情報が不足することはないだろう。わからないことがあれば、教員に質問することが最も有効で確実な手段である。

大学で友達作りに勤しむ本質は
大学では友達を作らないと、学生生活を謳歌できない、単位を取れないという「概念」に由来すると考える。学生生活において自己のあらゆる目的を達成するために必要となる手段といえよう。
その概念は誰が植えつけているのか。ゼミやサークルなどの先輩の可能性もあるが、日本においては「社会」であると考える。
日本の大学は「入るのは大変だが卒業は楽」という考えが浸透していることから、大学へ入ることがゴールとなっているケースがある。受験勉強で溜まったストレスを発散したり、青春を4年楽しむためにも友達の存在は計り知れない力を持つだろう。

ここで留意するべき点は「積極的になりすぎる」ことである。
無理にLINEを交換したり、面識を持ったところで友好関係の持続可能性は低いだろう。サークルや授業を通じた「自然な出会い」によって出会った人の方が「真の友好関係」を築ける可能性が高いし、自身の精神的にも楽なのではないだろうか。

大学という「共同体」に属していることを意識するためには、その大学において居場所を確立することは必要だ。その居場所はゼミ・サークル単位といった集団でなくとも、自然発生した「友達同士の仲」でも良い。
友達の定義について考察することはここでは割愛するが、少なくとも「外食に行ける仲」でないと友達とは言えないだろう。
通信制在学者の中高年代であっても、大学では友達作りに勤しむ理由は「共同体への参画」にすぎない。

「友達100人できるかな」という言葉があるが、筆者は100人もいらないどころか10人いればよいと考えている。友達が多すぎると自身のプライベートの時間を失われるからだ。

背伸びしすぎず、身の丈にあった交際をしていくことによって
勉強も遊びも質が高い大学生活を送ることができるだろう。

追記:2月からは完全OFFだし、学んだことも増えたのでまた徐々に更新を増やしていこうと思います。
アニメーションの興味はもちろんありますが、大学ネタの方が手っ取り早くかけるので今後こういった記事が増えるかもしれません・・・!
けれど、アニメネタもしっかりやります。


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