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「限りある時間の使い方」読書メモ

これは、いかにも自己啓発系のタイトルだし、どれだけ時間を無駄に過ごしているか、もっと時間を有効に使おう!自分らしい時間の使い方をしよう!みたいな、系統かと思いきや、中身は全然違っていて、面白かったです。

時間の有効活用ばかりを考えていると、人生は想像上の未来に描き込まれた設計図となり、ものごとが思い通りに進まないと強い不安を感じるようになる。そして時間をうまく使えるかどうかが、自分という人間の価値に直結してくる。

大学を出て、大手企業に就職し、30歳で結婚し、子供は2人、定年まで働いて、その後は悠々自適に旅行やゴルフ。そんなステレオタイプの幸せ風な人生ですが、そんなものが予定通りに行かないのは周知の通りです。

ただ、今の団塊の世代はたまたまそんな予定調和な人生を送りやすい時期だったので、そのモデル人生を子供にも押し付けてくる、とかありそうですね。無駄な時間を過ごしていると不安になる、、、とか。

そんな風に思った時はこの言葉を思い出しましょう。

人生を浪費しなければ、人生を見つけることはできない。
                     ーアンモロー・リンドバーグ

無駄な時間を過ごしているんじゃない、人生を見つけるために浪費しているんだ。こう思って自分を肯定しています。

我々は生活に必要な以上に熱心に、夢中で日々の仕事に取り組んでいる。立ち止まって考える暇ができては困るからだ
僕たちはスケジュールや計画に強迫的にしがみつき、未来をコントロールできないという事実を忘れようとしている。

振り返ると、思い描いていた40歳とはだいぶ違っていますし、そう考えると10年後どうなってるかもわからないので、あまり考えずに流れに身を任せ、そこで適応する、そんな感じです。

世の中がこれほど忙しいのは、誰もが自分自身から逃避しているためである。
                           ーニーチェ。

僕がいうとイラッとしそうな言葉でもニーチェが言うと重みと深みが違います。

時間をうまく使おうとすればするほど、今日や明日という日は、理想的な未来にたどりつくための単なる通過点になってしまう。そんな未来は実際には永遠にやってこないのだけれど。。。

これは時間の「道具化」と呼べる問題だ。
多くの人は時間をそのような手段として捉えている、自分がどこに向かっているのかを考えるあまり、自分がどこにいるのかを忘れてしまうのだ。
自分の人生の本当の価値はどこか遠い未来に置かれる。
そして、そこにたどりつくことは、おそらく一生できない。

今の時間は将来のために費やすべき道具であり、その先にバラ色の未来が待っている。だから今を犠牲にしてでも頑張ろう!という考えですが、これって宗教の論法とも似ている気が、、、

現世は辛いことばかり、でもそれに耐えて頑張れば、死んだ後に天国に行けて、そこで永遠の幸せが約束される。。。

天国と違うところは、天国は死んだ後の世界なので答え合わせは永遠にできないけど、バラ色の老後は答え合わせができてしまいます。そのバラ色の老後のために企業戦士として働いてきた団塊の世代の老後がどうもバラ色っぽくないぞ、、、目指したい姿じゃないぞ、、、そう思っている現役世代が多いのでは?と勝手に思ってしまいます(僕もそう)

時間を道具にしてしまうのは、資本主義のシステムのせい。

やっぱり!!

資本主義とは、あらゆるものを道具化する巨大な機械であるといっていい。地球の資源、時間、あなたの能力。すべては将来的な利益を生むための手段だ。

幸せになるために資本主義を使うはずが、資本主義の運動の中で幸せになれない人が非常に多くなっているし、超大金持ちも幸せか?となったらそうじゃない人も多いのだと思います(知らんけど、そうあってほしい)

時間を有効活用せよという資本主義の圧力は人生の意味を徐々に食い潰していく。

資本主義という大きい運動の中で、それに抗いながら、うまく資本主義を使いこなし、自分の幸福、充実、満足を追求していく、そんな感じでしょうか。

現代に生きる僕たちは、休みを「有意義に使う」とか「無駄にする」という奇妙な考えにすっかり染まっている。
将来にむけて何らかの価値を生み出さないものは、すべて単なる怠惰でしかない。休息が許されるのは、働く元気を取り戻すためだけだ。こうして純粋な休息としての休息はどんどん肩身が狭くなっていく。将来のためにならない過ごし方をすると、なんだか悪いようなことをした気分になる。

