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7.「ぺこぱ」の優しさで勝手に傷つく人がいる件

(注。例によってやや長いので、試験的に太字だけでおおよその言いたいことが拾えるようにしてみました。)

「ぺこぱ」ご存じだろうか。あの優しさで勝手に傷つく人がいるのか...。

何とそれは私なのですが!という話を。さて私は「お笑い」というのが結構好きだ。今回は漫才のコンペティション、昨年末2019年のM-1で大変注目を浴びたコンビ「ぺこぱ」について思うことを。自分(N1)の事例を紹介し、あの優しさで傷つくことなどあるのか、これって少しはあるあるなのか検証をしたいというのが本音で。お付き合いの程お願いしたい。

さて彼らの活躍をみて、すごいなと。自分の才能を活かして生き生きと活動している人たちは本当に憧れるし、素敵だと思う。

より細かく言うと私は、自分がお笑い関係者ではないので、素直にすごい!!と思えるし、羨望や嫉妬にまみれることもない。利害関係、利益相反もないので心穏やかに活躍を眺めることができる。その勝負に乗ってもいないから、降りる必要もない。別世界。

ただ、「コミュニケーション業界」「言葉と本気で向き合う業界」というものを定義した場合、よく言われていると思うが「お笑い芸人」さんたちは、尊敬、注視、ベンチマークしまくるべき人たち。ものすごく地続きの、でも遠いところですごい戦いをしている人たちだと思う。こちらは心穏やかに、そこから「学ぶ」ことができる!

ここで少し「ぺこぱ」から脱線すると。「ピース」の又吉さんが小説で才能を発揮されているのも、すごく自然かつ鮮やかなスキル「転移」だと思う(お笑いのネタを書いていれば比較的簡単に芥川賞を取るような小説が書けるという意味ではござらん)。日頃脚本的なネタを必死で書いているクリエイターとしての才能が、小説書くときに役立つ可能性は?ものすごくありそうだなと単純に思う。

ちなみにスキルの「転移」というのは遠い「転移」と近い「転移」があるそうで。あるスキルに長けている人が、似ている別のスキルを習得したり力を発揮することを「転移」というそうで。そこで思い出す映像があって、サッカーの名手クリスティアーノ・ロナウドが、野球の始球式か何かでボールを投げるときの仕草がぎこちなかったという映像。あれは多分やや遠い「転移」なのかな。

さて。「時を戻そう」。これは「ぺこぱ」が使っていたフレーズで、なかなか印象的だった。やりとりの脱線を仕切り直したり、再チャレンジする時に便利。日常生活でも使っていきたい。学ぶことは大事だ!

ここからが本題。彼らが注目を浴びた一つの理由が、「否定しないツッコミ」。パターンとして「ボケ」といわれる人が、例えば「非常識なこと」を大真面目に述べて、「ツッコミ」というもう一方の人が、訂正するなり怒るなり呆れるなりのコメントをつけることで、その状況が例えば「いかに非常識か」というのが場にドーンと提示される。

しかし「ぺこぱ」は基本否定しない。「じゃないだろ!」ではなく「じゃないだろ!と思うのはこちらの捉え方に問題があるのかも」的な視点の変換を行って、一見おかしい状態にも意味を見出して、納得して説明する。ある種自己完結するのだが、その受け止めるような「突っ込まないツッコミ」が斬新だと話題だった。優しいと。

私も楽しんだし、笑った。

しかし。ここで私は心穏やかならざる心のざわつきを覚えた。何だろう違和感が。過去に少しモヤっとしたときの気持ちが蘇る。

誰かそう感じた方はいないだろうか?これはとってもレアな気持ちなのだろうか。

程なくしてわかったのが、この「否定しない」「受け止める」スタイル、自分自身が人との関係性の中で、やりとりの中で、実はものすごくよく「自分の中で」使ってきたパターンに近いのだなということ。

結果うまく笑えるものばかりならいいが、「ぺこぱ」ほどの腕前が無かった私は、残念ながら笑いに変えきれない場合もあった。意味づけをしたりして、精神的苦痛を乗り越えた時にも使ってきたテクニックだったため、何となく心から笑えないものがあった。誰かにとても攻撃的なコミュニケーションを取られた時に、相手に押し返せずにヘラヘラしてしまったことなどが思い出されて、この「突っ込まないツッコミ」のすごく近くに自分の傷があるんだなと感じたりもした。抑圧して何処かに残しちゃってるパターンが「におう」。嗅覚

私にも優しくないツッコミがいたら「めんどくせーな」とでも言われるだろう。

モヤモヤを抱えたままに自分で「受け止め」て、「まあまあ」と「手放し」た上で、自分の進みたい「方向」を冷静に選んで、「行動も選ぶ」。それは「コーチング」の影響による習慣だったりもするけど、いくつかの手痛い思い出が引き出されてしまったみたい。「ぺこぱ」も、まさかそんな形で語られるとは思っておられなかったのではないかと。

そろそろまとめに入りたいと思う。まず自分自身すごい日常的に心の中で意識してきたパターンだから自分にはとても親近感が感じられた。同時にいくつかの苦い思い出と共に、モヤモヤ感を醸し出してきた。結果自分が溜め込んできたストレスが想起されて何か心がざわつく。「ぺこぱ」からすればいい迷惑。

うーん。なんだろうこのモヤモヤ感。...と思うのは、きっと知らぬ間に時代を追い抜いていたからなんだろう。

ということで、唐突に「ぺこぱ」リスペクトで締めたいと思う。

本項おわり

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