バーランドラッセルの「怠惰への讃歌」を読むしかないですね。
ケインズ先生も「孫たちの時代の経済的可能性」で言っています。「孫の時代は経済的に豊かになっているから、1日3時間働けば十分で、余暇の使い方をいろいろ考えるようになる」と。

実際は予想通り豊かになったのに、労働時間は減るどころか増えている、もっと生産性を上げないと、リスキリングで学び続けないと、、、いったいいつまで?そう思ってしまいます。

ある老人がワインを飲み、満ち足りた気分になる。
そのことに価値がないというのなら、生産も富もただの空虚な迷信にすぎない。生産や富に意味があるのは、それが人に還元され、暮らしを楽しくしてくれる場合だけだ。                 ーボーヴォワール

いいこと言いますね、ボーボワール。

現代において怠惰ほど異質なものはない。何らかのゴールにつながらなければ意味がない時代に、どうして遊びがありうるだろうか。

「ホモ・ルーデンス」という本では、人間は遊ぶ存在である。と言っているので、それを読むしかないですね。

そのうち「将来」はなくなってしまうのに、将来に備え続けることに何の意味があるのだろう?

「DIE WITH ZERO」というゼロで死ね、というお金本があるので、それ読むしかないですね。いつ楽しむの?今でしょ。   古い、、、

人はみんなさまざまな目標を達成しようとして日々を過ごしている。
目標は達成されていないか、すでに達成されたかのどちらかである。
達成されていなければ欲望が満たされていないので不満である。
達成されてしまった場合も、追い求める目標がなくなってしまって不満である。
したがっていずれにせよ、人は不幸なのだ。
人の欲望の必然的な結果として、このような人生の空虚さは避けられないと考えていた。                ーショーペンハウアー

うわ、、、ネガティブ。。。偏屈ジジイ感のあるコメントですね。

それに対して本書では、「達成を目標とするのではなく、ただ活動そのものを楽しめれば良くなる。」と解決策を述べています。

「ビジネスの未来」で山口周氏も言っていますね、インストゥルメンタル(道具化)ではなくコンサマトリー(自己充足的)と。

その活動自身を楽しむ、今を楽しむ、今を生きる。まあ、これも結構難しいなと思ってしまいますが。その方が良いとは思ってます。

人が熱心な切手収集家や鉄道写真家をバカにするのは、ある種の防衛メカニズムなのかもしれない。彼らこそが本当の幸せをしっているという不都合や現実を認めたくないのだ。目標志向の僕たちにとって趣味に生きるのは何だか居心地が悪い。

わかる、、、オタク的に没頭できている人を見ると羨ましい、、、今を生きてる感がある。

病的なまでの生産性依存は世の中に広く蔓延している。社会心理学者はそういう状態を「怠惰嫌悪」と呼ぶ。何もしないことが嫌で仕方がないという意味。

この気持ちが出てきたら「怠惰への讃歌」カードを出せばいいですね。

世界はどんどん加速し、僕たちは超人的なスピードで働くことを期待されている。その速度に追いついていかなければ、幸せもお金もけっして手に入らない気がする。自分が置いていかれないかと怖くなり、安心感が欲しくてもっと速く動こうとする。

わかる、、、同年代の活躍などを見ると焦ってしまうこの気持ち。それを鎮めるために、それとは違う軸で自分が肯定できるようなものを探す、、

昨日ニュースでヤンキースの経営層に日本の実業家が参加。というので、ちょっと調べてしまいました。僕より少し上のまだ40代、イケメン、しっかり自分の意思で切り開いてきて、やりたいビジネスをやっている、総資産は11億ドル、、、自己肯定感が下がりきる前にやめました、この人のインタビュー記事でも読もうものなら、凹んでしまう。

書きながら凹んできたので、最後に自分を励まして終わろうかと思います。

人生を浪費しなければ、人生を見つけることはできない。


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